「神の罰で洪水に飲み込まれた」と伝えられる中世ヨーロッパの都市ラングホルトの大教会が干潟の底から発見される
ラングホルトは北海とバルト海を分けるユトランド半島に存在したといわれる中世ヨーロッパの都市であり、「神の罰によって海に沈んだ」とも伝えられています。近年の発掘調査でラングホルトは空想上の都市ではなく実在したことがわかっており、新たにラングホルトにあった大きな教会の遺構が干潟の底から発見されたと報告されました。
Lost since 1362: Researchers discover the church of a sunken medieval trading place | Press and Public Relations
Impressive Medieval Church found at Sunken Rungholt - Medieval Histories
https://www.medieval.eu/impressive-medieval-church-found-at-sunken-rungholt
Archaeologists chart secrets of ‘the German Atlantis’
https://www.thetimes.co.uk/article/remains-of-lost-city-of-rungholt-charted-for-first-time-x3p6ww8m2
ユトランド半島南部に11世紀〜19世紀まで存在したシュレースヴィヒ公国の都市であるラングホルトは、オランダ西部からデンマークにまたがるワッデン海の貿易で栄えたと伝えられています。
民間伝承によると、ラングホルトの住民らは飲酒や不信心、富の誇示といった罪を犯しており、不道徳な生活を送っていたとのこと。そんなラングホルトは「神の罰」を受けて、1362年1月に発生した大洪水によって海の底に沈んでしまったそうです。
この大洪水は「聖マルケルスの大洪水」と呼ばれる実在のものでしたが、ラングホルトに言及した文書のほとんどが16世紀以降のものだったこともあり、ラングホルトは伝説上の存在だとする説もありました。ところが近年の発掘調査でさまざまな遺構が発見され、「北海のアトランティス」ともいわれていたラングホルトが実在の都市だったことが確認されています。
ラングホルトが存在したのは、ドイツ最北端でデンマークと接しているシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のスートファールという小島の近辺です。現代の周囲一帯には広大な干潟が広がっており、周辺の都市や集落は頻繁に洪水の被害を受けていたとみられます。
by Dirk Bienen-Scholt
ドイツのキール大学やマインツ大学の研究チームは、学際的な共同研究によってラングホルトの遺構を発掘してきました。キール大学の地球物理学者であるデニス・ウィルケン博士は、「干潟の下に隠された集落跡を、磁気グラジオメトリー・電磁誘導探査・地震探査などさまざまな物理学的手法を用いて、まずは局所的に、そして徐々に広範囲にマッピングしていきます」と述べています。
by Dirk Bienen-Scholt
これまでの調査から、ラングホルトの人口は約1500〜2000人ほどと推定されており、これは当時のハンブルクに住んでいた住民数の約3分の1に相当するそうです。ラングホルトは塩・琥珀(こはく)・牛・穀物などの貿易で繁栄し、住民らは海産物・卵・羊・牛・穀物などを使用した豊かな食事をして暮らしていたとみられています。住居や施設はテルプ(ワーフト)と呼ばれる塚の上に建てられ、さまざまな排水システムや堤防も設けられていたとのこと。
新たに2023年5月の調査で、長さ2kmにわたる54ものテルプがスートファールの周辺で発見されました。テルプのうちの1つは縦40m・横15mにわたる600m2規模の教会の基礎とみられており、キール大学の考古学者であるベンテ・スヴァン・マイヒザク博士は「この発見により、北フリジアの大教会の仲間入りを果たしました」と述べています。
by Dirk Bienen-Scholt
なお、ラングホルトの遺構は侵食によって脅かされているとのことで、科学者らは水没している文化的景観の探査を強化する必要があると主張しています。マインツ大学地理学研究所のハンナ・ハドラー博士は、「スートファール周辺やその他の干潟では、中世の集落跡はすでに大きく侵食され、控えめな痕跡としてしか検出できないことが多いのです。これは教会の周辺でも顕著であり、ここの調査を強化することが急務です」と述べました。