国立劇場正面(2023年1月筆者撮影)

東京・半蔵門にある国立劇場はこの10月の歌舞伎公演で57年の幕を閉じた。老朽化や設備仕様の古さ等を理由に建て替えが決まり、PFI(民間資金を活用した社会資本整備)の手法で、劇場機能に加え、ホテルやオフィスを建設することが検討されている。新たな国立劇場の再開には7、8年を要するとされている。

しかし、その建て替え自体、入札が2度不調となり、予定が立たない状況に陥っている。すなわち、閉館は決めてしまったのに、そのあとの見通しがまったく立っていないのだ。このままだと休館期間がさらに延びる。

東京オリンピック、大阪万博の建設、維持費用問題に比べてあまり話題になっていないが、国立劇場は日本の伝統芸能の東京でのもっとも重要な発信地であり、その機能停止の長期化は影響が大きい。また建て替え費用と効果も問われる。舞台で演じる側の声も聞きながら、国立劇場建て替えの課題と未来について考えてみたい。

初回の入札には1社も応じず

2020年に国立劇場を運営する独立行政法人日本芸術文化振興会は、PFIを活用した新劇場の整備計画を発表したが、昨年10月の請負業者を決める入札には1社も応じなかった。やむなく同振興会は、事業内容を見直し、再び入札を行うことを決めた。

しかし、今年6月に行われた2度目の入札は、数社が応じたものの落札に至らなかった。その後、落札価額の調整などが行われたが、結局、すべての応募者が辞退する事態となった。最近の人件費や建設資材の高騰が要因とされ、振興会は3度目の入札の実施を検討しているが、その時期さえまだ決まっていない。

国立劇場は歌舞伎公演を中心とした大劇場(1610席)、文楽公演、各流派の舞踊公演の自主公演などで利用が多い小劇場(590席)と別館の落語等で使用される演芸場(300席)がある。

また、国立劇場裏に伝統芸能情報館があり、歌舞伎俳優、歌舞伎音楽の囃子方など伝承者の養成を行っている分室もある。敷地総面積は約3万1000平方メートル、建物の延べ面積は約3万4000平方メートルだ。

日本では、建物は50年ほど経つと老朽化を理由に取り壊して建て替えることが当たり前のように行われている。しかし、ヨーロパでは修理修繕を重ねて100年以上使うこともよくある。国立劇場も改修ではダメなのだろうか。

そもそも国立劇場は歌舞伎座や新橋演舞場などの民間劇場と違って、広大な敷地面積を有し、建物もゆったりしている。その分、改修も容易だろう。観客として建物内に立ち入るとロビーは荘厳で広々としており、客席もきれいでまったく老朽化を感じない。エスカレーター、エレベーターも整備され、バリアフリーも進んでいるように見える。


古さを感じさせないロビー(2023年1月筆者撮影)

劇場のあり方が現代に合わず?

とはいえ、舞台裏の状況は観客の立場からはうかがい知れない。そこで演芸場の利用が多い落語家の立川平林さんに聞くと、「舞台裏もきれいで、まったく古さを感じたことはない」と言う。舞台設備がそれほど重要ではない落語上演には支障のないレベルのようだ。ただし、「大劇場に足を踏み入れた際には、年季を感じた」とのことだ。

小劇場の利用が多い文楽の太夫・豊竹咲寿太夫さんは、「水管などの細部の内部構造が老朽化しており、大々的に解体することが不可欠と説明を受けている。雨漏りなどでそういった老朽化を感じることもある。バリアフリーなどの観点も鑑みて、アップデートは確実に必要と感じる。また、各階を繋ぐエレベーターが1台のみで、道具担当、各業務の職員、芸人がその1台を使わなければならず、やはり60年近く前に建てられた時代性なのだろう」と言う。

楽屋ではバリアフリーや動線の観点から考えると、時代から取り残された古い建物だと感じるということだ。

オフィスにしてもマンションにしても修繕を繰り返すことによって寿命を延ばしている。しかし、57年という年月が経過すれば、もはや建て替えしか選択肢がなかったということであろうか。

あるいは劇場のあり方という思想の変化が大きいのかもしれない。新しい建物に入ると、ハード面だけではなく、設計思想が昔とは異なると感じることはよくある。

2020年に日本芸術文化振興会は「国立劇場再整備基本計画」を発表。そこでは

再整備後の開場時期は、遅くとも10年後を目指す。なお、再整備に伴う休館期間は、実演家の技芸や公演制作の技術等を途切れなく伝承するため可能な限り短くする。

とある。しかし、前述のようにいまだ入札不調で再整備事業自体がスタートしていないのだ。すでに先月、現国立劇場は閉場してしまったから最短でも10年は休館期間になる可能性が高い。3回目のPFIによる入札の時期が遅れ、さらに入札不調となればまったく先が読めなくなる。

