茨城アストロプラネッツGMの色川氏。現役時代は米国でトライアウトに挑戦、イランやパキスタンの代表監督も務めた【写真:球団提供】

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連載「ベースボールの現在地」#2、茨城アストロプラネッツ・色川冬馬GM

 野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開幕。侍ジャパンに大谷翔平投手(エンゼルス)ら豪華メンバーが集結し、日本は大いに盛り上がっている。一方で、世界の野球に目を向ければ、2024年パリ五輪は競技から除外。予選の出場国は、209か国だったカタール・ワールドカップ(W杯)に対し、WBCは28か国に留まるなど、競技の普及・振興、国際化における課題も少なくない。

「THE ANSWER」ではWBC開催期間中「ベースボールの現在地」と題し、海外でプレー、普及活動してきた野球人の歩みや想いを連日発信。注目される数年に一度の機会だからこそ、世界の野球の今を知り、ともに未来を考えるきっかけを作る。第2回は独立リーグ茨城アストロプラネッツGMの色川冬馬氏が登場。選手、指導者として16か国を訪れた経験を持つ33歳が望む野球の未来を聞いた。(取材・文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

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 日本の独立リーグ球団としては異彩を放っている茨城アストロプラネッツ。昨年、中央ではほぼ無名と言える存在だった松田康甫投手がドジャースとマイナー契約を結んだことや、今年からNHKのディレクターだった伊藤悠一氏が監督に就任することで話題となったが、球団をGMとして動かしているのが色川氏だ。

 33歳の色川GMは選手、指導者として世界で活動してきた。米国などで数えきれないほどのトライアウトを受験。プエルトリコやメキシコでもプレー経験がある。現役引退後はイラン、パキスタン、香港で代表監督を歴任。野球で渡った国は16か国に上り、独自のネットワークを活かしたトライアウトプログラム「アジアンブリーズ」の発起人でもある。

 異色の野球人生の始まりは、仙台大1年時の決断からだ。

 2008年、当時所属していた野球部は100人を超える大所帯。普通の1年生は草むしり、先輩の手伝いなどが中心で、満足に野球ができる環境にはなかった。当時の日本の部活動としては、むしろそれが「常識」に近かった。

「大好きな野球をプレーできるのも、あと数年だけかもしれない。大事な1年間、みすみす野球する機会を逃していいのか」

 葛藤の末、夏休み前に退部を決断。高校時代から憧れていた米国に09年から渡り、MLBを最大の目標に単身で挑戦を始めた。

 12年にはテキサス州の独立リーグ球団ホワイトウィングスでプレーしたほか、カリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ、フロリダなど各地で挑戦。2014年まで現役生活を続けた。全く話せなかった英語もその必要性に気付き、現地で勉強とコミュニケーションを重ね、我流で習得した。

 海外挑戦で得た大きな学びは「野球ではなく、ベースボールがそこにはある」。あくまでプロの厳しい世界だが、誰しも抱いている「野球が好き」という情熱が平等に受け入れられる土壌があった。

16年で1勝のイランを西アジア準Vに導く「騙されたと思ってやり切ってくれ」

「日本の部活だってそうですが、元々好きで集まった野球人。アメリカ、中南米の挑戦では技術を求められて、クビを宣告される際も凄く単刀直入に伝えられるんです。それでも、人の挑戦を否定する雰囲気はありませんでした」

 日本ではドラフト戦線を重視するあまり、挑戦の選択肢を選手自身が狭めているケースも少なくない。「世界にはもっと挑戦の窓口が広くて、いろんな人種や考え方の人を受け入れている場所がある」。自ら行動と経験を繰り返した色川GMの言葉は重い。

 野球が根付いていない国の事情も知る。代表監督を務めたイランは人口8000万人、パキスタンは2億2000万人を超えるが、両国とも野球の競技人口は「500人いればいい方」。ルールすら知らない国民が大多数だ。

 競技が複雑であること、道具が入手できないこと、サッカーなどと違ってボール一つでできないこと、競技場の形が他のスポーツと兼用できないこと……普及しない理由は一つではない。色川GMによると、その国の文化、経済状況なども関わってくるという。

