子供をやる気にさせる親の声かけは何か。医師の和田秀樹さんは「親が子どもを褒めて、『わー、すごい』と子どもの野心を満たす鏡になってあげることによって、子どもは前向きに、よりがんばる人間になる。そして、子どもが不安になったときには、『パパがついているから大丈夫だ』と力強い親を示してあげると、『パパがいるから、僕だって強いんだ』と思えるようになる」という――。

※本稿は、和田秀樹『勉強できる子が家でしていること』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

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■子どもの野心を生み出す親の声かけ

現代アメリカ精神分析で最も人気のある学派、自己心理学の始祖であるハインツ・コフートは、親によって人間の心には初めに「野心の極」というものができると言っています。

赤ちゃんが初めてよちよち歩きを始めたとき、両親は「わあ、○○ちゃん、すごい、すごい」と言って目をキラキラと輝かせて喜ぶでしょう。そうすると、赤ちゃんはもっと褒められようとして、また別のことにチャレンジするようになります。

こうしたことを繰り返しているうちに、赤ちゃんに原始的な野心のようなものがどんどん生まれてきます。それをコフートは「野心の極」と呼んだのです。

この子どもの「野心の極」を満たしてあげる親の役割を「鏡」といいます。

親が「わー、すごい」と言って、子どもの野心を満たす鏡になってあげることによって、子どもはもっと別の何かをするようになり、どんどん野心の極が成熟して、よりがんばる人間になるというわけです。

ところが、人間というものはいつもいつもがんばれるものではありませんから、ときどき不安になったり、自分はダメだという気持ちになったりします。

■子どもを褒めて、褒めて、褒めまくり、力強さを示す

たとえば、学校でいじめられて帰ってきたりすると、不安な気持ちになります。こんなときには、褒めてもらいたいわけではありません。

父親がひざの上に乗せてあげて、「パパがついているから大丈夫だ」というふうに言ってあげれば、子どもはほっと安心して、「パパがいるから、僕だって強いんだ」というように思えるようになります。

そして、僕も強くなりたい、パパみたいになりたいという気持ちがわいてきて、生きる方向性が見出される。

それをコフートは、「理想の極」と呼び、このパパの役割を「理想化対象」と呼んだのです。もちろん、これはママでもかまいません。

要するに、子どもに対しては基本的には褒めて、褒めて、褒めていって、子どもを前向きに、よりがんばるように伸ばしてあげる。

そして、子どもが不安になったときには、そこには力強い親がいるということを示してあげる。それが、子どもを健全に育てる基本パターンだとコフートは言っているのです。

写真=iStock.com/Tran Van Quyet
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■子どもは無視されるのが一番つらい

コフートは叱ることについてはあまり話をしていません。しかし、鏡が子どもの行動を映し出すものだと考えれば、やはり、悪いことをした場合には、きちんと叱るということが必要です。

子どもにとって一番つらいのは、鏡がない状態、つまり、褒められることもなく、叱られることもない無視された状態です。人間にとって、相手にされないほどつらいことはなく、批判されたり、叱られたりするほうがまだましなことなのです。

子どもは、いいことをした場合には褒めてほしいと思っており、悪いことをしたとわかっている場合には、叱られるのが当たり前だという気持ちを持っています。

ですから、本当に悪いことをしたときには、きちんと叱ってあげなければなりません。たとえば、ほかの子を殴っちゃったとか、すごく危ないことをしたとか、飛び出して車に轢かれそうになったなどという場合には、きちんと叱ることが必要です。

ただし、子どもの教育においての基本パターンは、やはり「初めに愛ありき」だということは間違いありません。愛情を感じていなければ、叱られても「自分のため」という気持ちになれず、ただ怖い思い、不快な思いをするだけになってしまいます。

ベースに「自分はお父さん、お母さんから愛されている」という気持ちを持ったうえで、叱られると、「自分がいけなかったんだ」「自分のために叱ってくれている」と思うことができるようになります。

■褒めるときと叱るときの方向づけをきちんとする

もう1つだけ心理学理論をいいますと、心理学の行動療法には、オペラント条件づけという考え方があります。

これは、好ましい行動、望ましい行動をしたら褒める、悪い行動、望ましくない行動をしたら罰することで、賞と罰の体系をはっきりとさせて、人間の行動を望ましい方向に向けていこうというものです。

たとえば、テストでよい点を取ってきたら褒める、運動会で走るのが速かったら褒める。けれども、友だちを殴るとか、ウソをつくなどという行為をしたときには、叱るということです。

ただ、これを行うときに問題になるのは、ときどき親のほうが賞と罰を間違えて、子どもに混乱をきたすことがあるということです。

たとえば、成績が悪くて落ち込んでいるときに、普段より話をよく聞いてあげるとか、不良的なことをしたときに、親がよけいに心配してすごく子どもに気をつかうなどというケースです。

オペラント条件づけの理論からいいますと、逆なのです。みっちりと叱ってやらなければならないときに、親があわててしまって愛情をかけてしまうと、子どものほうは方向づけが混乱してしまいます。

あるいは、よい点を取って帰ってきたときに、「勉強だけじゃダメよ」と言われてしまえば、それもまた賞と罰の体系を混乱させてしまいます。

現在のアメリカの教育界や精神医学の考え方では、この賞と罰の体系をはっきりとさせた行動療法的なアプローチが非常に盛んになっています。カウンセリング的にあれこれと話を聞いてあげるよりも、賞と罰をはっきりさせたほうが、子どもの成績もよくなるし、患者さんもよくなると考えられているのです。