関係者は建て替え中の長期休館を危惧

日本舞踊家・藤蔭善次朗さんは「敷地内に3つの劇場(大劇場・小劇場・演芸場)があり、それがまったく使えなくなってしまうことの影響は大きい」と話す。

国立劇場は、歌舞伎座や浅草公会堂と違って人通りが多い立地ではなく、観光名所という雰囲気もないが、舞踊会を開催する際にとても使い勝手がよいとの意見で、「休館中の東京での舞踊会はおそらく浅草公会堂や日本橋公会堂がメインに使われる。この2つの劇場が奪い合いになる」と想像する。

もっとも影響を受けるのは文楽だろう。豊竹咲寿太夫さんは、「文楽には非常に影響が大きい。文楽座は年間の3分の1ほどを国立劇場で公演してきた。歌舞伎とは違い、芸能事務所や会社を持たない文楽座は国立劇場という固定の劇場での長期公演に頼るほかないのが現状」と言う。

また、太夫・三味線が使う「床」や「盆」、人形遣いの舞台の構造である「船底」など、特殊な舞台構造が必要となり、劇場の代替えは難しい。その結果、東京での公演はそうした専門の舞台構造を持たない劇場を借りるしかないので、劇場によっては上演できる演目なども絞られる可能性がある。現在は不確定要素が非常に多く、関係者の不安は膨らんでいるようだ。


手入れも行き届いている国立劇場の観客席(2023年1月筆者撮影)

国立劇場は休館中に主催の公演を行えないわけだが、「実演家の技芸や公演制作及び舞台技術に係る知見等の継承や、学校団体等の活動に支障をきたすことから、休館期間中にも可能な限り公演事業を継続させることが必要である」(前掲の基本計画)とし、公演事業を継続するための代替案として、次のようなことが考えられとしている。

・振興会の所有する各劇場(新国立劇場、国立能楽堂、国立文楽劇場)の使用を優先的に検討する。

・都内の文化施設での公演実施を検討する。

・各地の文化施設等での地方公演の実施を検討する。

新国立劇場は東京渋谷にある劇場で大中小3つの劇場を有する。しかし、オペラやバレエ、現代演劇等の上演を想定した設計で、花道の仮設は困難だろう。

国立能楽堂は東京・渋谷にある客席数591席の能舞台だ。本舞台下手に橋掛かりという花道のような舞台がある。

また国立文楽劇場は大阪にある。

新しい国立劇場はどのような姿になるのか

建て替え事業の概要は、概算事業費800億円(未公表だが、日刊建設工業新聞が自民党・文化立国調査会報告での数字として報道)で、BTO(建設・移管・運営)方式のPFIを導入する。施設整備とともに維持管理と運営を民間事業者に任せる。建ぺい率50%、容積率約500%が上限だ。

2020年3月の基本計画では、新施設は大劇場・小劇場・演芸場、伝統芸能伝承のための研究施設などの機能を入れた総延べ5万1400平方メートル程度の規模を想定。低層部に劇場を配置し、併せてホテルやレストランなど民間収益施設を建設する。劇場部分以外の未利用容積を活用して民間収益施設を整備し、定期借地権契約で土地代の収入を得る仕組みだ。

新劇場は「伝統芸能の伝承と創造の中核拠点」と位置づけられ、「国内外の人々の交流を生み出す文化観光拠点」を目指す。「日本らしさ」を演出し、観劇チケットを持たない人も利用できるグランドロビーを設け、レストランやホテルと一体化する計画だという。

しかし、2度目のPFI事業者入札ですべての応募者が辞退したということは、今ある半蔵門で伝統芸能ほか舞台公演によって観客を集め、かつ、作った建物で利益を生むことは難しいと判断された可能性が高い。

そこで「新たな国立劇場を築地に移転しては?」と主張するのは、評論家・翻訳家で文楽や歌舞伎に造詣が深いゲーリー・パールマンさんだ。

半蔵門という場所は、外堀通りを挟んで皇居に面し、江戸時代からのお城の趣が感じられる地である。だが、最寄りの半蔵門駅の駅施設は小さく、劇場の隣も最高裁判所で、観光地でも大きなオフィス街でもない。そんなところに消費者はわざわざショッピングやレストランでの食事を楽しみに来るだろうか。