「例えば発展途上国では、日本みたいに1つの仕事をして生活費を稼ぐというより、3〜4の仕事で生活している人も結構います。いつでもスタートできるし、いつでも辞められるんです。1つなくなっても、あと2つあるからいいや、くらいの気持ち。そういう人たちが野球という複雑なスポーツにぶつかった時、逃げる理由はいくらでもあるんです」

 満足できる環境にない中、16年間で国際大会1勝しかしていなかったイランを西アジアカップ準優勝に導いた。当時まだ20代中盤。チームスポーツが苦手なお国柄と言われるイランで確かな実績を築き、ヘッドハンティングされる形でパキスタン代表監督になった。

 大切にしたのは、相手のことを学んで知ること。そして自身の考えを積極的に伝えることだ。

 イランは宗教上、男女が表立って交流しない社会。高校まで共学もほぼ存在せず、高卒の選手でも日本の中学生のような恋愛感情、ピュアな心を持っているという。そんな背景もあり、指導者の言葉の受け止め方も日本などとは違ってくる。

 敵対意識を持たれるのも簡単だし、実際に悪い噂を流されたこともある。月収200ドル(現在で約2万7000円)の厳しい監督業。そんな中でも、私利私欲なしでブレずに主張を続けて信頼を勝ち得た。

「皆が次のステージに上がることで、野球がこの地域の中でちゃんと取り上げられるようになる。野球を知って、挑戦したい子たちが増えてくる未来が僕には見える。そのために、僕は皆に厳しいことを言うかもしれないし、分かり合えないこともあるかもしれないけれど、騙されたと思ってやり切ってくれ。結果を見て、判断すればいいじゃないか」

 当時テヘラン一強だったイラン球界を一つにまとめるため、各地を駆け巡った。地道に地域の有力者にも思いを伝えた。真の“チームイラン”を作ったのは、間違いなく日本人の青年監督だった。

「野球で大東亜共栄圏を完成したい」 望む未来の意図とは

 茨城アストロプラネッツでは、「僕らの身の丈に合った形」としてタイ野球協会との連携を始めた。今年2月に包括連携協定を締結している。「カッコつけて、でっかくやったって続かない」。タイの協会に求めているのは、茨城球団の支援に頼るのではなく、自立・自走できる体制作りだ。

「僕らがいたことでタイ野球が自立してほしい。アストロプラネッツなんかいなくても、自分たちで野球を普及・発展できるようなフェーズ。そこまで来ることが、アジアの同胞に対して目指してる形です」

【あなたが望む世界の野球の未来】

 この質問に、色川GMは「野球で大東亜共栄圏を完成したいんですよ」と答えた。ギョッとする人もいるかもしれないが、他国を侵略したいわけでもなんでもなく、れっきとした意図がある。

「当時日本人がやりたかった本質は、しっかりインフラを作って自立できる同胞アジア人を作ることだった。アジアが植民地にあった時代に、日本は同胞が自立、独立してほしいと考えたのだと思います。

 我々の件に関しても、決してタイを侵略したいわけでも、タイの野球を僕らの傘下に入れたいというわけでもありません。タイの野球界が自立して、自分たちで戦える力を備えてもらう。その中で世界ランキングが上がっていく。その仕掛けをしたのは誰かというと、実は日本人が裏にいたんだよね、っていうこと」

 アジア各国で、野球がその地の人々によって普及し、競技レベルが上がっていく。そのための下地をアストロプラネッツで作る。誰も通らない道を歩んできた野球人・色川GMの仕掛けが、数年先のアジアの未来を変えているかもしれない。

■色川冬馬(いろかわ・とうま)/茨城アストロプラネッツGM

 1990年1月2日、仙台市生まれの33歳。宮城・聖和学園から仙台大に進学後、09年に米アリゾナのウィンターリーグに参加。その後もプエルトリコ、メキシコなどでプレーした。現役引退後にイラン、パキスタン、香港の代表監督を歴任。19年、独立リーグ出身者などによるトラベリングチームが米国を拠点に試合を行うトライアウトプログラム「アジアンブリーズ」を創設。20年10月に茨城アストロプラネッツのGMに就任した。現役時代のポジションは内野手。

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)