相鉄・東急新横浜線の開業で、相鉄線の駅では様々な行先が見られるように。そのなかで「川越」行きと「川越市」行きは1文字違いで経路が全く違い、ややこしい存在です。こうした「○○/○○市」駅はどのような経緯で誕生したのでしょうか。

次は「川越」行き、その次は「川越市」行き 相鉄のややこしい行先

 2023年3月18日(土)、相鉄・東急新横浜線の開業により、相鉄線から乗り換えることなく首都圏の様々な場所へ行けるようになりました。しかし、改めて駅の電光掲示板を見上げると似た行先が並ぶケースもあり、特に「川越」と「川越市」は1文字違いでルートも全く異なるという、ややこしい状況が生じています。しかも「東西南北」とは異なり、知らなければ両者の位置関係がいまいち掴めません。

 全国に目を向ければ、茨城県の「竜ヶ崎/龍ケ崎市」駅、愛媛県の「松山/松山市」駅など、至近にある「○○」「○○市」駅はいくつか存在します。なぜ、このような名称が生まれるでしょうか。


相鉄線の西谷駅にて、5分差で「川越」行きと「川越市」行きが発着する(乗りものニュース編集部撮影)。

 ひとつは、「○○駅」が先にあり、後からできた駅が「○○市駅」を名乗るケースです。前出の龍ケ崎市駅は2020年、市が知名度アップのためJR東日本に要請し、佐貫駅から改称したもの。1900(明治33)年に開業し、同駅から枝分かれする関東鉄道竜ヶ崎線は、終点の駅名が竜ヶ崎です。

 ほかにもJR両毛線の足利駅に対する東武伊勢崎線の足利市駅(いずれも栃木県)、JR東海道本線の刈谷駅に対する名鉄三河線の刈谷市駅(いずれも愛知県)など、いくつか例があります。なお刈谷市駅には、より街の中心部にあるといった意味も込められています。

名称を譲って「市駅」になった例も

 ふたつめは、「○○駅」の名を譲って「○○市駅」になったというケース。その代表例が冒頭の「松山/松山市」駅です。

 伊予鉄道のターミナルである松山市駅は当初、「松山」を名乗っていました。愛媛県は早くから私鉄が路線網を築いていた一方、国鉄線の開業が遅く、松山駅の開業から約40年後に国鉄の駅ができています。この際、国が伊予鉄に対し松山の名を譲るよう要請し、伊予鉄は反対したものの、結局は譲歩して松山市に改称したのです。


伊予鉄の松山市駅はもともと「松山」駅だった(画像:写真AC)。

 では相鉄線で見られるようになった「川越/川越市」はどうでしょうか。そもそも市内にはJR川越線と東武東上線の川越駅、東武東上線の川越市駅、西武新宿線の本川越駅がありますが、このなかで最初に開業した本川越駅が、もともと川越を名乗っていました。続いて川越町(現・川越市)駅、さらに川越西町(現・川越)駅が開業しますが、その後 国鉄線が川越西町駅に接続すると川越に改称し、もともとの川越駅は駅名を譲る形で本川越へ改称したのです。

 相鉄線から川越駅へ行く場合は、JR直通線と東急直通線どちらを利用しても到達できます。川越市駅は東上線で川越駅のひとつ先なので、もしJR直通線に乗ってしまっても終点で乗り換えれば済みます。