iPad Proが真の意味で”プロ向け”になったM4搭載モデルの意味
長く新製品が登場しない状況が続いていたiPadシリーズだが、iPad Pro、iPad Airが同時に新モデルに刷新される大きなアップデートが行われた。今回の新製品を発表するにあたっては、ニューヨーク、ロンドン、上海の三箇所で行われた。 ただし上海は時差の関係で、他の都市の翌日に開催されている。
新しいiPadシリーズはもちろん最新の技術が投入されているが、それらのスペックだけでは製品の意図する本当の意味を理解することは難しい。なぜ発表する地域を分けたのかについて、取材を始める前はまったく想像することができなかった。
しかし取材をし始めてみると、なるほど、この製品の本当の意味、意図を理解することが難しいものであることがわかった。極めて短時間に多様な取材を行なうことができたが、その密度は過去に経験したAppleスペシャルイベントの取材の中でもっとも高いものであり、拠点を分散させなければグローバルでこの新製品の意図を伝えることが難しかったのだと思う。
中でもiPad Proはクリエイターをサポートし、単に簡単に効率よくコンテンツを作るだけではなく、プロアクティブに創作作業をサポートすることで、新しいコンテンツクリエーションに集中することができるよう新しいアイデアを盛り込んでいた。
どれだけ早いかの前に、何ができるのか
iPad Proと同時にApple Pencil Pro も発表され、スクイーズ(ツールの呼び出し)、バレル(Apple Pencilの回転を検出する機能)、ハプティックエンジンの3つが機能として追加されている。
この新しいApple Pencilは新しいiPad Airでも利用することが可能で、 多くのクリエイター向けツールがこれに対応している。ブラシの形状を回転させることによってブラシの向きを変えながら描画したり、スクイーズでツールパレットを出して素早くペン先の機能を変えたり、極めて細かいことを言うならば、Apple Pencil自身の影が画面上に描かれたりもする。
どのように新しいApple Pencilを使いこなすかはアプリケーションによっても異なるのだが、単純に新しいApple Pencilの機能を使うだけなのであればiPad Proは必要ない。
もちろん、機能的な違いやディスプレイの品質の差があるが、ほとんどの人にとってiPad Airはベストな選択といえるだろう。ではなぜ高価なiPad Pro使うのか? その違いを出すために専用半導体を開発するレベルから新しい機能の目標を立てた。
新しいiPad Proに搭載されたM4は、新しい半導体、製造プロセスで設計された新世代のApple Mプロセッサだ。 これまでApple MプロセッサーはMacの刷新をプライオリティーとして設計されてきた。これまでの設計、および世代ごとの違いを振り返ってみても、Macの性能や使いやすさを向上させるというハードウェアの改良を強く意識していることが読み取れる。
ご存知の通り、Appleは自社で開発する半導体を他社には販売していない。すべてを自社の製品に採用しているため、半導体設計の目的を製品コンセプトに合わせて方針決定できる。
iPhone向けのApple Aプロセッサはスマートフォンの機能と使い勝手の改善にフォーカスされている。Apple Mプロセッサは多様なバリエーションを作ることで、薄型のノートブックからプロフェッショナル向けノートブック、そしてハイエンドのデスクトップまでをカバーするようカスタムで設計されているわけだ。
典型的な例は、少々古い引用で恐縮だがiPhone 11 Proがある。
後々の取材でわかったことだが、iPhone 11 Proにおいては、その3年前からカメラをどのようなものにしたいのか、明確な意図を持って、搭載する半導体に求める性能や機能をリストアップし、それに合わせてチップの開発とソフトウェアの開発を並行して進めていた。
明確な意図で設計されたM4
同様のことを、新しいiPad Proにおいて異なる切り口で行い、結果として生まれたのがM4である。
M4に内蔵されている回路パートの基本的な設計はM3のものを引き継いでいるが、それら全ては改良されており、新しい半導体製造プロセスに最適化している。たとえばGPUコアの基本的な機能やコア数はM3と同じだが、 回路レイアウトや相互接続を見直すことでレイトレーシングのアクセラレーション能力は2倍に向上している。
またCPUに関しても同様の見直し、最適化が図られており、高効率コア、高性能コアはともに見直しをかけるとともに、動作効率を高めている。特に高効率コアの処理効率は高まり、これまで以上に電力あたりのパフォーマンスが上がっている。
しかし、それらはいわば正常進化の領域だ。
ところが、M4ではこれまでとは異なるアプローチが2つある。それこそがiPad Proを意図したものだ。
ひとつはNeural Engineの大幅な性能強化、もうひとつは最新のタンデムスタック構造のOLEDディスプレイへの対応だ。後者に関しては、世界最高のディスプレイを超薄型の軽量なボディーに実装するための技術を搭載するためだが、前者に関してはiPad Proがユーザターゲットとしているコンテンツクリエイターに対して、これまでのアプローチを大きく超える新しい価値を提供するためだ。
iPhone 11 Pro以降、AppleはNeural Engineの設計を新しいカメラの価値を作り出すために機能強化してきた。もちろん使い道はさまざまだから、たとえば音声認識や文字認識などの精度もそれによって向上してきた。
しかしM4に関しては、さらに高い目標を持ってNeural Engineを設計している。それは生成AIの技術をデバイス上で活用することだ。
