赤羽といえば活気のある飲食店街が人気。大学移転などもあって近年は若い層が増えている(写真:筆者撮影)

北区赤羽といえば首都圏有数のせんべろのまち。その飲み屋街を一掃しようという動きがある。地域を3分割した再開発の計画があり、そのうちの第一地区は2023年10月に市街地再開発組合設立認可申請書を提出しており、認可されるのは時間の問題だ(*)。

さらに、再開発に絡めて赤羽小学校、赤羽会館、赤羽公園といった公共施設再編の動きも出ているが、とりわけ小学校を含む再開発に対して住民が不信感を募らせている。何が起きているのか。

赤羽小学校が飲み屋街に位置するワケ

赤羽に飲みに行ったことがある人なら、飲み屋街に囲まれるように小学校があることをご存じだろう。明治9年(1876年)に開校、147年の歴史を誇る北区立赤羽小学校である。開校当初は寺に間借りしていたが、移転を繰り返し、現在の地に移転したのは明治35年(1902年)のこと。その頃の地図を見ると小学校の周辺は田んぼとなっている。


飲食店街の向こうに見える赤い門が赤羽小学校。150年近い歴史を持つ(写真:筆者撮影)

というのも、明治18年(1885年)に赤羽駅ができるまでこの地の中心地は岩槻街道の宿場町・岩淵だった。町名は「岩淵町」で、赤羽小学校も当初は町はずれにあったのである。

その後、赤羽駅ができたことで工場や陸軍施設などが相次いで誕生。駅周辺が繁華になっていった結果、飲み屋街に囲まれるようになった。もっとも、70〜80年前は東京一の商店街と称された、衣類や食品等を販売するごく普通の商店街だった。いまも青果店、呉服店などがわずかに残っているのがその名残である。

それが現在のようなせんべろの街に変わり始めたのは、2011年のエキュート赤羽の開業がきっかけだった。駅中の同業種に街中の商店が勝てるわけはないと、飲み屋に業態を変えた例が多かったと北区区議会の野々山研氏は語る。

そして現在、その飲み屋街一帯で飲み屋街を一掃する3つの再開発計画が進められている。開発自体は民間の発意である。赤羽を訪れたことのある人ならわかるだろうが、建築的に単独での建て替えが難しい区画もあり、かつ権利が複雑に錯綜してもいる。そこで、それらの問題を一度にひっくり返せる手として再開発を選択した。

実は、再開発計画自体は20年以上前にも一度持ち上がったことがある。

「小学校があるのは駅近くの一等地。開発のタネ地としてこれ以上ないほどの好立地で、開発推進派ならこれを動かせたらと思うはず。そこで周囲の飲み屋街を一体化して開発するという計画が持ち上がったのですが、地権者その他関係者が多すぎて頓挫しました。そこで今回は合意を得やすいように地域を3つに分けて進めています」と野々山氏は話す。

飲み屋街はタワマンに変わることに

先行する第一地区では、地上26階の店舗と約300戸の住宅からなる高層建築物が建つことになっている。第二地区、第三地区はメインストリートである赤羽一番街の赤羽小学校寄り、その向かい側と考えればわかりやすい。

第一地区は既存建物も比較的大きめのビルが中心だが、第二、第三地区は小規模な、赤羽らしい飲み屋が密集するエリア。今のところ、この2エリアは準備組合が設立された段階だが、このまま、計画が進行すれば赤羽の飲み屋街はタワーマンションに変わり、小学校はタワマンに囲まれることになる。


再開発エリアと赤羽小学校、駅、赤羽公園などの位置関係(出所:第2回 赤羽駅周辺地区まちづくり基本計画策定検討会 資料1令和5年10月2日 北区まちづくり部まちづくり推進課)

それに対して区のまちづくり推進課が出している「赤羽駅周辺地区まちづくりだより 赤羽PRESS創刊号」は「赤羽小学校の教育環境への配慮」と題した文章を掲載している。

「(前略)事業により建設される再開発ビルにより、日影やビル風などによる小学校の教育環境への影響が懸念されます。また、赤羽小学校は施設の老朽化により、校舎の建て替え時期を迎えているとともに、再開発ビル(集合住宅)からの生じる就学児童を受け容れることができる施設規模に拡充することが求められています」

