ビール工場の跡地を再開発した恵比寿ガーデンプレイス。現在の恵比寿駅の南東にある(筆者撮影)

山手線の内回り電車は、渋谷を発車すると築堤を走って恵比寿に着く。

途中の庚申道ガードにはレンガ積みの橋台が残っている。恵比寿駅側には、当初は複線であったのが、後に西側に線路を増設して複々線化し、貨物線と旅客線を分離した形跡が明瞭に見られる。開業時の山手線の線路は、現在、埼京線や湘南新宿ラインが走る貨物線のほうだったと推定できる場所だ。

明治の初めにビール工場建設

そして電車が目黒へ向けて発車すれば、丘陵地の切り通しへと入る。この東側の丘の上は現在、複合施設「恵比寿ガーデンプレイス」。元のサッポロビール恵比寿工場の跡地だ。そしてこのビール工場の存在が恵比寿の地名の起こり、恵比寿駅が設置された理由でもある。

開国により外国人も多く居留するようになると、それまでの日本人には馴染みのなかったビールの需要が高まった。それに応じて、東京周辺にいくつものビール会社が設立されたが、その中に日本麦酒醸造(現在のサッポロビールの前身の1つ)があり、渋谷村の南、目黒村三田に工場を建設した。そこで製造されたのが「惠比壽麦酒」(現在のヱビスビール)と呼ばれるビールだった。


恵比寿駅と駅ビル「アトレ恵比寿」(筆者撮影)

工場が建設された丘陵地は水利に乏しくて稲作には適さず、江戸時代には宇和島藩伊達氏の下屋敷ぐらいが目立つ程度の土地であった。それゆえに広い敷地の取得は容易だったのだろう。工場の完成は1889年。先だって1885年には、すぐそばを通る日本鉄道品川線(現在の山手線)が開通している。


山手線の歴史を刻む庚申道ガード(筆者撮影)

ビールなどの瓶入りの飲料は、かさが張り重いため、鉄道を主な輸送手段とする時代が長く続いた。現存する全国のビール工場の多くが、線路の近くにあるのはそのためでもある。日本麦酒醸造も品質の良いヱビスビールの人気の高まりもあって事業を拡大しており、山手線を活用しない手はなく、日本鉄道もこれに応じた。

始まりはビール専用駅

1901年2月25日、ビール出荷専用の貨物駅が工場脇に設置された。その時、駅名をビール名にちなんで「恵比寿」としたのであった。後に周辺地域の人口増加に伴って、1906年に約300m渋谷寄りの現在地に移転し、同年10月30日に旅客営業を開始。そのまま恵比寿駅を名乗った。原宿駅開業と同日である。そしてその翌々日、日本鉄道は買収され国有鉄道の駅となった。

恵比寿とは七福神の一員であり、商売繁盛の神様として信仰を集めている。縁起のよい名前で、村はずれにあたるために特に著名な地名も周囲になく、駅名としてはすんなり受け入れられたようだ。

なお、恵比寿麦酒は当初、同じ七福神の大黒天にちなんで「大黒ビール」と名付けようとしたそうだ。しかし、すでに存在していたため恵比寿に変更したという。もし、大黒のままであったら、駅名も地名も変わっていたかもしれない。


恵比寿スカイウォーク。奥の恵比寿駅から恵比寿ガーデンプレイス方面へ続く(筆者撮影)

さらに、大塚などと同じく、駅周辺の地名も駅にちなみ恵比寿と呼ばれるようになる。現在の町名では、駅東側が渋谷区恵比寿。西側が渋谷区恵比寿西、恵比寿南である。その始まりは、恵比寿通との町名が生まれた1928年だ。それも元をたどれば、ビールの銘柄なのである。

恵比寿駅の発車メロディは、ヱビスビールのテレビCMで使われた、映画『第三の男』のテーマだ。当初は2004年に期間限定で流れたのだが、やはり恵比寿にふさわしい曲として人気を博したため、翌2005年からは、電車の発車のたびに恒常的に流れている。

ヱビスビールにちなんだものの数々

西口の前には「ゑびす像」も立つ。待ち合わせ場所として人気がある。1975年に東京恵比寿ライオンズクラブが10周年を記念して寄贈したものだ。

そして、恵比寿神社も恵比寿駅から西へ少し歩いた、露地の奥にある。大阪では今宮戎神社、西宮神社など、恵比寿神を祀った有名な神社が数多くあり参拝客を集めているが、東京では珍しい。元は天津神社と言い駅前にあったが、1959年の区画整理の際に現在地へ移され、西宮神社から事代主命(恵比寿神)を勧請してこれを合祀。恵比寿神社に改めたお社だ。

また、恵比寿ガーデンプレイス内にも恵比寿神社がある。1893年に日本麦酒醸造が同じく西宮神社から恵比寿神を勧請したもので、歴史はこちらのほうがずっと古い。


恵比寿駅西口の待ち合わせスポット「ゑびす像」(筆者撮影)


恵比寿駅や町名より後に名付けられた恵比寿神社(筆者撮影)

サッポロビールの恵比寿工場は手狭になったため、1988年に千葉県船橋市へ移転させ、跡地の再開発を実施。これが現在の恵比寿ガーデンプレイスとなっている。バブル景気の崩壊にも影響され、オープンは1994年になった。サッポロビールは、本社も銀座からここへ移している。

これに先立ち、恵比寿駅の貨物取り扱いは1982年に廃止。ビール輸送の歴史も終わった。跡地を生かして、1986年からJR東日本の発足を経て1990年までの間、カートレインが恵比寿を発着駅としている。

これは旅客と自家用車を同時に輸送する列車で、寝台車と自動車用の貨車を連結していた。全盛期には全国展開されており、恵比寿発着の列車は札幌市内の白石との間を結んだ。当初は人気が高かったが、自家用車の大型化に伴って積載できないサイズの車が増えたために客が離れ、現在は運転されていない。

ヒット曲で知られた「アメリカ橋」

恵比寿ガーデンプレイスと恵比寿駅の間は、歩行者専用の通路「恵比寿スカイウォーク」で結ばれている。恵比寿駅の駅ビル「アトレ恵比寿」の3階にある東口から、ほぼ水平に進める通路だが、出口では地平へと出る。それだけ、駅のあるところとの間に高低差があるのだ。

それゆえ恵比寿駅の目黒側には、何本か山手線、山手貨物線をまたぐ橋がある。そのうち、恵比寿スカイウォークの出口脇、もっとも駅に近いところに架かっているのが恵比寿南橋。通称「アメリカ橋」で、その名称も橋に掲げられている。


アメリカ橋の愛称が掲げられた恵比寿南橋(筆者撮影)


アメリカ橋から見下ろした山手線(筆者撮影)

ここは1979年に狩人がカバーしヒットした『アメリカ橋』により、広く知られるようになった。歌詞の通り、恵比寿駅と目黒駅の間(ただし恵比寿のほうがはるかに近い)にあり、下を山手線が走る、鉄製の青い橋だ。

アメリカ橋と呼ばれる由来は、もともとこの橋が、1904年に開かれたセントルイス万国博覧会の展示物であり、それを日本の鉄道作業局が買い取って、鉄製の橋のモデル橋として1906年に現在地に架設したことによる。


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(土屋 武之 : 鉄道ジャーナリスト)