M3に対しても2倍以上、最初のNeural Engineと比べると60倍という演算スループットが与えられたのも、その用途をあらかじめ想定した上で、必要な性能として実装したためだ。
デバイス上での生成AI技術活用
1年以上にわたって生成AIが大きな業界の話題になっている事は言うまでもない。すでにコンテンツクリエイターの道具を提供する企業は、何らかの形で生成AIを製品の中に組み込んできた。
これに対して、Appleは大幅に遅れているとする意見もあるが、果たしてそうだろうか? たしかにクラウドに情報を送ってのAI処理は遅れているというよりも、Appleはポリシーとして行っていない。ユーザのデータは可能な限りネットには送信しないポリシーがあるからだ。
ごく初期の段階では、ネットに音声データを送信していた音声認識も、現在はすべてデバイス上で行っている。
世の中のオープンソースで開発されている生成AIに関し、AppleはNeural Engine上での動作対応をコミュニティ内で提供していることも少なくない。常に研究開発は行っているのだが、端末への実装に関しては、基本的にはデバイス上での動作が基本だ。
そもそも、Appleはデバイスのメーカーでありクリエイター向けアプリケーションを提供していたり、文書ソリューションを提供する企業でもない。あくまでも作っているのは道具としてのハードウェアだ。
では、どのようにすればプロフェッショナルクリエイター向けにより良い道具として進化することができるのか。その部分にフォーカスして、今回は自社ブランドの2つのアプリケーションを開発しデモンストレーションした。
動画編集アプリFinal Cut Proと、音楽編集アプリLogic Proの2つだ。
Final Cut Pro に関しては、iPhoneを複数接続してワイヤレスでマルチカメラの収録を行い、iPad Pro上で軽くタップするだけでタイミングよくスイッチングを行うといったデモを行っていた。しかし、本領発揮するのはAIを用いた編集。 より、高速かつ的確に被写体を認識できるため、動画に対して被写体と背景を分離し、その上でエフェクトをかけるといった複雑なことが極めて簡単にできるようになっていた。
Logic Pro では、伴奏をドラム、ベース、バッキングのキーボードなど、パートごとに簡単な演奏指示を行うだけで、自動的にリフを生成してくれるAI伴奏機能が使えるようになる。
さらに各トラックが分離されていない演奏セッションの音響データを入力すると、自動的に分析してボーカル、ドラム、ベース、それ以外に極めてクリアな音質で分離し、ステムデータにしてくれる。ここで活用されているのもNeural Engineだ。
トラックを自動分析し、コード進行をカスタマイズしながら、伴奏を最適化。最適化したステムから必要なトラックだけを残しつつ、AI生成の伴奏を調整していくと、 まるで自分だけのスタジオミュージシャンを使い、演奏指示を与えているかのように曲作りをしていくことができる。
新しい進化の方向を定めたベンチマーク
現時点で筆者は、ロンドンにおけるデモンストレーションやハンズオンにおける感想を簡単に伝えているに過ぎない。実際にデバイスを用いてどのようなクリエイティブな作業ができるのかは、追って実機レポートすることにしたい。
また、iPad Proがどれほど素晴らしいものになったからといって、これ1つだけですべてのクリエイティブな作業を完結できるわけでもないと感じている。すべての作業を完結することもできなくはないが、本質的には、iPad Proが得意な領域で、その機能を手軽に、誰もが使いこなせるところが、新しいiPad Proのコンセプトにおけるもっとも大きなポイントではないだろうか。
今やコンピューターの技術が発達し、動画にしろ音楽にしろ、あるいは今後は、小説のような長文も、道具のサポートにより、クリエイターの発想次第で、品質の高い成果物をより簡単に作り出していくことができる世の中になっていくだろう。
たとえばかつて写真撮影を高い品位で行おうと思えば、照明環境をうまく作り、カメラを使いこなす知識を蓄積し、フォーカスの位置や被写界深度を強く意識しながら撮影し、それでも数日経過しなければその結果を確認することができなかった。
しかしデジタルカメラがそうした写真の世界を民主化したとも言える。もちろん手軽になることによる弊害はあったかもしれないが、写真という世界がデジタル化によって大きく変化した事は間違いない。より多くの人が写真撮影に触れることによって、新しい表現が生まれていった事は間違いないだろう。
筆者が現地での取材を通じて感じたのは、AI時代におけるコンテンツクリエーションの新しい基準をデバイスメーカーとして定めようとしているのではないかということだ。 もちろんM4搭載iPad Proは、極めて薄く、高性能で、凄まじく、美しいディスプレイを備えた素晴らしい端末である。この点において、議論は無い。価格は高いと感じるだろうが、その価値は十分にある。
しかし、物質的な端末の価値は、その時代によって変化するものだ。 道具である以上、それを購入すべきかどうかは、その人は何をしたいかによって評価は変化する。それ以上に大きな意味として筆者が感じるのは、コンテンツクリエーションの新しい分岐点なのだと強く発信していることだと思う。それをどう感じて、サードパーティーのエンジニアが新しいアプリケーションを提案し、ユーザがそれをどのように使いこなし新しい表現を生み出していくのか。
新しいiPad Proはデジタルクリエイターにとっての新しいベンチマークであり、新たなる出発点なのである。
Source: Apple