タワマン3棟が建って環境が悪くなり、校舎も古く、拡充も必要だと説いた上で書いてはいないものの、暗黙のうちに導かれるのは移転である。

ちょうど近隣にはもう1つ、老朽化で建て替えを検討すべき建物がある。昭和57年(1982年)に建設された、築41年になる赤羽会館だ。道を挟んで向かいには赤羽公園があり、これらをまとめて建て替え、複合施設とすれば効率的ではないか。

そうすれば一等地である赤羽小学校の跡地を他の目的で使えることになる。跡地を売却すれば建て替えなどにかかる費用は賄えるという計算も成り立つかもしれない。

地元の協議会は移転におわす計画を否決

だが、これに対して地元からは反対の声が上がっている。2023年9月に地元の町会、商店街会、学校などが参加して開かれた「赤羽駅東口地区まちづくり全体協議会総会」では、幹事会がまとめた赤羽小学校の移転に含みを持たせたまちづくり提案を反対多数で否決。公園存続を決議し、区にその旨を要請した自治会もある。


赤羽小学校移転などに反対する市民の集まりでは街頭でのアンケート調査の結果が披露された(写真:筆者撮影)

同時期に2つの住民団体が赤羽小学校と赤羽公園は今の場所のままに整備することを求める署名2100余筆を区長に提出した。

それでも区は計画を諦めていないのだろう。2023年11月に配布された赤羽PRESS第2号では赤羽小学校周辺の再開発検討地などについて5つのシナリオを掲示。そのうち、シナリオ5は第二、第三地区と小学校を一体で計画するというものだった。小学校の敷地は現在の半分ほどとして書かれている。

このシナリオ5では、小学校を「個別敷地にする」「施設に複合する」「地区外に移転する」という3つのパターンが想定されており、すでに一度地元で否決された移転案が再度盛り込まれているのである。

また、施設に複合するという案は第二地区からの提案で、小学校を複合施設内に入れるというもの。現在建設中の東京ミッドタウンでは低層棟に中央区立城東小学校が入居しているが、それと同じようにビル内に小学校を移転させようというのだ。

「本来であれば学校の教育環境を守り、公共性を主張できるのは自治体。再開発の計画が出た時点で影響はわかっているのに、それを民間がやることだから自分たちには何もできないと容認してしまった」と野々山氏は指摘する。

「そのうえでタワマンができたら影響があるから移転しましょう、あるいはビルの中に入れますかね、と自分たちが誘導したい方向に持っていこうというわけです。また、開発、移転などの議論についての情報もあまり出されておらず、地元はそれにも不満を感じています」


反対署名を集めた市民団体では今後も同様の活動を続けるという(写真:筆者撮影)

小学校を地元への説明なく動かす問題

せんべろの街が消えるのは残念だが、個別建て替えができない防災的に懸念のある場所を再開発で更新するという考え方自体は否定しない。かつて赤羽が商店街から飲食店街に変わってきたように、街は変化するものであり、可能なら全体を一気に変える以外のやり方や、風情を残すやり方を選択してほしいが、どんな街にも適切な更新は必要だ。

だが、小学校や公園のような公共性の高い施設を開発側の要請や区の都合などで地元に説明なく、自分の持ち駒のようにあちこちに動かそうというのはどうなのだろう。「説明すると反対されるから言わずに進める」という考え方もあるだろうが、逆に説明なく進めるほうが後日のトラブルになりかねない。子どもたちはこのやり方をどう思うだろう。

個人的には区がまちづくり基本計画のミッションとして防災に資する空地の確保を挙げているにもかかわらず、赤羽駅周辺では貴重な赤羽公園に手を出そうとしている点が気になった。どこかにこれに代替する空き地があるのだろうか。区はそうしたこともきちんと説明すべきだろう。
 
(*)2023年12月1日現在、北区ホームページには北区長から東京都知事あてに、市街地再開発組合設立貧家申請書を副申しましたとあり、その後の情報は掲載されていない。

(中川 寛子 : 東京情報堂代表)