日本フィギュアスケート界には、第二次世界大戦後の黎明期から、情報も経験もないなかでフィギュアスケートに取り組み、試行錯誤を繰り返しながらこの競技に独自に挑み続けてきた世代の名伯楽たちがいる。現在は80歳前後となるが、今もリンクに立ち続ける。ここでは世界で活躍する一流選手を次々と育て、五輪メダリストを輩出してきた3人の指導者を紹介したい。

 ひとり目は、男子フィギュア界で日本人初の世界選手権メダリストである佐野稔(敬称略、以下同様)を小学2年から指導して育てた都築章一郎だ。御年85歳、コーチ歴は60年に及ぶまさに重鎮である。

 日本フィギュアスケートの黎明期から中心的な存在として活動し、数多くのトップ選手を育て上げ、世界の舞台に送り出してきた。そのなかのひとりには、ソチ五輪と平昌五輪で66年ぶりの五輪連覇を成し遂げた羽生結弦がいる。

 都築コーチは可能性のある選手を見出すと、幼い時から「将来はオリンピック選手になれる」と伝え続け、挑戦する気持ちを促す指導者だったという。ほかの教え子には、荒川静香や本田武史らを指導した長久保裕(札幌五輪代表)や、次世代コーチのひとりである横谷花絵がいる。

 今でも「恩師」と言って尊敬している羽生を含めて、教え子たちには、厳しい指導で徹底的に基礎を教え込むのが都築コーチの指導方針だ。そのお手本にしたのは芸術性に秀でているフィギュア王国ロシアだった。都築コーチは羽生に対して「挑戦すること」や「芸術家になること」の大切さを説き続けた。そしてトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)や、その後の競技人生最大の目標となるクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)習得のきっかけとなる「アクセルは王様のジャンプだよ」という"魔法"の言葉を送っている。

 続いては、おしどり夫婦コーチとしても有名な佐藤信夫・久美子夫妻の佐藤信夫コーチを取り上げたい。


去年の全日本選手権で、本田真凜の公式練習を見守る佐藤信夫コーチ

 佐藤コーチは娘の有香をフィギュアスケーターとして世界女王(94年大会)にまで育て上げたほか、荒川静香(トリノ五輪金メダル)、村主章枝(トリノ五輪4位)、中野友加里(2007年アジア大会優勝)、安藤美姫(07年、11年世界選手権優勝)、浅田真央(バンクーバー五輪銀メダル)ら、数多くの女子トップ選手を指導してきた。

【大切にしてきた「滑る技術」】

 男子ではグルノーブル五輪代表の小塚嗣彦と11年世界選手権準優勝の小塚崇彦の小塚親子らも育成している。2010年には世界フィギュアスケート殿堂入りも果たしている国際的にも有名な指導者のひとりだ。

 現在、81歳になるが、いまだリンクに立ち、若い選手たちを変わらぬ姿で指導し続けており、次世代コーチからもその教えを請われる存在であり続けている。現役時代はスコーバレー(14位)、インスブルック(8位)の両五輪代表で、全日本選手権では前人未踏の10連覇を達成している。母親も指導者だった佐藤コーチは、小学5年から本格的に練習を始めたという。

 佐藤コーチはスケーティングの指導に定評があり、「サークル(円)を描くことが大事」と、コンパルソリーの基本練習を徹底的に行なう指導方針で知られている。

 コンパルソリーとは、片足で滑り出したまま惰性で円を描いて、片足のまま元の場所まで戻ってきて、そこで足を替えて、同じように反対側に円を描いて、その間にターンをしたり、カーブの方向を変えたりして、規定の図形を滑ることを言う。正確なエッジに安定して乗らなければ、片足のまま元に戻ることもできず、図形も描けない。基礎的な「滑る技術」を磨くためには、地味なコンパルソリー練習が必要不可欠だと、教え子たちにその練習を徹底して求めてきた。

 選手の個性を尊重しながら、「特別なことはしない」「いつも同じことをする」「平常心」「自分を信じる」というキーワードを指導モットーに掲げて柔軟で堅実な指導を行ない、佐藤信夫イズムに触れたトップ選手たちを輩出している。

 3人目として挙げるのは、世界中のフィギュア選手に衝撃を与えた、女子フィギュア史上初めてのトリプルアクセルジャンパー、伊藤みどりを育てた山田満知子コーチである。今年6月の誕生日で80歳を迎える、フィギュア王国・名古屋に君臨する大立者と言っても過言ではないだろう。

 7歳でスケートを始め、大学卒業後に周囲から請われて指導者の道に入った。そして原石だった伊藤を見出すと、下宿をさせながら指導にあたり、アルベールビル五輪銀メダリストに導いたことで、世界にその名を知らしめた。

【次世代のコーチも次々に誕生】

 その後、小岩井久美子、恩田美栄、中野友加里、浅田舞・真央姉妹、村上佳菜子ら、日本女子のエースとなるトップ選手を次々と育成。男子では宇野昌磨を育てたことでも知られている。

 その門下生には、伊藤の後継者としてトリプルアクセルを跳ぶ選手が次々と誕生した。恩田も中野もトリプルアクセルに挑戦。伊藤に次ぐ完成型のトリプルアクセルを習得して武器とした浅田真央を世界トップ選手にまで育て上げて、次のステージ(段階、レベル)に送り出した。

 ジャンプ指導に抜群の実績がありながらも、山田コーチは「ジャンプの好きな子が集まってきたから」と謙虚だ。スケート技術の指導以上に人間性やしつけを重視しており、親を積極的に練習に参加させるなど、「スケートが大好きな子どもたちを増やしたい」というのが指導方針。フィギュアスケートをやりたくなる環境づくりと普及活動に軸足を置いているという。
 
 普及型コーチとして「(名古屋で)フィギュア競技の底辺拡大」をライフワークにして取り組んでおり、コーチと選手との関係も単なる上下関係ではなく、家族的な雰囲気がある。「山田ファミリー」と呼ばれる所以だろう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      
 今回紹介した3人のコーチ以外にも、日本には五輪メダリストや世界を舞台に活躍する選手を輩出している指導者は数多い。バンクーバー五輪銅メダルの高橋大輔を長年指導した長光歌子コーチ、北京五輪銅メダルの坂本花織を育て上げた中野園子コーチ、平昌五輪4位の宮原知子を指導した濱田美栄コーチ......といった60代、70代のコーチが、指導現場の中心を担っている。

 さらにそれに続いて、中庭健介、横谷花絵、恩田美栄、本田武史といった40代の次世代コーチたちが、指導の第一線に立っている。伝統を引き継ぎながら、新たなチャレンジに挑む彼ら、彼女らが屋台骨を担っていくことで、日本のフィギュア界はさらに発展を遂げていくことになるだろう。