女性、とくに母親は、責任感ゆえについついがんばりすぎてしまうことがありませんか? 「よい母」でいるため、がんばりすぎてしまった過去を告白してくれたのは、ブロガーで収納アドバイザーの原田さよさん。原田さんの最新刊『50代はやめどき、捨てどき、楽しみどき』(扶桑社刊)では、よい母でいることを卒業した理由について語っています。

50代、「よい母」でいることをやめた理由

「よい母」と聞いたら、どんなことを思い浮かべますか。いつも笑顔で穏やか、ガミガミ怒らない、子どもとしっかり向き合っている、家事を完璧にこなしている…などでしょうか。私も長く、よい母でありたいと思っていました。とくに娘に対しては。というのも、育てるのが難しい息子がいたため、娘に寂しい思いをさせるのでは…と心配したからです。これは娘が成長してからもずっとでした。

●体調を崩した時、娘の言葉を思い出して…

昨年の夏、娘のところに2人目の子ども(私にとっては孫ですね)が生まれました。産後はひと月ほどわが家で娘と孫2人をあずかり、帰ってからは今度は私が娘の元に通い、上の孫の幼稚園のお迎えを買って出ることに。少しでも娘の回復の手助けになればと、張りきっていたのです。
そんなある朝、熱もないのにどうしてもつらくてベッドから起き上がれませんでした。「娘のところに行かなくては。孫を迎えに行かねば」と思っているのに。そのときふと、娘からの手紙を思い出しました。

それは5年前、結婚披露宴でもらった手紙です。そこには、私たち夫婦への感謝の言葉のあとにこう書いてありました。
「これからはどうか、お母さん自身のために生きてほしいです」
とても嬉しいと同時に、少しだけ複雑な気持ちになりました。私は十分好きなことをして、自分のために生きているつもりだったのに、娘に心配をかけていたのかもしれないと。
そう気づいて、横になったままLINEを送りました。「ごめん、今日は行けそうにない」と。よい母でありたい、娘に寂しい思いをさせてきた分をここで取り戻したい、この思いでがんばりすぎているとわかったからです。「了解! お大事にね。こっちはなんとかするから大丈夫よ」と娘からはすぐ返事が。その日の様子も、あとで報告してくれました。

●がんばりすぎてうつ病を発症した過去も

さかのぼれば、娘が生まれて1年と少したったころ、私はうつ病になりました。うつの治療をしながらこれまでと同じ暮らしを維持していたのでどんどん悪化し、その後、長期入院を繰り返すことに。こうなったのは、障害のある息子もそうでない娘も、ほかのお子さんと同じように育てたいと無理をしたからです。スマホもない時代、子育ては障害のあるなしにかかわらず手探りで必死でした。

いっぽうで私は、自分の時間もないと苦しかった。3歳になっても夜中に起き出す息子につき合いつつ、やっと眠ったら録画しておいた海外ドラマを観たり、かわいいワンピースを娘につくったり。夫からは「少しでも寝たら?」と言われましたが、私は聞きませんでした。子育ても自分のことも、あれもこれもと欲張ったのです。

退院してからも、うつとの闘いは10年以上にも及びました。どれほど家族に負担をかけたでしょう。おかげさまで少しずつ回復し、断薬もできましたが、無茶をしていたんだなあと反省しました。娘はずっとこの姿を見てきたから、あのような手紙をくれたのかもしれません。

手紙をもらったとき、これからはもっと気をラクにもって子育てしていこうと誓ったはずなのに、すっかり忘れていました。私は年をとり、娘はとうに大人になっているのに、「母親として子どもを守りたい、助けたい」とまたがんばりすぎたようです。

●家族のためにもがんばらないと決めた

私と同じようにバブル時代に就職し、結婚した人は、よい母でありたいという気持ちがあるいっぽうで、自分の時間も欲しいと願う人が多かったのではないでしょうか。私のように、どちらもとがんばって苦しくなり、自分を見失ってしまう人もいらしたかもしれません。

年齢を重ねていくこれからは、「子どものために」という気持ちはあっても、身体が追いついてこないことが増えてくると思います。私の場合は、自分のキャパシティを知らず、欲張りすぎたのかもしれません。でも、無理をすれば、いずれどこかで反動がきます。自分のことを守りつつ、力を加減して子どもと関わっていく。そのほうが、細く長くいい関係でいられると思います。

私はもうがんばらないことにしました。心を軽くして前を向き、明るい気持ちで、母としてだけでなく、ひとりの女性として生きていきたいです。きっと娘も、そのほうが安心するでしょう。

 

50代のやめどき、変えどきについてつづった、原田さよさんの新刊『50代はやめどき、捨てどき、楽しみどき』(扶桑社刊)が発売中です。