熟女セクシー女優の綾瀬麻衣子さん

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 熟女セクシー女優の綾瀬麻衣子には、「沢口まりあ」の名前で活躍していた過去がある。業界から一線を退き、25歳で愛娘を生んだ彼女は、自身がセクシー女優であったことを娘には隠して生きてきた。しかし娘が20歳になる直前、かつての自分がしてきた仕事の話を全て吐露したという。
 その後、セクシー女優としての復帰を打診された綾瀬さんは、心の迷いを大人になった娘に打ち明け、その答えによって再デビューを決意したそうだ。彼女のインタビューから、母親でありながらセクシー女優に返り咲いた女性の“生き方”が見えてくるかもしれない。

セクシー女優を辞めた後に結婚、25歳で出産

――1991年に沢口まりあとしてデビュー。その2年後には作品の発売はストップしていますね。何があったのでしょうか。

綾瀬麻衣子(以下、綾瀬):当時は引退作を撮って辞めるという文化もないような時代でしたから。どの女優さんも同じようにふわっといなくなっていたんですよ。

 私はストリップにいき、その後は24歳くらいまでは「沢口まりあ」の名前をつかって、ショーパブで踊って生計を立てていたんです。でもちょうどその頃に1人の男性と出会い結婚をして、25歳の時に娘を出産しました。

――出産後は専業主婦に?

綾瀬:いえ。娘が11か月くらいから、再びショーパブで働き始めました。昼はまた別の仕事をしていたのですが、夜は夫が車で六本木まで送迎をしてくれて。私が躍っている間は娘と一緒に待っていてくれました。車でフラフラと夜の街を走っていたようです。

セクシー女優の過去は娘に知らせるべきものではない

――では、娘さんは幼い頃から綾瀬さんがショーダンサーであることは理解していたのでしょうか?

綾瀬:そうですね。むしろ「前は服を脱いで踊っている人だった」という認識だったと思います。私の方からストリップに出ていたことも話していましたし、舞台で裸になっている写真も見ています。でも、作品のパッケージだけは、娘の目には触れないように実家に置いてありました。

――ストリップのことは早くから伝えても、セクシー女優であったことは隠していたのですか?

綾瀬:母親が男の人と絡んでいる写真は、さすがに情操教育的に良くないと思ったんです。今はいろいろと情報が選べる時代ですけど、当時はやっぱり子どもに知らせるべきものではない、後ろめたいものという感覚があったんですよ。それに、私がビデオに出ていたことが、娘の生きる選択肢を狭めるとも思いました。友達にこのことが知られた時に、強く突っぱねられる子ではなかったので。

◆AV新法改正デモに参加するワケ

――難しい問題ですね。特に当時はまだ、セクシー女優という仕事が今ほど一般的に受け入れられる時代ではなかったですし。

綾瀬:だから今、復帰してみて一番驚いたのはそこです。「こんなにこの業界って開けたの?」って(笑)。

――綾瀬さんの過去を理由に、周囲の人たちとトラブルになったことはありましたか?

綾瀬:それはありません。当時からママ友はみんな知っていたのですが、キャバクラで働いている人なんかも多かったので、特に差別的なことをされたことはないです。最近では近所の人たちも知っているふうですけど、何事もありませんね。今って職業差別をする人が非難されるんですよ。認めない人こそ価値観が古い、みたいな。

――それだけ多様性の認識が広がったということですよね。

綾瀬:常にそれを実感していますし、ビックリしています。私は個人的にはひっそりとやるべきものだとは思っているんです。でも、今はどんな人でも、AV業界で働くことが選択肢のひとつになる時代。だからこそ、AV新法改正デモにも積極的に参加させてもらっていました。