くふうカンパニー代表の穐田誉輝さんは、食べログやクックパッドを一大サービスに育てたことで知られる。その原点のひとつは、価格比較サイト「カカクコム」の起ち上げだ。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。

※本稿は、野地秩嘉『ユーザーファースト 穐田誉輝とくふうカンパニー 食べログ、クックパッドを育てた男』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Aramyan
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■暑くて寒くて、段ボール処理の音にまみれた部屋

穐田が社外取締役としてカカクコムに入社したのは、創業者の槙野光昭が価格入力システムを導入した後のことだった。

穐田が初めて社外取締役として浅草橋にあったカカクコムに出かけた日の朝のことだ。小さなビルにあった事務所に着いたら、隣のビルの入り口には段ボールを積んだリアカーを引くランニングシャツ姿の人たちが並んでいた。「何事か」と思ったら、隣のビルは段ボールの中間処理会社だった。

段ボールを持っていくと、買い取ってくれたのである。のちにカカクコムは水道橋のビルへ移る。だが、それまでの間、穐田が出勤する時はリアカーを引いた人たちと一緒だったのである。

そしてカカクコムの事務所は暑かった。事務所にはデスクと一緒に大型のサーバーがあり、絶えず熱を発していた。その当時、レンタルサーバーというものはなく、自社で買わなくてはならなかった。小さな事務所だったのでサーバーはデスクのすぐ近くに設置してあった。

そのため、事務所のなかはいつも暑かった。エアコンを効かせると、風の吹き出し口近くはとても寒くなった。暑さと寒さと段ボール処理の音のなかで社員たちは働いた。

カカクコムで働くことになり、直面したのは強大なライバルとの戦いだった。

■40億円の資金力vs.20代のアキバオタクたち

価格比較サイトの有力企業、アメリカの「ディールタイム」が2000年2月に日本に進出してきたのである。ディールタイムにはジャフコ、三井物産、オムロン、クレディセゾンなどが出資し、たちまち40億円を調達してしまった。

また、ディールタイムは日本進出に際して多額の資金を調達しただけでなく、一橋大学を出た東京銀行(現・三菱UFJ銀行)出身の優秀な人間を社長に据えた。そして、資金力にものをいわせて宣伝広告にも金を使った。

ディールタイムは豊富な資金力と優秀な人材を表に立てて、カカクコムを圧倒する戦略を取ったのである。カカクコムが音を上げて「うちを買収してくれませんか」と言ってくるのを待っていたのだろう。

強大なライバルに対し、カカクコムの資金はアイシーピーが出した1億円しかなかった。人材といえば槙野、穐田のほかはビジネス経験のない20代の人間だけだ。ほぼ全員がアキバオタクでゲームが好きでパソコンには詳しいが、コミュニケーションは苦手……。前の晩、遅くまでゲームをやっていて、次の日は休んでしまうこともあった。

■なぜ“黒船”を撃退できたのか

だが、彼らはパソコンに愛情を持っていた。そして、妙に真面目だった。だらしないところはあったが、根は真面目だから、反省はする。遅刻はするのだけれど、申し訳なさそうな顔になる。社会人としての常識はなく、人見知りな連中だったけれど、それでも穐田は彼らが好きだった。訳知り顔の外資系エリートより100倍マシだと思った。

何といっても、穐田もアキバオタクも世の中の現状を疑う点においては同志だったからだ。

2001年8月末、穐田がカカクコムに来てから1年が過ぎた頃、強大と思えたライバル、ディールタイム日本法人はサービスを中止し、その後、事業は清算された。

カカクコムはいつの間にかディールタイムに勝利していたのだった。

勝った原因は槙野の執念とチームの力だ。手入力と徹夜作業と気合とアキバオタクならではの細かいところまでの追求心がディールタイムを撃退したのだった。

ディールタイムのサイトにはパソコンの販売店、仕様、価格が載っていた。一見、カカクコムと同じだ。だが、カカクコムは仕様のディテールまで追求して載せていたのである。

■徹底的にユーザー目線のサイトを目指す

パソコンの場合、型番が同じであっても、最後の文字が「W」だとしたら、白のパソコンで、「R」だったら赤のそれだったりする。ユーザーはそこまで追求する。モノを買おうとする人間にとって重要なのはディテールだ。細部までこだわって情報を載せたからこそ、オタクチームは勝つことができた。

