現役慶大生の飯村一輝。セカンドキャリアを見据えながら文武両道を貫いている【写真:積紫乃】

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連載「10代逸材のトリセツ」、飯村一輝(フェンシング)後編

 日本スポーツ界の将来を背負う逸材は幼少期からどんな環境や指導を受けて育ち、アスリートとしての成長曲線を描いてきたのか――。10代で国内トップレベルの実力を持ち、五輪など世界最高峰の舞台を見据える若き才能に迫ったインタビュー連載。今回は7月にイタリア・ミラノで行われたフェンシング世界選手権で、男子フルーレ団体の一員として史上初の金メダル獲得の快挙を達成した19歳の飯村一輝(慶應義塾大学)だ。後編では、スポーツ推薦ではなく入試を経て慶大への進学を決めた進路選択について振り返る。文武両道を目指した背景には、高校1年生でフェンシングの日本代表選手となり、海外を転戦したことで得た“気づき”があった。(取材・文=松原 孝臣)

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 飯村一輝は現在、慶應義塾大学2年生。総合政策学部に籍を置く。スポーツ推薦ではなく、入試を経て合格した。

 それは高校時代までの間も勉強を怠らなかった、勉学にも努力してきたことを意味する。いわゆる「文武両道」を歩んできた。

 飯村はフェンシングでも早くから頭角を現してきた。だから高校を卒業するにあたって、勧誘も受けたという。

「『MARCH』(明治、青山学院、立教、中央、法政大学を指す)だったり早稲田だったり、そのほかにも声がけをしていただいたところはありました」

 競技のことだけを考えれば、進路について別の考え方もあっただろう。それでも慶應を受けた理由をこう語る。

「端的にはセカンドキャリアのためです。やっぱりフェンシングってマイナースポーツで、フェンシング1本で食べてはいけません。正直フェンシングだけじゃきついです。自分が引退した時に何が残るかなって考えた時に、やっぱり学生時代に積み上げてきた勉強だったりキャリアだったりするので、そういった点で慶應で勉強しておくことは引退後の人生に大きく関わってくるかなと思いました」

 アスリートのセカンドキャリアの重要性や、いかに競技から退いた後を考えておくことが大切か、近年はよりクローズアップされるようになっている。飯村は早くから実践していることになる。その契機は、フェンシングに打ち込む中にもあった。

「フェンサーの中には仕事と両立している外国人選手だったり、バリバリに勉強しながらフェンシングをやっている人とかいます。むしろ勉強しながらするのが主流になってきている感じがしています。早くから海外遠征を回らせてもらっていて、早い段階から海外のトップアスリートがそうしているのを体感してきました」

フェンシングと勉強を両立するための工夫

 国内のみならず、グローバルに目を向ける機会があり、そこで気づいたからこそだった。

「フェンシングは相手との駆け引き、考えてやるスポーツでもあるので、そういった点でも賢くなっておいて損はないかなと思います。ただ、自分が引退間近になって何も残っていないみたいな状況にはなりたくないなと思って、今のうちにやっておこうと思いました」

 高校1年生で日本代表として海外遠征を経験したのを皮切りに、国際的な視点も得た。勉強を頑張ろうという意志の力になったのは、「環境」だと言う。

「僕が通っていたのは中高一貫校(龍谷大学付属平安高等学校・中学校)でした。そのため中学生の頃から高校生で学ぶことを先取りするような感じで勉強していました。その中でお互いに切磋琢磨しあう感じでしたね。高校3年の時には国公立文系コースで勉強していて、周りは国公立をゴリゴリに受験するような人たちだったので、そういった環境の中で勉強できたのも良かったと思います」

 ただ、海外遠征は貴重な視点をもたらした一方で、活動があればその分、勉学にも影響を与える。飯村はどのように両立を図ってきたのか。

「遠征先でも飛行機の移動中でも勉強して、穴をいかに埋めるかを考えていました。隙間時間ってやっぱりあるじゃないですか。練習と練習の合間だったり、寝る前だったり。遠征はヨーロッパが多いですけど、勉強をすることで時差調整をしたり、そういう工夫もしていました。上手く時間を作り出して先取りで勉強していて、先生に『お前、俺いるか?』と言われてちょっと嬉しかったり、『遠征に行っているのになんで点数が取れるの?』みたいなクラスメートとの掛け合いもけっこう楽しくて(笑)」

 そうしたこともモチベーションとなった。

 大学生となってからも、両立を図る日々は変わらない。

「数週間単位でボコッと抜けちゃうので学校との両立はしんどいですけど、中高の頃からずっと学校とフェンシングの遠征は両立してきていますし、大学2年の夏を迎えて慣れてきて、先生とのコミュニケーションだったり、そういった点でもやりやすくなってきたかなと思います」

両立の根底にあるセカンドキャリアを見据えた視点

 その両立の根底にあるのは、やはりセカンドキャリア、これからの人生を見据えてのこと。だからフェンシングで成績を残していくことの重要性を認識する。

「(オリンピックの)メダルを持っているか、持っていないかというのはすごく左右されます。セカンドキャリアのためにも、将来の自分の人生のためにも、メダルを獲得することは大きな意味があるのかなと思っています」

 これからの人生を見据えているからこそ、フェンシングと学問の両立を図ってきた。簡単なことではなくとも、環境も得つつ、その中で最大限に工夫を凝らし、怠ることなく過ごしてきたからこそ、両立できた。

 その力はフェンシングでも生かされてきたからこそ、早くから頭角を現し、期待を集めるまでになった。

 今、飯村一輝はフェンサーとして、確かな足跡を残すべく懸命に励んでいる。

■飯村 一輝(いいむら・かずき)

 2003年12月27日生まれ。京都府生まれ。五輪銀メダリストの太田雄貴を指導した父・栄彦氏の影響を受け、小学校からフェンシングを始める。15歳で男子フルーレの日本代表に初選出されるなど頭角を現すと、22年4月の世界ジュニア選手権で金メダルを獲得。今年7月にミラノで行われた世界選手権では男子フルーレ団体の一員として史上初の金メダル獲得に貢献した。慶應義塾大学総合政策学部2年。妹の彩乃も女子フルーレの日本代表選手。

(松原 孝臣 / Takaomi Matsubara)

松原 孝臣
1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材している。