なぜヒトは閉経後も長く生きられるのか。解剖学者の養老孟司さんと生物学者の小林武彦さんとの対談を収録した『老い方、死に方』(PHP新書)から一部を紹介する――。
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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TakakoWatanabe

■チンパンジーに「老後」はない

――日本ではいま、人口の3割を65歳以上の高齢者が占めています。そのなかでシニア世代にはどのような役割があるのか。小林先生は生物学的視点から、どのように考えていますか?

【小林】動物学的には、子どもを産めなくなった時期、つまりメスの閉経を「老化」、それ以降を「老後」としています。その定義で言えば、ヒト以外の哺乳動物で老後があるのは、シャチとゴンドウクジラだけなんです。ヒトとゲノムが99%同じチンパンジーでも、死ぬ直前まで排卵があって生殖可能なので、老後はありません。寿命は40〜50歳です。

ではなぜヒトの女性は、50歳前後で閉経した後も30年以上生きるのか。進化学の世界ではその理由の一つを、おばあちゃんは若い世代の子育てを手伝うなどの役に立つからだとしています。これを「おばあちゃん仮説」といいます。もう少し詳しくお話ししましょう。

ヒトのご先祖様は今で言うところの類人猿のように、体が毛で覆われていました。変異で徐々に体毛を失い、いまの姿になったわけです。そのためヒトの赤ちゃんは、チンパンジーやゴリラのように母親にしがみついて移動できなくなりました。大人に抱っこされ、世話をしてもらわないと生きられなくなったのです。

■シニアがいたからホモサピエンスは生き残れた

【小林】親からすればそれは、子育てに大変な時間と労力がかかるようになったことにほかなりません。そこでおばあちゃんの出番です。閉経後の女性が、子どもの子育てを手伝う、あるいは子どもに代わって孫の世話をするという使命を担う必要が生じました。閉経したからといって、人生を終わりにするわけにはいかなくなった。結果、ヒトは老後の人生を生きることになったんです。これは男性(おじいちゃん)も同じだと思います。

生物学的に言えば、おばあちゃんやおじいちゃんが長生きな家庭が、より子どもを多く残せて選択されたということになります。

また男女を問わずシニアには、若い世代の子育てを手伝うことに加えて、社会をまとめるという重要なミッションがありました。シニアがこれら2つの役割を果たしたことが、結果的に乳幼児の生存率を上げ、同時に生き延びるのに有利な集団が形成されていったのではないかと、私は考えています。

一説では「私たちの祖先のホモサピエンスは、集団が大きかったことが幸いして、ネアンデルタール人やデニソワ人との戦いに勝利した」とも言われます。つまり老化した後も社会の役に立つ人たちのいる集団が生き残り、彼らの子孫としての私たちが存在している。

現代人の寿命がここまで延びたのは、シニアが社会に求められて存在しているおかげだと見ることができます。

■定年制に反対するワケ

――定年退職して、そのまま社会生活からリタイアしたのでは、シニアとしての使命を果たしていないことになりますね。

【小林】そう、だから私は年齢で一律に解雇する定年制には反対です。辞めたかったら定年を待たずに辞めて、ほかのやりたいことをやってもいいし、会社に残って働きたい人はいくつになろうが仕事を続ければいい。定年制の名の下にシニアを排除していくようなシステムはあってはいけないと思いますね。

いま、一生懸命働いているシニアに向かって「老害」と揶揄したり、社会から排除しようとしたりする向きが一部であります。誰だってやがて年を取るのに、そういう見方はないだろうと違和感を覚えます。

シニアが社会基盤を整えて、そのうえで若い人が自由にイノベーティブに生きる。そういう2層構造があるからこそ、人間の社会は高い生産性を達成でき、発展していくのです。若者だけだったら、自分たちが欲望のままに暴走するのを誰も止められず、社会の秩序が乱れてしまうかもしれません。いいことはあまりないように思います。

写真=iStock.com/YOSHIE HASEGAWA
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【養老】高齢化社会がマイナスイメージで語られることが多いのは、人口が右肩上がりで増えていった時代の価値観が、少子高齢化社会になったいまもなお固定化したままだということが関係しているのではないでしょうか。

■69歳を超えたら積極的な医療を提供しない

【養老】人口分布の変化は誰かが意図してこうなったのではありません。人口がどう推移しようと、本来、いいも悪いもないはずです。高齢化社会にだって必ずプラスの面、マイナスの面がある。それなのにマイナスの面ばかり強調する風潮がありますよね。

典型的なのが医療制度です。高齢者人口が増える一方で、このままだと制度を担う若い世代がいなくなると、盛んに言われています。

だったら「人口は放っておいてもひとりでに増える」という時代に合わない価値観は捨てて、医療制度を変えればいいんです。そうすれば医療自体も変化します。たとえば「69歳を超えた人には、がんになっても積極的な医療を提供しない」と決めるといった方法もありますね。実際、そう提唱している専門家もおられます。

■医療に対する考え方を変えるべき

――えっ、医療を受けさせないということですか?

