09年の授賞式。「何事もチャレンジ」と檀上では英語でスピーチ。写真:西森彰

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 岩渕真奈が、引退を発表した。

 その才能が、世界の注目を集めるようになったのは、2008年のU-17女子ワールドカップから。ベスト8で敗退しながら、見るものを虜にする数々のプレーで大会最優秀選手に選出された。同年には、アジア女子年間最優秀ユース選手賞も受賞した。

 翌09年にはU-19女子アジア選手権に飛び級で臨む。開催地となったのは中国、三国時代の係争地・荊州の武漢。三国志演義で多用される表現を用いれば「袋の中のものを取り出すように」重要なゴールを奪い、大会最優秀選手に選ばれた。

 前年に続き、この年もアジア女子年間最優秀ユース選手賞を受賞した。11月に授賞式が行なわれるマレーシアのクアラルンプールで、岩渕に「壇上へ上がったら、スピーチは日本語? それとも英語?」と尋ねると「英語でしようと思います」。そして、付き添いのスタッフに「何事もチャレンジですよね。チャレンジ&カバー!」と、屈託のない表情を見せた。

 引退の報を耳にして、最初に思い出したのが、その時の笑顔だった。

 なでしこジャパンが、世界の頂点にのぼった2011年の女子ワールドカップでは、チーム最年少の選手として参加した(当時18歳)。そしてニュージーランドとの初戦、タイスコアで迎えた後半に、途中交代で出場すると「彼女には徹底的にやらせた」(寺谷真弓/現・東京ヴェルディアカデミーダイレクター)というトレードマークのドリブルを繰り出す。ニュージーランドの選手を幻惑し、決勝点となる宮間あやのフリーキックにつなげた。

 ひときわ小さな身体で、大柄な選手をきりきり舞いさせる姿は、誰の目にも爽快だった。そして、鮮やかに咲く姿は、次代のなでしこの蕾を育んでいた。下の世代の選手からは目標とされ、憧れともなった。
 
 彼女の姿を見て、サッカーを始めた選手も多い。「将来は、岩渕選手のような選手になりたいです」というコメントは、育成年代の取材現場では、ほぼ100パーセントに近い確率で耳にした。

 ともに世界一を勝ち取った、岩渕からすると「お姉さんたち」の視点は、また異なる。世界一に輝いたフランクフルトでの、アメリカとの決勝戦。岩清水梓がレッドカードと引き換えに決定機を防いだあと、なおも残ったアメリカのフリーキック。

 左に流れたボールへ真っ先に反応し、こぼれ球を押し込もうとするアメリカの選手たちの前に立ちふさがったのが岩渕だった。

 1対3に近い危機的な状況で、最後はシュートを狙うトビン・ヒースの前に、小さな身体を投げ出す。これが、価値あるシュートブロックにつながった。

 岩渕を語る時に、このシーンに言及する、なでしこジャパンの先輩は少なくない。レジェンドたちから、卓越した足もとの技術以上に評価されたのは、10代にしてチームのために何ができるかを考え、その場で実行する。その姿勢だった。

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 2012年のロンドン五輪、15年の女子ワールドカップと、2大会連続で世界2位。15年大会の準々決勝オーストラリア戦では決勝ゴールを奪い、「初めてチームを勝たせる力になれた」と喜びを見せた。

 16年のリオ五輪予選敗退後は、チーム状態や自身のコンディションが苦しい時期も少なくなかった。空を悔しそうに仰ぐ姿こそ垣間見えたが、常にベクトルは自分に向け、状況を好転させるために力を注いだ。

 徐々に2011年組が減っていくなか、先輩から受け継いできたバトンを、若い選手へつないだ。時代の変化を考えながら、無理強いするのではなく背中で示しながら、新しい力も認め、そのやり方も尊重した。

 たった1つだけ、バトンを受け取った後輩たちが、岩渕を反面教師にすべき点があるとすれば、負傷を抱えていても、とにかく大好きなサッカーをやり切ろうとしたところだろうか。

 治すべき怪我は無理をせず、しっかりと治して、怪我をする前よりもパワーアップして戦線に復帰する。そうすれば、まだまだ岩渕のプレーを見ることができたかもしれない。
 
 2008年にゴールデンボールを獲得したニュージーランドで行なわれた女子ワールドカップで、再び大歓声を受ける姿を、19年の女子ワールドカップでの忘れ物をパリ五輪で取り戻る姿を、想像してしまう。

 勝負の世界で禁句となる「たら」「れば」は、悲運のヒーロー、ヒロインへの判官贔屓から生まれることが多い。10代でワールドチャンピオンの一員になり、国民栄誉賞をもらっている選手であるにもかかわらず、そういう文脈が生まれるところにも、人々を惹きつけてやまない岩渕真奈のストーリーがある。

 スパイクを脱ぐことを決意した瞬間に「全部、やり切った」と、14年前のような笑顔で振り返ることができたのなら、本人にとってそれが最高のサッカー人生だったということだ。たくさんのファンと同じように「今まで、ありがとう」と心を込めて伝えたい。

取材・文●西森彰(フリーライター)