「芝居を観に来る観劇者と、ホテルの宿泊者だけを頼りにするプランでは、そもそもたくさんの人を集め、消費活動をしてもらうことにつながらないだろう。PFIが失敗したのも、やはり民間企業はそれを懸念しているからではないのか」(パールマンさん)。

銀座界隈の地の利を生かせれば

この問題を解決するのが、国立劇場の場所自体を移動する大胆な案だ。「例えば旧築地市場跡地など銀座界隈はどうだろう。銀座、築地自体を目的に来る人々がいる。そして、松竹系の歌舞伎座と演舞場、東宝系の宝塚劇場、日本生命の日生劇場、劇団四季の「海」(汐留)などが近接しており、半蔵門と比べて集客は格段にしやすい」と熱く語る。

【2023年11月10日8時35分追記】初出時の「日生劇場」の所有者についての表記を修正しました。

たしかにこの地域で国立劇場がその一群に入れば、「東京版ブロードウェイ」として、世界に売り出すチャンスにもなるだろう。この地の利があれば、劇場と同じビルにホテルや小売店、娯楽施設なども誘致しやすくなり、利益の上がる施設になるだろう。

パールマンさんは、さらに新たな国立劇場のコンセプトについても言及する。歌舞伎の場合、観劇者からすると、普通の劇場より由緒ある歌舞伎座で観たいという気持ちが強い。劇場自体が異空間の体験の場でもあるからだ。ならば国立劇場はさらにその先を行ってはどうかという提案だ。

「例えば、客席を江戸時代を思わせる升席風の造りにする等、歌舞伎座や他の近代劇場とは一味違った雰囲気を出すこともできるのではないか。故中村勘三郎が浅草などに仮設した平成中村座を参考にしてもいいだろう。工夫次第で東京の他の劇場と差をつけ、観劇者がそこに行く動機付けになる。日本にしかない雰囲気は訪日客にも魅力的で、インバウンド需要に貢献することになる」と言う。

ゲーリー・パールマンさんの話を聞いて、思い浮かんだのは、大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」だ。江戸、明治、大正、昭和の住まいの博物館で、中でも江戸時代の展示が圧巻だ。ドーム型空間に天保年間(1830年代)の大坂の町家を実物大で再現している。

「ここは大坂町三丁目という架空の町です。200年の時空をさかのぼり、大坂の商家の賑わい、天神祭の飾り付け、四季折々の年中行事、そして日々の暮らしを体感してください」とある。

そこで提案だが、新しい国立劇場は、劇場の外に江戸の街並みを作ってはどうだろうか。そこは芝居小屋、食事処、飲み屋、駄菓子屋、呉服屋などが並ぶ江戸時代の商店街とする。無料でもよいし、多少の入場料を取ってもよいだろう。そこに大小3つの芝居小屋を作る。

「木戸銭」を払って中に入ると実は大きな劇場という趣向だ。内部も徹底的に江戸風情にこだわってはどうか。江戸東京博物館のように日本橋を渡って芝居小屋に行くなどという趣向もよいかもしれない。

豊竹咲寿太夫さんも同様の意見だ。「例えば兵庫の宝塚大劇場のように、その地に降り立てば『これから演劇の世界に浸ることができるのだ』という地域を巻き込んだブランド戦略が重要」と話す。

建築を含めソフトの面でも再構築し、観客が夢の中に入っていけるような世界観を醸し出すことが必要だろう。


大阪くらしの今昔館の江戸時代の街並み(筆者撮影)

政治主導が必要ではないか

ゲーリー・パールマンさんの提案には、長年演劇製作に携わり、海外公演も多く経験する中野正夫さんも賛同する。国立劇場を築地に移転して建て替えるなど、政治主導でなければ実現しない。そこで中野さんは岸田文雄首相の事務所に文書で提案したという。

最近、同跡地は再開発のために東京都が民間事業提案を行った。もし政治主導でこのような計画が実現できたら拍手喝采だろう。しかも、半蔵門の土地の売却等と、築地の土地の取得に時間差が生じることの手当てができれば、現在の国立劇場で興行を続けながら築地で新しい国立劇場を建設でき、休館しないで済むのだ。

この提案が実現したら、経済政策、文化政策、観光振興政策としても効果が大きい。はたしてこれは単なる夢に終わるだけだろうか。

(細川 幸一 : 日本女子大学教授)