「おいらん車」オヤ31形トキ鉄へ ハリセンボン出た車両、今後何に使う? 鳥塚社長に聞いた
JR西日本に長らく保管されていた、「おいらん車」こと戦前の建築限界測定車オヤ31 31が、えちごトキめき鉄道へ譲渡されました。そこには「働く車両を展示すること」にかける鳥塚社長の思いがありました。
「おいらん車」の由来とは
鉄道には様々な用途の車両が存在します。中でも事業用といわれる車両は、普段私たちの目に触れる機会は限られるもの。例えば、東海道新幹線の「ドクターイエロー」やJR東日本の「East-i」シリーズは、レールゆがみや架線、信号系統などの検測を行う車両です。JR東日本のマヤ50形建築限界測定車は、ホームや架線柱といった構造物と車両が接触しないかチェックを行います。
413系電車と対面したオヤ31形。転車台は格納する線を向き停止。扇形庫と転車台も現役で活躍する庫内は鉄道遺産であり、「直江津D51レールパーク」開園時は有料にて見学できる(2023年3月8日、吉永陽一撮影)。
マヤ50形はレーザー照射で検測していますが、では昭和の頃はどうしていたかというと、実際に「矢羽根」と呼ばれる針状の爪を車両から飛び出させて、接触するかどうかを測定しており、オヤ31形という建築限界検測車が存在しました。その中の1両であるオヤ31 31は、1937(昭和12)年製造のスハフ32形3等客車を改造し、1957(昭和32)年に登場しました。
オヤ31形は新線開通前には欠かせない存在で、線路や設備が完成したあと一番に走ります。測定時には上述の通り、側面から屋根面までずらっと並ぶ矢羽根を、車体の外側に突出させます。矢羽根には電流が流れ、接触すると車内の表示器が点灯する仕組み。矢羽根に振られた番号が光ると「何番が光ったから、この場所が車両と接触する」と測定員が記録していました。
私(吉永陽一:写真作家)は写真で測定の模様を見たとき、矢羽根を突出させた異様な姿に「仏像の背光の装飾」や「ハリセンボン」を連想したのですが、鉄道ファンは「花魁のかんざし姿」を連想し、いつしか「おいらん車」と呼ばれるようになりました。
オヤ31形は7両が落成(改造)し、JRへ継承されたのは5両。そのうち12番がリニア・鉄道館に保存され、31番が2022年の段階でJR西日本の車籍を有したまま、網干総合車両所宮原支所(大阪市淀川区)に保管されていました。JR西日本は鉄道文化を後世へ継承すべく活動する中で、新たな保管先を検討し、既にD51形蒸気機関車827号機の動態保存と455系電車の運行で実績のあるえちごトキめき鉄道への譲渡を決定。トキ鉄が文化遺産として活用していくこととなりました。
なぜトラックでは運ばなかったのか
2022年12月6日。オヤ31 31はDD51形ディーゼル機関車1109号機に牽引され、宮原から金沢総合車両所松任本所(石川県白山市)へと回送されました。松任にて譲渡に関する諸手続きや整備を行い、2023年3月8日に直江津へ。EF510形電気機関車3号機に牽引されたオヤ31 31が、日本海に沿って北陸路を走ったのです。
「事業用車は働く車でしょう。子供たちは働く車が好き。鉄道というものに対して別の観点から見てもらいたいです」
オヤ31の今後の活用について、トキ鉄の鳥塚社長はこう語ります。同社では半分が貨物室になったワフ形車掌車を展示しており、貨物車はコンテナばかりではないと教えています。これから育っていく子供たちに鉄道のいろいろなものを見せたいと、今回もオヤ31形を譲り受けることになったのです。
EF510-3号機に牽引され、オヤ31形はトンネル駅の筒石駅を通過する。このシーンを見ると検測後の返却回送のようだ。許可を得て撮影(2023年3月8日、吉永陽一撮影)。
オヤ31 31は、元々の製造から86年経過しています。「トラックで輸送しようとクレーンで吊るしたらどうなるか分からない。車籍があるうちに車扱貨物輸送で持っていける」と鳥塚社長。松任から直江津までは約7時間かかったそうです。
社長が「D51 827号機とピッタリな車両でしょう」と話す通り、オヤ31形はD51形とちょうど同じ時期に活躍した車両です。直江津駅構内では、奥にある1944(昭和19)年竣工の扇形車庫へ格納しましたが、牽引したEF510形はここで切り離し。以降どの車両が担うのかと思いきや、登場したのはD51形827号機です。同機は圧縮空気によって自走可能であり、2020年に所有者のアチハ株式会社から5年契約で借り受けたのでした。構内には「直江津D51レールパーク」を開園し、体験乗車などを行っています。
扇形車庫も譲渡の決め手に
さて、オヤ31 31にD51形がゆっくりと連結。しばらく構内を前進したのち、転線してバック。転車台へ押し込んで切り離しました。その姿は昭和40年代前半まで日常であった機関区の光景を彷彿とさせます。
D51形の推進は転車台まで。そこから扇形庫までは職員による手押しです。自重33.1tの車両ですが、6人ほどの職員が力を合わせるとじわじわ動き、扇形庫内へ無事に格納されました。
一旦停止している合間に、妙高はねうまラインのET127系電車と対面(2023年3月8日、吉永陽一撮影)。
トキ鉄では扇形庫も活用しており、せっかく譲渡されたオヤ31形は、雨晒しや積雪の中ではなく、扇形庫内でしっかりと保存できます。保管環境が整っていたことも、JR西日本からトキ鉄へ譲渡された理由のひとつだったそうです。
冬休みだった「直江津D51レールパーク」は3月18日(土)に再開。同時にオヤ31 31も一般公開。気になる車内の様子は、職員立ち会いのもと4月1日(土)と2日(日)に公開され、その後は限定公開となる予定です。
さらにD51形が牽引しての構内運転も、暑い時期や雨の日を除いて検討されており、実際に目の前で見られる日も近いです。何せ非冷房かつ高齢の車両ゆえに、過ごしやすい天候でないと、来場者も車両も疲れてしまいます。
また、実際に建築限界測定の光景を再現する企画も計画中で、「安全のため架線下ではなく扇形庫内などで実演していきたい。昔はオヤを見たくても、いつどこで走るか情報がなかったからなぁ」と鳥塚社長。検測の疑似実演を見学することで、昔の様子を子供だけでなく大人も学ぶことができます。
オヤ31 31はトキ鉄の所有車両となり、同社はいろいろと活用方法を考えています。「逆にオヤを使ったアイディアがあればトキ鉄に連絡ください。私たちは場を提供する側であり、思いもつかないことが実現するかもしれませんから」と、社長は話します。「おいらん車」はより多くの人々に触れられ、鉄道をより深く知る糧となっていくことでしょう。
※住所を修正しました(3月18日18時00分)。