日本では6割の夫婦が陥ると言われるセックスレス。「私の気持ちは完全に無視されていました」と語る朋美さん(仮名・52歳)にお話を伺いました。自分本位な夫は自分がしたいときにだけ、朋美さんの寝室を訪れ一方的な行為を押しつけ、ついに第四子を妊娠。ところが、「予定していた子じゃない」「できてしまった子」という夫の言い草に、気持ちがどんどん離れていったといいます。そんななか、まさかの事態に…。

妻の緊急入院。レスでクズな夫が言ったこと

前回は、3人の男の子を授かりながらもオムツを替えすらできずに、子守の最中に実家に帰ってしまう夫のお話をしました。そんな折、夫の勝手な行為で4人目を妊娠。
妊娠後期に差しかかろうかという頃、検診で胎盤の位置があまりよくないことがわかりました。

●緊急入院。「俺が行ってどうするの?」と夫

週数が進むにつれて治るかもと言われていたのですが、前置胎盤という状態が深刻化してしまったのです。このままでは出血する可能性があり、母子ともに命の危険があるため、すぐに入院なレベルという説明を受けました。

あわてて夫にメールで連絡をしたのですが、「仕事がある」とか「俺が行ってどうするの?」「なにかすることあるっけ?」とごちゃごちゃ文句を垂れていました。

その間も、病院では医師によるモニターでの経過観察が続いたのですが、なんと横になっていたにも関わらず、突然、出血が始まってしまったのです。

「赤ちゃんの心拍がくずれたので緊急で帝王切開します。すぐに旦那さんを呼びますね」と医師。

え!? そんな…。夫がすぐに動けるかどうかということよりも、私は上の3人の子どもたちのことが心配で頭がいっぱいになりました。

とくにいちばん下の子はまだ産前の一時入園制度を利用して保育園に預け始めたばかり。夕方には迎えに行かねばならないのに、オムツ替えもできない夫にとても育児が務まるとは思えません。

●「このまま私死ぬのかな」号泣しながら手術室へ…

半分泣きながら事情を先生に話すと、「今はおなかの赤ちゃんのことだけ考えましょう。旦那さんにはこっちから話して、お子さんたちのことは絶対なんとかしてもらうから」と言ってくれました。

そこからは出血量が増えたのか、血圧も一気に下がったらしく、意識がもうろうとしました。ものすごい勢いで手術室へと運ばれていくなかで「前置胎盤、早剥の可能性…」と、さっきまでの穏やかな口調とは裏腹に、大きな声で指示を出す先生の姿がちらっと見えます。

あぁ、まるでドラマのワンシーンみたいだ、このまま私死ぬのかもと本気で思い、怖くて泣いてしまいました。でもすぐに子どもたちの顔が頭をよぎり、ここで死ぬわけにはいかない! と覚悟を決めたところで麻酔が入りフェードアウト…。

●思っていたお産じゃなかった

こうして超緊急の帝王切開であっという間に4人目の男の子が誕生。私は全身麻酔で眠っていたので生まれた瞬間も見られず、赤ちゃんはそのままNICUへ運ばれて行きました。
手術直前まで励ましてくれていた看護師さんの「朋美さん、朋美さん、〇時〇分、男の子が生まれましたよ。よくがんばりましたね」という声で目が覚めました。

上の子3人が安産だったので、まさか4人目でこんな大変なお産になるなんて夢にも思っていなくて。怖かった気持ち、ほっとした気持ち、これからうちの生活はどうなるんだろうという不安や恐怖が入り混じりました。
出産した日は、ベッドから起き上がることもできません。出産した日の夕方、夫が病院へ来たときにも、私はただただ泣いてばかり。NICUにいるという自分の子どもに会えたのは翌日でした。

●医師に怒られて、やっと父親らしいがんばりを見せた夫

私の手術が決まった直後、病院からの電話を受けた夫は相変わらずのぼんくらぶりを発揮していたそうです。医師から「命がかかってるんだぞ! いいから来い!」と強い口調で怒られたと聞きました。

私の病室へ来たときは、「説教されちゃったよ…」かなりへこんだ様子で、私の入院手続き、荷物の準備、子どもたちの送迎など、実家の義母の手は借りつつも、やってくれていました。

あれほど仕事仕事と言っていたけれど、上司にも相談し、「入院中は業務の量も調整してもらったから大丈夫」と言われ、私は何年かぶりに深く眠ることができました。

ところが、人ってそんな簡単には変われないんですよね。安息の時間もつかの間。退院すると、夫はまたいつもの調子に戻ってしまったのです。

●痛む傷口。激しいマタニティーブルー。それでも泣いてるヒマすらない

退院日もつき添いを頼んだのに、夫は病院へ現れませんでした。「歩けるなら、自分で運転もできるでしょ」という言い分。

一週間子どもの世話も家事も全部やってくれたし、ここは自分でがんばるしかないのかなと思い、病院には夫が迎えに来たことにして、私は自分で荷物をまとめて家に帰りました。

そして、この日からまた今まで通りのワンオペ育児に。私は帝王切開で切ったおなかの傷が痛むのに、夫が赤ちゃんの抱っこや上の子たちのお世話をすることはありませんでした。
それと、もうひとつ苦しんだのはマタニティーブルーです。今までも、産後に多少不安定になることはありましたが、4人目は急なお産だったせいか、精神状態が今までよりもいちばんひどい状態になりました。

それでも子どもたちの生活を考えると私が泣いている暇なんてありません。ただ一人で耐える日々が続きました。

●そして完全セックスレスへ

夫はこのときのお産時に自分に降りかかった家事や育児の大変さがよほど堪えたのか、もう私を求めてくることはなくなりました。私も、上の子たちや4人目の赤ちゃんに大変な負担をかけてしまったことを申し訳なく思っています。

夫婦でとくに話し合いをしたわけではありませんが、この出産を境に、夫とは完全なレスになりました。このような生活のなかで、いよいよ子どもたちの心も夫から離れていったお話を次回したいと思います。