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■子どもの反省度合いを見てから叱る

裁判のニュースなどを見ていますと、「本人が十分反省しており、社会的制裁も受けているので、実刑には忍びない」ということで、執行猶予がつくことがあります。

それと同じで、子どもの場合にも社会的制裁というものがあります。塾へ行っている場合などは、成績が悪いとクラスが降格されたりしますから、親がことさらに叱らなくても、子どもはもう十分に社会的制裁を受け、落ち込んでいるわけです。

それに親が追い打ちをかけるように叱るよりも、「嘆いていてもしょうがないから、次はがんばりなさい」とか、「次は見返してやりなさい」という言葉をかけ、ともかくいま勉強しておくことに意味があるのだということを強調するほうがよいと思います。落ち込みから、動機づけの方向へ変えてあげるということです。

テストで0点を取ってきたとしても、反省している様子があれば、テストの点数自体は叱るべきではありません。

しかしながら、0点を取ってきたのに、ヘラヘラしていて、当たり前のようにしてゲームをやっているとか、いつもと同じように友だちと遊びに行くといった場合には、厳しく叱るべきです。

「悪い点を取ったこと自体は、結果なんだから叱らない。でも、悪い点を取ったんだったら、次によい点を取るように努力をするのが当たり前でしょ」という意味で、叱るのです。

つまり、悪い点を取ってきて、しょげてしまって、「今日はテレビも見ないよ」と言っているのであれば、本人が反省しているのですから、叱る必要はないのです。

逆に、悪い点を取ったにもかかわらず、当たり前の顔をして、自分の娯楽を我慢しない、反省していないと見たら叱るべきだと思います。

■「努力が足りない!」という叱咤激励は、もはや時代錯誤

親世代と子ども世代とでは、時代が大きく変わっており、受験勉強に対する意識も違います。「努力が足りない!」という叱咤激励(しったげきれい)も、いまの子ども世代にはまったく響きません。根性論には頼らないことです。

名門塾信仰も危険です。というのも、名門塾の多くは努力主義で、受験校の傾向をつかんだ対策を講じているわけでも、一人ひとりの子どもに合った教え方をしてくれるわけでもありません。

なので、どんな名門塾でも、その子に合っていなければ成果は期待できません。もともとできる子の成績を伸ばすことはできても、できない子を引き上げてくれる場所ではないとも言えます。

人間にとって一番まずいことは、あることをすることによって、別の行動が引き起こされて悪循環が起こるということです。ウソをつくと、そういう悪循環が起こりやすいので、必ず叱りましょう。

子どもがウソをついているというようなことは、大人ならだいたいわかるはずです。それを問いつめるにしても何にしても、そのウソは必ず引き剝がすべきです。

「大人は頭がいいんだ」「ウソをついても必ずばれるんだ」ということを思い知らせることが必要だと私は思います。

ウソをついている間というのは、ものすごく不安で、「ばれるんじゃないか、ばれるんじゃないか」と気になって、キョロキョロするようになったりします。

結局、不安な気分になって損をするのは自分なのです。ストレスもたまります。ですから、絶対にウソをついてはいけないということを教えておくべきでしょう。

写真=iStock.com/luckyraccoon
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■正直に打ち明けてくれたらなんであれ許す

それからもう1つ大切なことは、正直にうち明けたときには褒めるということです。子どもにどんなに不愉快なことをされたとしても、正直にうち明けてくれたということはよいことなのですから、賞を与えるべきなのです。

そこで罰を与えて接していると、本当のことを隠すようになりますし、もっとウソをつくようになります。

「花瓶を割っちゃった」でも何でも、ウソをつかずに正直に言ってきたら、犯罪的なことでないかぎり、叱ることはやめましょう。

子どもの間というのは、本来ウソをつかなければならないようなことは少ないはずですから、ウソをつかせてしまって、そのままにしておくというのはやはりよくありません。

思春期ぐらいになりますと、親に対する隠し事も増えてきますから、ウソをつくのは仕方のない面もありますが、思春期の子どものウソと、小さい子どものウソでは根本的に別問題だと考えたほうがよいでしょう。

■子供が「まわりはバカだ」と罵る理由

子どもがほかの子を幼稚だとバカにするのは、自分が勝っていることを大人に認めてもらいたい承認欲求があるからだと考えられます。

私も子どものころ、「まわりはバカだ」と言っていた記憶がありますが、母親は私のことを「変わり者だけれど頭はいい」と評価してくれていましたし、周囲に嫌われることを気にしない人でしたから、むしろ共感してくれて、バカにすることに対して注意することはありませんでした。

和田秀樹『勉強できる子が家でしていること』(PHP研究所)

ただ、社会的には他人をバカにすることは好ましくはないので「そうだね、あなたはしっかりしているもんね」と認めたうえで、「でも外で言ったら嫌われちゃうから、家の中だけで言おうね」と教えておいたほうが賢明です。

同じ年齢でも、たとえば謎解きゲームが好きな子にとっては、キャラクターを集めるようなゲームは幼稚に思えるでしょうし、落ち着いた色で目立たない服装が好きな子にとっては、派手な色や個性的なデザインの格好をする子は苦手なタイプかもしれません。

どういうところが幼稚に感じるのかを聞いてみて、無理にその子に合わせる必要はないということ、その子は幼稚かもしれないけれど、いろんな人がいるから世の中は楽しいし、成り立つということを伝えるよい機会だと思います。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」
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(精神科医 和田 秀樹)