AT1債をめぐる三菱UFJモルガン・スタンレー証券への訴訟は、原告数が106人、賠償請求金額が約83億円に拡大した(筆者撮影)

昨年3月に全額が毀損したクレディ・スイスのAT1債をめぐり、債券を販売した三菱UFJモルガン・スタンレー証券に対して、新たに14人の投資家が13億6588億円の損害賠償を求めて東京地裁に集団訴訟を起こした。

6月28日に提訴した今回の訴訟は、2023年8月と12月に続く第3弾となる。これで三菱UFJモルガンを訴えた原告の数は106人に上り、賠償請求金額は82億9974万円に拡大した。代理人弁護士の山崎大樹氏は「日本でこれほど多くの投資家が、この規模の損害賠償額を求めて証券会社を提訴するのは過去に例がないのでは」と話す。

CET1のことしか「聞いてないです」

クレディ・スイスのAT1債は国内で約1400億円が販売され、そのうち三菱UFJモルガンが7割弱に相当する約950億円を販売していた。5月13日には、全額毀損後に録音された三菱UFJモルガンの営業担当者と顧客による複数の会話のやり取りが、原告側から新たな証拠として提出されている。

そのやり取りを見ると、三菱UFJモルガンの営業担当者が商品性を正しく理解することなくクレディ・スイスのAT1債を販売していた疑いが浮かび上がる。

顧客「CET1のことしか聞いてないでしょう」

営業「聞いてないです」

顧客「(特殊性のあるAT1債だというのを)営業さんの方に当然伝わってないでしょ、そういう話」

営業「そこまでは伝わってないです」

顧客「営業としてはそれを知らずに『大丈夫だろう』としてお勧めしてたと。でなきゃモルガンさんだけであれだけの金額売らないでしょう」

営業「売らないですね」

会話の中で顧客が言う「CET1」とは、「普通株式等Tier1」と呼ばれる銀行の中核的な自己資本のことだ。AT1債は、銀行が破綻する前の段階で投資家が損失を負う仕組みで、少なくともCET1比率が5.125%を下回ったら、元本の毀損か、株式に転換される商品性であることが求められる。クレディ・スイスのAT1債は「CET1比率が7%を下回った場合」に元本が全額毀損する仕組みになっていた。

ただし、クレディ・スイスのAT1債は、破綻前に元本が毀損するトリガーはこれだけではなく、「企業存続事由」も定められていた。具体的には、規制当局が発行者の破綻を防ぐために公的部門の特別支援が不可欠だと判断し、その支援を発行者が受け入れた際も元本が全額毀損する。

クレディ・スイスのAT1債は、この企業存続事由のトリガーがヒットして元本が全額毀損した訳だが、会話のやり取りからは、営業担当者がCET1比率のことしか認識していなかったことが読み取れる。

代理人の山崎弁護士によれば「企業存続事由について三菱UFJモルガンの営業から説明を受けたと話す原告は1人もいない」と言う。

公的支援アナウンス後も販売を継続

それどころか、必要があればクレディ・スイスに「流動性を供給する」という、スイス当局からトリガー事由となるアナウンスがあった2023年3月15日以降も、三菱UFJモルガンはクレディ・スイスのAT1債を販売し続けた。AT1債が全額毀損したのは、そのわずか4日後。この間にAT1債を購入した顧客も原告に含まれている。三菱UFJモルガンが組織として企業存続事由を把握できていたのかさえも問われそうだ。

ほかにも、この期間にアドバイスを求めた顧客に対して、「今回は資本注入ではなく、流動性供給ですので今のところ問題ございません」とメールで回答している。また、録音データには、トリガー事由となる公的支援のアナウンスを、営業担当者がポジティブ材料として受け取っていた会話のやり取りもある。

山崎弁護士は「三菱UFJモルガン側が商品性を正しく認識できていなかったことは明らか。商品の複雑性やリスクの高さを誤って認識していたのだから、説明義務違反などに加えて適合性の判断も正しく行われていなかった」と主張する。

