南米予選で見えた、出場枠増による「W杯の変質」 強豪国から緊張感が消え、弱小国のラフプレーが増えた
カタールW杯のあの興奮から1年が経とうとしている今、新たなW杯への出場権をかけての戦いが始まっている。アジア、ヨーロッパ、オセアニア、北中米、アフリカに先立って、真っ先に戦いの火ぶたがきって落とされたのが南米予選。10月までにすでに4節が行なわれている。
2026年のW杯は、参加国がこれまでの32チームから一気に48チームに増える。おのずと各連盟に割り当てられた出場権も大幅に増えてくる。
たとえば南米の場合、1994年のアメリカW杯までは10カ国が3つの出場権を争い、大陸間のプレーオフで勝てば4位のチームにもチャンスがあった。つまり本大会に出場できる確率は35%だった。1998年のフランスW杯以降は、参加国の数が24から32になったため、南米には4つの枠とプレーオフの権利が与えられ、その確率は45%になった。しかし、それでも10チームのうち半数以上が出場できないでいた。
こうした出場枠争いは、さまざまなドラマを生み出してきた。ブラジルは世界で唯一、これまでのすべてのW杯に参加しているチームだが、2002年には危うくその記録を失うところだった。不調のブラジルはチリやエクアドルなどに敗れたが、最終節のベネズエラ戦に勝利し3位を確定。どうにかプレーオフに回ることなく出場権を獲得した。
あの最終戦の緊張感。カステロンスタジアムは満員で、人々はブラジルが負けることへの恐怖でいっぱいだった。必死の祈り、そして勝利を得た時の安堵感。あの日のことは今でも忘れられない。そうした苦労の末出場した2002年日韓大会で、ブラジルは最終的に優勝を果たしたが、それは厳しかった予選を経たことと決して無関係ではないだろう。苦労して予選を突破したことが自信とモチベーションを与え、チームをよりひとつにしていた。
だが、もうこれからはこうした手に汗握る予選を見ることはまずないだろう。2026年W杯南米予選では10カ国のうち6.5チームがワールドカップに出場できる。つまり可能性は65%で、黙っていても半数以上がW杯に出場することになる。W杯出場のための努力は少なくなるだろう。
【予選が退屈でつまらないものに】
アルゼンチンやブラジルがW杯に出場できない可能性は、魚がワンと吠える可能性と同じくらい低くなるだろう。強豪チームは予選を全力で戦う必要がなくなる。もちろん選手が手抜きをすることはないだろう。しかし、意識のどこかに「簡単にW杯に行ける」という気持ちがあれば、それがプレーに影響を与えないとは言いきれない。
今月、W杯南米予選でコロンビア、アルゼンチンと対戦するブラジル代表(写真は10月のウルグアイ戦) photo by Reuters/AFLO
ここまでの4試合で、ブラジルの成績は2勝1敗1引き分け。内容がよかったのは引き分けたベネズエラ戦だけだ。もちろん今のセレソンの状態が悪いことも関係がある。監督は暫定だし、絶対的なスターもいない。だが、それを差し引いても試合の空気はどこか違っていた。「たとえ10試合負けたってW杯には行けるさ」。そんな気持ちがどこかにあったのではないか。ブラジル人は特にメンタルの持ちようがプレーに大きく響く。
今はまだ予選が始まったばかりだが、試合が進むごとに枠が増えたことの影響は大きくなっていくだろう。たとえばアルゼンチンはすでに4勝をしている。南米予選は全部で18試合ある。論理的に言えば8試合に勝てば、もう本大会出場は固い。そうなればわざわざヨーロッパでプレーするスター選手たちを呼び寄せることもしなくなるだろうし、選手たちも無理してまで勝とうとはしなくなる。すでに出場権を獲得した同士の、実質的な消化試合も増えてくる。予選はただの練習の場と化し、退屈でつまらないものになるだろう。
もうひとつ懸念されるのが弱小チームのプレーのあり方だ。ボリビアはこれまでW杯に3回(1930年、1950年、1994年)出場しているが、最初の2回は数合わせのために開催国(ウルグアイとブラジル)に近いボリビアに声がかかっただけだ。普通に予選を突破したのは1994年のたった1度しかない。つまり彼らは基本的にW杯をプレーするレベルにない。しかしそんなボリビアにも今回は十分に可能性がある。
これまでW杯をほぼ諦めてきたチームは、がむしゃらに勝ちにくるだろう。実力がないチームが勝つ方法、それはラフプレーで相手を止めることだ。ボリビアはここまでの4試合でイエローカード12枚、レッドカード1枚と予選で一番ファウルが多い。なぜかファウルは取られなかったが、ボリビア対パラグアイ戦では、相手MFの足首を明らかに狙ったプレーが問題になっている。
【スーパーマーケット化するW杯】
南米の選手は熱い。やられたらやり返したくなる。こうして試合の質は落ちていく。弱小チームのラフプレーの問題は、他の大陸での予選でもきっと問題になるはずだし、本大会においても大きな課題となるだろう。実力がないのにW杯に出るチームが増えれば、当然、危険なプレーが増える。世界的なビッグネームは、削られることを恐れながらピッチに立つことになるだろう。
32カ国制はバランスがとれ、理想的だった。だからこそ30年近くずっとこの体制が続いていた。しかしFIFAがそのバランスを崩してまで出場国数を増やした最大の理由は金儲けだろう。そのためにはビッグチームやスター選手を取りこぼさないことが重要だった。
たとえばイタリアはFIFAにとって大きなマーケットだが、2大会連続でW杯出場を逃してしまった。これはイタリアだけではなく、FIFAにとっても実は痛手だったのだ。だが、今回はまず出場を逃すこともないだろう(あったらそれこそ大問題だ)。また、世界的スターでありながら、代表チームが弱いためW杯と無縁だった選手たち、ノルウェーのアーリング・ブラウト・ハーランドやエジプトのモハメド・サラーも、ケガをしない限りはまず出場できるだろう。
それ自体はいいことだが、やはりあの緊張感、祈るような気持ちでボールの行方を見守ることは、予選では確実に少なくなるはずだ。FIFAはサッカーのエモーショナルを売り渡してしまった。48カ国に拡大されたデメリットは、メリットよりもずっと大きい。
W杯が人気なのは、世界のトップレベルが集まる大会だからだ。サッカーの神髄のプレーを見られるからだ。最も重要で、華麗で、楽しい大会。高級ブティックのように、選び抜かれた最高の品質の商品だけが並ぶ大会。それが今は、安価に何でも揃うスーパーマーケットのようになろうとしている。W杯自身の価値が下がってきてしまっている。
ブラジルは22回のW杯すべてに出ている唯一の国であることが誇りだった。しかし、誰もがW杯に出られるようになれば、それも価値が無くなってしまうだろう。私たちが知っているW杯が今、終わろうとしている。