南極でさまざまな観測をする南極地域観測隊。1957年に第1次隊が昭和基地を設立してから今に至るまで活動を続けています。今回、第64次南極地域観測隊の女性隊員である白野亜実さん(38歳)をクローズアップ。現在、南極にいる白野さん。ここでは昨年11月、出発前に伺ったお話を紹介します。

ママになってかなえた南極観測隊への夢。家族の反応は…

今回、紹介するのは、JAMSTEC(国立研究開発法人海洋研究開発機構)に所属する白野亜実さん。大学と大学院で地球科学を学んでいた白野さんは、もともと南極という場所に対して科学的なテーマとしての強い興味があったそうです。そのような経緯もあり、南極観測隊第64次南極地域観測隊の越冬隊に自ら応募し、今回見事、庶務・広報として隊員の一員に選出。過酷な寒さを伴う南極に1年4か月の長期出張で挑んでいます。

【写真】庶務・広報として隊員を支える白野さん

そんな白野さんは9歳の娘さんと6歳の息子さんを育てる母親でもあります。観測隊員を決めるための面接時、面接官から、“家族を日本に残して南極で仕事をしたい理由”を質問されたそうですが、白野さんにとって今回の応募は、ご自身の夢をかなえるためだけでなく、子どもたちの成長の糧としたいという意味合いもありました。

●「ママは帰ってくる」が家族の合言葉。家族の応援が決め手に

――南極観測隊の越冬隊としての活動は、移動時間を含めると1年4か月もの長期出張となりますね。今回、隊員に選ばれ、夢への切符を手にした白野さんですが、日本にご家族を残して南極へ向かうことに対してご家族の反応はどうだったのでしょう?

白野:夫はもともと私の夢を応援してくれていたので、隊員に決まったときは一緒に喜んでくれました。夫とは普段から家事を分担しているため、安心して留守を任せられます。ママが夢を叶えられる環境は恵まれていることだと思うので、快くサポートをしてくれる夫に感謝して、精一杯がんばってこようと思います。

――それは頼もしいですね。お子さんたちの反応はどうでしたか?

白野:子どもたちは「ママは南極に行ってきます」と伝えた直後はびっくりして泣いてしまいましたが、すぐに納得してくれましたし、あまり大きな衝撃はないようでした。長女は「やっぱり行くんだね、がんばってね」という感じでした。長男からは「ママがいないと寂しいから、代わりにゲーム機を買って」とおねだりされたので、1日30分までと約束させてゲームを解禁しました(笑)。

――普段からお子さんが不安にならないように、どのようなコミュニケーションを取られていたのでしょうか?

白野:小さな頃から勤め先の公開イベントや博物館・科学館に一緒に遊びに行き、日常的に私の仕事や好きな分野に親しんでくれていたのもよかったのかもしれません。南極出張が決まってからは、「ママは帰ってくる」を家族の合言葉にしました。合言葉を何度も口にして、今は離れているけれど必ず帰ってくる、また会えるということを伝えました。そのおかげで、子どもたちとは「いってきます」「いってらっしゃい」と笑顔でハイタッチをしてから南極へ出発することができました。

●憧れの先輩の背中を見て、夢に挑もうと決心

――JAMSTECではどのようなお仕事をされてきたのでしょうか? また、南極ではどのように生かしていきたいですか?

白野:JAMSTECではこれまで、広報や報道対応、国際協力の部門に所属していて、具体的には、研究施設や船舶・探査機の公開イベントの運営やテレビ番組取材の受入、海洋分野の協力について話し合う多国間・二国間会議の調整などを担当してきました。どれも科学研究と社会をつなぐ仕事であり、常に裏方として調整に奔走してきたように思います。観測隊でも、隊員の業務と生活の両方を裏からしっかり支え、観測隊の活動を発信して社会につなげることが仕事です。これまでに培った調整の技をここでも生かしていきたいと思っています。

――改めて、白野さんが南極観測隊を志したことにきっかけを教えてください。

白野:もともと科学的なテーマとして南極に関心があったのですが、直接的なきっかけとなったのは第60次南極地域観測隊副隊長兼夏隊長として当時JAMSTECに所属していた原田尚美さんとお話しさせていただいたことです。原田さんは観測隊初の女性夏隊長。やわらかくも強いリーダーシップで隊を率いている凛とした姿に触発され、南極観測隊に挑戦してみたいという思いが湧き上がり、思いきって南極観測隊への応募を決めました。

私の子どもたちに、勇気を持って目の前のチャンスをつかみにいくことや、チャレンジすることの大切さを教えたかったというのも理由のひとつです。

――ママ友など、周囲の方々からの反応はどうでしたか?

白野:観測隊の仕事をよく知らない方からは「冒険に行くの?」などと言われましが、南極観測隊として長期出張をすることに対して否定的なことを言われることはありませんでした。ママ友もみんな応援してくれました。思いっきり仕事に邁進するのもいいし、家族や子どもに寄り添って暮らすのもいいし、女性の生き方はさまざまあってどれもすてきだと思います。

ただ、私は「ママだから」という理由で夢を諦めたくはありませんでした。ママがやりたいことにチャレンジできない世の中だと、ママになりたい人も、ママになる人も減ってしまうと思います。私の活動が少しでも皆さんのヒントにつながればよいなと思います。

●3回目のチャレンジでようやく選ばれて…

――南極へ行くことはこれまでも志願されていたのでしょうか?

白野:今回64次隊の庶務・広報隊員に選出されたのは、3回目のチャレンジでした。残念な通知をもらった1、2回目の公募の時も、諦めようと思ったことはなく、次回チャンスがあれば公募に手を挙げたいと思っていました。残念な通知があったときは、大好きな温かいミルクティーを飲んですぐに気持ちを切り替えました。

地球はひとつのシステムなので、たとえば海で起こる現象を理解しようとするときも日本が位置する中緯度で起こった現象が、じつは北極域から伝わってきた現象に由来するということがあります。地球全体の環境変動を理解するために南極で調べることが大きなカギとなっているのです。このようなミッションをもつ南極観測隊で仕事をできることが、挑戦の大きな原動力になりました。もちろん、これまでに見たことのないオーロラや巨大な氷河など、美しい風景に出合いたいという気持ちもありました。

憧れだった60次夏隊長の原田尚美さんから体力がなければ気力も続かないと聞いていたので、前もってジョギングしたり、ヨガで体幹を鍛えたり、体力づくりをして準備をしていました。

●一緒にいてあげることだけが母親の仕事ではないと思っています

――夢を実現させ、家族も大切にする白野さんですが、子育てで大切にしていることを教えてください。

白野:観測隊員を決めるための面接時、「まだお子さんも小さいし、大変ではないですか?」というような質問をされました。たしかに貴重な子どもの日々の成長を見られないことは残念なことではありますが、私は一緒にいてあげることだけが母親の仕事ではないと思っています。離れていても、母であることに変わりはありませんし、常に子どもたちのことは考えています。

子どもたちには親の背中を見て育ってほしいですし、目の前に掴めるチャンスがあれば失敗を恐れずにどんどんチャレンジしてほしいと思っています。好きなことを仕事にする楽しさが、少しでも子どもたちに伝わればよいなと思います。