刑事ドラマがいつの時代も愛されている理由とは(画像:フジテレビ公式HP

刑事ドラマは、医療ドラマと並んで連続ドラマの定番中の定番だ。今期(2023年春〜夏)も福山雅治主演『ラストマンー全盲の捜査官ー』(TBSテレビ系)や木村拓哉主演『風間公親−教場0−』(フジテレビ系)など、併せて5本もの新作刑事ドラマが放送されている。なぜ刑事ドラマはこれほど栄え続けるのか? 歴史をさかのぼりつつ、その理由を探ってみたい。(文中敬称略)

刑事ドラマは意外に自由で多彩

どの世代にも、記憶に残る刑事ドラマがあるのではないだろうか。古くは『七人の刑事』や『特別機動捜査隊』。そして『太陽にほえろ!』『Gメン’75』、さらには『あぶない刑事』『はぐれ刑事純情派』『踊る大捜査線』『相棒』など、主だったところだけでも数え挙げればきりがない。

刑事ドラマの骨格自体はきわめてシンプルだ。なにか事件が起こり、刑事たちが捜査の末に犯人を逮捕する。その事件解決にあたって刑事たちが披露する華麗なアクションや鋭い推理がクライマックスで、そこに私たちが感じる爽快感や鮮やかさが刑事ドラマの醍醐味であることは間違いない。

一方で、刑事ドラマは意外に多種多様でもある。今期放送の5本にも、そのことははっきり見て取れる。


福山雅治主演、大泉洋共演の『ラストマンー全盲の捜査官ー』は、FBI捜査官と警視庁刑事がタッグを組んで事件を解決するバディもの。ユーモラスな掛け合いや2人の複雑な因縁あり、推理やアクションの見せ場ありの刑事ドラマの王道といったところだ。


福山雅治主演、大泉洋共演の『ラストマンー全盲の捜査官ー』は、FBI捜査官と警視庁刑事がタッグを組んで事件を解決するバディもの(画像:TBSの公式HPより)

木村拓哉主演『風間公親−教場0−』にもバディものの要素があるが、刑事指導官と新米刑事という「先生と生徒」的な関係性なのがユニークだ。それもそのはず、これまで警察学校を舞台にしたスペシャルドラマとして評判を呼んだ『教場』シリーズの連ドラ化である。

また『特捜9 season6』(テレビ朝日系)は、人気刑事ドラマの最新シリーズ。警視庁捜査一課特別捜査班チームの活躍を描いたもので、井ノ原快彦演じる主人公の刑事は人情味豊かでもある(こちらは放送終了し、同じ枠でやはりシリーズものの『刑事7人 Season9』が始まった)。

桐谷健太主演の『ケイジとケンジ、時々ハンジ。』(テレビ朝日系)は、刑事、検事、そして判事というそれぞれの事件とのかかわりかたをフィーチャーした内容で、恋模様も交えたコミカルなテイストがある。

そして『育休刑事』(NHK)は、タイトル通り、金子大地演じる刑事が育児休暇中という設定。男性も育児休暇を、という世の流れを踏まえたアットホームなテイストの刑事ドラマだ。

このバラエティの豊かさこそ、刑事ドラマのもうひとつの大きな魅力だろう。医療ドラマ、恋愛ドラマ、学園ドラマ、ホームドラマなどさまざまあるが、これほど自由で多彩な作風で楽しませてくれるジャンルはほかにあまり思い当たらない。

では、刑事ドラマはなぜここまで幅の広い作風が可能なのだろうか?

刑事ドラマはセミドキュメンタリー方式から始まった

まず、刑事ドラマにつきものの犯罪が時代の動きを敏感に反映するということがある。時代とともに世の価値観や仕組み、ライフスタイルが変われば、それに応じて犯罪のかたちも変わってくる。たとえば、近年よく劇中に登場するようになった特殊詐欺やサイバー犯罪などは典型的だろう。つまり、刑事ドラマには本来ドキュメンタリー的な一面がある。

日本の「刑事ドラマ第1号」とされる『ダイヤル110番』(日本テレビ系、1957年放送開始)がまさにそうだった。このドラマのオープニングには「この番組は事実に基づいて構成され、資料はすべて警視庁ならびに全国の警察の協力によるものです」といったナレーションが入っていた。

いまなら、必ず最後に「登場する人物、団体、事件はすべて架空のものです」といったようにフィクションであることを強調するテロップが出る。ところが『ダイヤル110番』は逆だった。

つまり、実際に起こった事件をベースに物語がつくられていた。脚本家らスタッフは実在する事件から毎回題材を選び、警察からの協力資料をもとにドラマを制作していた。このスタイルは、セミドキュメンタリー方式と呼ばれた。