【養老】そうではありません。いまはがんが発見されたら手術をして切除するのが当たり前と考える人がほとんどでしょう。しかし患者の年齢を考慮して制度が設計されれば、手術をしないという選択肢を提供できると思うんです。

とくに高齢になると、手術は体への負荷が大きくて患者は大変です。コストもかかる。それに若い人と違って進行が遅いから、体への負担の軽い投薬治療や生活習慣の改善などで対応するほうが楽に生きられる可能性も高い。「医療崩壊」などと騒ぐ暇があったら、そういうふうに医療に対する考え方を変えていくことも必要でしょう。

少々話がずれますが、GDPの問題もそう。「GDPは右肩上がりで増えていくもの」という時代錯誤の価値観があるから、増えないと「何とかしないと大変だ」と不安になる。人口が減っているのだから、GDPが増えないのは当たり前。しかも私の直感では、数字の裏に環境問題があるように思えてなりません。

■「失われた20年」は悪い話ではない

日本人はもういい加減、環境破壊につながるようなことをやりたくないんですよ。実際、公共投資の人気がなくなっていますよね。巷間、「失われた20年」などと言われていますが、それもかつてに比べると公共投資が減っていることの裏返し。仮にこの20年、経済成長し続けていたとしたら、二酸化炭素排出量はとんでもないことになっていたでしょう。

日本は3年連続で「CAN(Climate Action Network)」という環境NGOから「本日の化石賞」なる不名誉な賞をもらっているそうです。何でも気候変動対策に対して足を引っ張った国に与える賞だそうですが、的外れも甚(はなは)だしい。日本は失われた20年で、成長と引き換えに二酸化炭素排出量をかなり抑えたんです。胸を張ってもいいくらいだと、私は思いますね。

■シニアは国のお荷物ではない

【養老】私が言いたいのは、価値観が昔に固定されているのが良くないということです。

【小林】シニアを社会から排除することの背景にも、それがありますね。現実問題、シニアは国のお荷物なんかになりません。

経験知が高いのはもちろん、バランス感覚が良くて、私利私欲が少なく、国のためにがんばろうという気概がある。そんな人材はシニアのほうが若者より圧倒的に多いのではないでしょうか。しかも子育てやマイホームにかける費用がない分、シニアに高い給料は不要です。

■論文の世界ランキングで凋落したワケ

――人材市場も今後は「若くて潑剌としている人を求める」ような偏りがなくなっていくことが期待できそうですね。

【小林】そうなると「高齢者」とか「老人」といった呼び方は落ち着きが悪い。「シニア」がいいですね。定義は「私利私欲が少なく、世のため人のために活動する人」といったところでしょうか。そういうシニアが増えると考えれば、高齢化社会をプラスに捉えられますよね。

――大学の現状はどうですか? シニアが排除されるような傾向はありますか?

養老孟司『老い方、死に方』(PHP新書)

【小林】それ以前の問題として、研究の分野が2009年ごろからまったく伸びていません。文科省の科学技術・学術政策研究所が行った2022年の調査によると、2018年から2020年における、自然科学分野で多くの研究者に引用された「質の高い科学論文」の世界ランキングで、日本は上位10位圏外に転落しました。また2018〜20年の年平均数では、引用数が上位10%に入る質の高い論文の数が日本は3780本で、前年の10位から12位に後退しています。首位の中国とは10倍超の差をつけられ、11位の韓国にも追い抜かれました。

20年前はアメリカ、イギリス、ドイツに次ぐ4位で、10年前は6位と、下落傾向に歯止めがかからない状況です。ある意味、研究者人口が減っていて、予算も増えておらずしようがない部分はあります。けれども、定年制を利用してシニアの研究者を積極的に排除していったことも無関係とは言えないでしょう。

定年を過ぎてもまだまだ研究を続けられる人はたくさんいると思いますよ。現にアメリカの大学は教員に定年制がなく、多くのシニア研究者が活動を続け、分野を牽引し、若手を育てています。定年による線引きはなくしたほうがいいと、私は思っています。

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養老 孟司(ようろう・たけし)
解剖学者、東京大学名誉教授
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、毎日出版文化賞特別賞を受賞し、447万部のベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)のほか、『唯脳論』(青土社・ちくま学芸文庫)、『超バカの壁』『「自分」の壁』『遺言。』(以上、新潮新書)、伊集院光との共著『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所)、『子どもが心配』(PHP研究所)など多数。
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小林 武彦(こばやし・たけひこ)
東京大学定量生命科学研究所教授(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野)
1963年、神奈川県生まれ。九州大学大学院修了(理学博士)、基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て現職。前日本遺伝学会会長。現在、生物科学学会連合の代表も務める。生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすべく日夜研究に励む。海と演劇をこよなく愛する。著書に『寿命はなぜ決まっているのか』(岩波書店)、『DNAの98%は謎』(講談社ブルーバックス)、『生物はなぜ死ぬのか』『なぜヒトだけが老いるのか』(以上、講談社現代新書)など。
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(解剖学者、東京大学名誉教授 養老 孟司、東京大学定量生命科学研究所教授(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野) 小林 武彦)