一方、三菱UFJモルガンの広報担当者は「第3次提訴の訴状を確認していないのでコメントは差し控える」とし、「当社の主張については裁判の中で明らかにしていく」と話す。

最終的に和解に至る可能性もあるが、早期に和解すると提訴する人が次々に出てきてしまう。元本削減を知った時点から3年で時効となるため、和解の場合であっても時効ギリギリまで裁判が長引くとみられる。

日本で蔓延するモラルハザード

クレディ・スイスのようにリスクが極めて高いAT1債がある一方で、日本の金融機関が発行するAT1債はトリガーが引かれるリスクは小さいと考えられている。クレディ・スイスの問題以降も日本のメガバンクが立て続けにAT1債を発行し、投資家から絶大な支持を集めているのは、このリスクの小ささ故だ。地銀の群馬銀行までもが今年1月に2.244%の低コストでAT1債を発行している。

そして最も懸念されるのは、日本のこうした実態が、投資家と金融機関の双方に「モラルハザード」をもたらすことだ。

日本のAT1債にも2つのトリガーがある。1つは、CET1比率が5.125%を下回ったら、その資本度合いに応じて元本が削減される「損失吸収事由」。もう1つは、預金保険法に基づき「預金等の全額保護」や「一時国有化」などが行われる第2号措置、第3号措置、特定第2号措置が発動された場合の「実質破綻事由」だ。


クレディ・スイスのAT1債を全額毀損させた企業存続事由のトリガーを日本の破綻処理枠組みに当てはめると、かつてりそな銀行を救済した際に使われた第1号措置または特定第1号措置が該当すると考えられる。だが、これらが発動されても日本のAT1債はトリガー事由にならない。つまり、事実上破綻を回避する目的で公的資金による資本増強や流動性の供給といった公的支援を受けても、日本ではAT1債の元本が毀損しない商品性になっている。

さらに、日本には預保法の救済スキーム以外にも、金融機能強化法による公的資金注入の枠組みがあり、AT1債のトリガーを回避できる万全な公的支援が整備されている。

かりにCET1比率が5.125%を下回ってAT1債の元本が一部毀損するような状況になっても、5.125%を上回ることが見込まれる計画書を金融庁に提出し、金融庁の承認を得られる場合には、損失吸収事由は発生しなかったものとみなす契約にもなっている。

要は、金融庁に裁量があり、ある当局関係者は「AT1債の元本が毀損すると市場の不安を招いてしまう。いざとなったら公的資金の注入によって資本を回復させて、元本を毀損させない手段を取る可能性が高いだろう」と見通す。

リーマンショックの教訓はどこへ

そもそもAT1債などが導入された自己資本比率規制の「バーゼル3」で、銀行の自己資本の質を大幅に強化したのはリーマンショックの教訓によるものだ。

リーマンショックでは、欧米の金融機関に対して公的資金の注入が行われたが、既存の投資家が損失を負うことなく、公的資金を通じて国民に負担を求めた。金融機関が破綻する前に投資家に損失吸収を求めるAT1債の仕組みは、最後は公的資金で救済してもらえると考える金融機関と投資家のモラルハザードを抑制することが狙いだ。

日本がAT1債のトリガーを引きたくないという理由で公的資金を注入するようなことがあれば、バーゼル3の精神からは外れたものと言え、損失吸収力の弱さから資本性にも疑念が生じかねない。

また、AT1債は発行から5年目以降に繰り上げ償還(コール)が可能になっており、「投資家はコールを前提に買っている」(債券アナリスト)とされる。コールしなければ市場の信任を失うため、金融機関も何とかしてコールしようとする。今後の金利上昇後にコールして再び高い金利でAT1債を借り換えることになれば、社外流出が大きくなる分だけ自己資本の弱体化につながる。こうしたAT1債がTier1資本として本当に妥当なのか。いま一度検証する必要がある。

(北山 桂 : 東洋経済 記者)