刑事ドラマの古典的名作『七人の刑事』(TBSテレビ系、1961年放送開始)などにも、ドキュメンタリー的側面は受け継がれた。『ダイヤル110番』のように実際の事件を下敷きにしていたわけではなかったが、被爆者差別の問題を絡めたエピソードなど社会性の強い回も多く、それがまた学生など若者を中心に多くの反響を呼んでいた。

このような社会問題への鋭い意識は決して過去だけのものではなく、『相棒』(テレビ朝日系、2000年放送開始)などにも感じられる。

例えば、ファンのあいだでも有名なseason9の「ボーダーライン」と題された回では、派遣社員として必死に働くものの、結局報われることなく紆余曲折の末に命を落としてしまうひとりの男性の姿が、杉下右京の推理を通して克明に描かれる。

その背景にあるのは長い経済的停滞が続く日本社会の状況であり、他人事ではないリアリティがあった。

『踊る大捜査線』が変えた警察の描きかた

刑事ドラマの底流にあるこうしたリアル志向は、警察という組織をリアルに描くというかたちでも実を結んだ。そんな「警察ドラマ」の路線を確立させたと言えるのが、1997年に始まった『踊る大捜査線』(フジテレビ系)である。

それまでの刑事ドラマは、基本的に「刑事対犯人」という構図で話が進んでいた。だがこの作品では、そこに「現場の刑事対警察組織」という構図が加わった。「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」というあまりにも有名な主人公・青島俊作のセリフは、そのことを象徴している。

『踊る大捜査線』で言えば、織田裕二演じる青島俊作は所轄の刑事なのに対し、柳葉敏郎演じる室井慎次は警視庁の管理官(初登場時)。この2人の対立、そして友情を軸に物語は進む。警察における管理職のひとつである「管理官」だが、役職名自体そこで初めて聞いたという視聴者も多かったのではなかろうか。

このように警察をリアルに描くということは、刑事を常人離れしたヒーローとしてではなく、どこにでもいるひとりの生身の人間として描くということでもある。その結果、1990年代後半以降、刑事の人物設定などもより踏み込んだ、屈折したものになっていく。

例えば、『沙粧妙子−最後の事件−』(フジテレビ系、1995年放送)では、浅野温子演じる刑事・沙粧妙子は、元同僚の恋人が殺人犯になってしまったことにショックを受け、精神が不安定になっている。そこには、決してヒーローではなく、むしろ人一倍傷つきやすいこころを抱えたひとりの繊細な人間が描かれていた。

あるいは、コミカルな描写も交えながら、刑事を単なる正義の味方ではなく魅力的な変人として描くことも増え始めた。中谷美紀が、天才的な推理力を有する東大法学部卒の超エリートでありながら、度を超えたマイペースぶりや癖の強さで周囲を困惑させる刑事・柴田純を演じた『ケイゾク』(TBSテレビ系、1999年放送)などが思い浮かぶ。

変人と言えば、むろん『相棒』で水谷豊が演じる杉下右京もそのひとりだ。同じく東大法学部卒のキャリアという筋金入りのエリートでありながら、相手がたとえ上司であっても空気を読まず、決して群れない。それゆえ、特命係という「陸の孤島」に飛ばされることにもなる。その変人ぶりがまた、シャーロック・ホームズばりの鋭い推理の切れ味と絶妙のバランスになっている。

また『相棒』は、『踊る大捜査線』以降の「警察ドラマ」の発展形という側面もある。警察という組織が守ろうとする正義と右京個人が守ろうとする正義とは、必ずしも一致しない。

むしろ、しばしば衝突する。したがって、『相棒』では「正義は一つではない」ことが繰り返し描かれる。岸部一徳が演じた小野田官房長は、右京との対比によって、正義というものの持つそうした根本的な複雑さを体現するキーパーソンだった。

刑事ドラマは究極の社会派エンタメ

こうして刑事ドラマは、新たな犯罪の登場、リアルな「警察ドラマ」、刑事のキャラクターの多様化、さらには正義をめぐる複雑な問いなど、枝分かれを繰り返しながらバリエーションを増してきた。その発展はいまも続いている。たとえば、警察学校という場を通じて警察組織を描く『教場』シリーズなどは、新しいタイプの「警察ドラマ」と言えるだろう。

結局、刑事ドラマには根本的な二面性がある。一方で、現実離れした世界を覗き見るわくわく感、掛け値なしのエンタメ性がある。だがもう一方で、いま社会にある問題を映し出し、他人事ではないと思わせるドキュメンタリーのようなリアルさもある。つまり、フィクションとしてもノンフィクションとしても楽しめる。

その意味で、刑事ドラマは究極の社会派エンタメと言える。そこに他ジャンルのドラマにはない守備範囲の広さ、そしてお得感が生まれる。だから私たち視聴者も、いつまでも飽きることがないのだろう。

(太田 省一 : 社会学者、文筆家)