すると、カカクコムの快進撃を見て、後発の同業者が出てきた。しかし、それもまたオタクチームは気合で倒した。ベンチャー企業の力とは結局のところ気合だ。頭のよさではない。今に至るもカカクコムを抜き去るような価格比較サイトは出てきていない。

2001年12月、穐田は社長になった。槙野は「早く仕事をやめて無職になりたい」と言ってきて、「すぐに仕事を引き継いでほしい」という。それで社長を受けたのだった。

次に穐田が指示したのはサイト上の商品を安い順に掲載することだった。それまで、最初の画面には商品の価格に関係なく、サイトへの広告出稿金額が高い店舗から順番に並んでいた。

穐田はそれを変えた。

難しいことではない。ソートをかけて並べ替えればいいだけの話だ。カカクコムの画面トップにはいちばん安い価格を付けている店舗が載るようになり、ユーザーは自分が欲しい情報を瞬時に見つけることができるようになった。

■「なんでうちの店が最初に出てこないんだ」

それまで、じわじわとユーザーを集めつつあったカカクコムは、この直後から成長を加速させた。取扱商品数も増えて、ユーザー数が一気に伸びた。

ユーザーが知りたいのはいちばん安い製品からせいぜい5つか6つまでだ。それ以上、スクロールすることはほぼない。ユーザーの気持ちに寄り添った並べ方にしたことで、カカクコムのユニークユーザー(サイトを訪れた人の数)はぐんぐん伸びていったのである。

ただし、クレームも増えた。クレームの電話をかけてきたのはユーザーではなく販売店の主人だった。

「お前、なんでうちの店が最初に出てこないんだよ」
「すみません、でも、これ価格順で安い順から載せてるんで」

販売店の主人はそこで一瞬、黙る。そして、猫なで声に変わる。

「なーんだ。そうだったの。じゃあ、いちばん安い値段にすればトップに載せてくれるね。わかった」

パソコン販売店の経営者は一日中、カカクコムのサイトを見るようになった。そして、昼夜問わず最安値を付けるのが日課になったのである。

電子空間のなかで販売店の主人たちはどんどん価格を下げていった。カカクコムが登場する前でも、販売店が提示するパソコン価格はメーカーが付けた最低価格より安いことはあったが、それには限度があった。

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■メーカーの希望価格から、ユーザーが望む価格に

ところが、数多くの販売店が集まるカカクコムではひとつの店が安い価格を付けると、他の店もそれに追随する。メーカーが付けた販売価格ではなく、ユーザーが希望する価格が付けられるようになっていったのである。

そうなると、パソコンメーカーとしては価格を上げることが難しくなった。企業努力で性能は上げる。しかし、価格は据え置くといった姿勢をとらざるを得ない。インターネットはユーザーが欲しい価格をメーカーに知らせる役目を果たすようになった。

野地秩嘉『ユーザーファースト 穐田誉輝とくふうカンパニー 食べログ、クックパッドを育てた男』(プレジデント社)

カカクコムの社員たちの忙しさには拍車がかかった。手作業の入力だとどうしてもミスが起こる。「34センチメートル」のパソコンを「34メートル」と表示することだってないわけではない。商品の写真を間違えて掲載したりもする。すると、ユーザーやメーカー、販売店などからクレームが入る。手入力とともにクレームは増える一方だった。

ただ、クレームが増えたことはカカクコムチームにとっては決して悪いことだけではなかった。クレームはいろいろな立場の人がつねにカカクコムのサイトを見ている証拠だ。カカクコムの価値が上がっていることを実感するのがクレームの増加だったのである。

そして、怒ってクレームを言ってくる販売店の主人やメーカー担当者もいれば、逆に「お宅のおかげで売れた」と感謝してくる人も増えた。クレームが増えたことは社員のやる気にも結びついたのである。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)