元彼のことが忘れられない。浮気されてフラれたのに…今でも女が翻弄されるワケ
ふとすれ違った人の香りが元彼と同じ香水で、かつての記憶が蘇る…。
貴方は、そんな経験をしたことがあるだろうか？
特定の匂いがある記憶を呼び起こすこと、それをプルースト効果という。
きっと、時には甘く、時にはほろ苦い思い出…。
これは、忘れられない香りの記憶にまつわる、大人の男女のストーリー。
▶前回：カウンター席デートで、28歳女が見抜いた“既婚者の証”。確認してみると衝撃の返答が…
Vol.4 澪（26歳）ほろ苦い恋とチョコレートの香り【前編】
CARON「タバック・エクスキ」
2月始めの週末。
横浜に住む私の兄夫婦に子どもが生まれたので、お祝いを選びにきたのだ。
「このケープだったら、2歳近くまで着られるんじゃないかな。あとは、澪のお兄さんたちも使えるバスセットをプレゼントするのも、アリだと思う」
「健介、ありがとう。とっても助かる」
「お安いご用だよ」
健介とはまだ付き合って半年ほどなので、家族にも紹介していない。
今日はあくまで買い物の付き添いで来てもらっただけ。
でも私より7歳上の彼は、自分の姉も含めてこれまで何度も出産祝いをプレゼントしてきたらしく、丁寧にアドバイスしてくれる。
まだ26歳でこういった経験の少ない私にとっては、とてもありがたかった。
◆
「健介のおかげで無事に買えてよかったよ〜」
「お兄さんたち、喜んでくれるといいね！」
無事にプレゼントを購入した私たちは、紙袋を片手にウインドーショッピングを楽しんだ。せっかくだからこのまま銀座線で表参道まで出ようかと話しつつ、地下の食品売場を通りかかると…。
「そっか、もうバレンタインの時季だね」
健介の視線の先には、ずらりと並ぶチョコレート。
「澪も、俺にチョコくれるんだよね〜？」
「う、うん。そうね…」
「アハハ、冗談だよ」
私の引きつった表情になんとなく気づいてか、健介は、さっとこの話題を切り上げた。
そんな彼の気遣いに感謝しつつ…私は頭の中で――5年前のことを、思い出していた。
5年前
当時、私はまだ21歳。一橋大学商学部の3年生だった。
ちょうど年末に公認会計士試験の合格発表があり、無事に合格できたのでホッとしていた時期だ。
公認会計士として事務所を構える父の背中を見て育った私が、同じ仕事を目指すのは自然なことだった。兄は別の道を選んだから、私が公認会計士を目指すと知るや、父は喜んであらゆるサポートをしてくれた。
大学入学と同時に通い始めたダブルスクールの費用を出してくれたのはもちろんのこと、世田谷にある実家の私の部屋も、「勉強のためなら」と改装までしてくれた。
隣の物置き部屋とつなげて拡張し、大きなデスクに業務用コピー機を入れ、ゆっくり休めるようにとSertaのベッドを用意してくれたのだ。
そこまでしてもらったら、合格しなければ格好がつかない。来る日も来る日も、私は勉強に励んだ。
元カレの優斗とは、大学2年生の時にゼミで知り合った。
北海道の名門高校出身の彼は、国立駅のワンルームで一人暮らしをしていて、居酒屋と家庭教師のバイトをかけもちしながら、公認会計士を目指していた。
爽やかな見た目の彼は、ゼミの中でも目立つ存在だった。
ファストファッションで固めた服装はシンプルだが、スタイルの良い彼によく似合う。香水をつけているようで、近づくとほんの少しビターな香りがするのもセクシーだった。
バイトもサークルもせずに毎日勉強漬けだった私には、優斗がとても垢ぬけて眩しく見えた。
彼は彼で、顔を合わせるたびに私を「お嬢」とからかってくる。でも、軽口の裏にほんのりと好意があるのを、私はなんとなく感じ取っていた。
夏のゼミ合宿の夜、みんな酔いつぶれて寝てしまった後、私は初めて優斗とキスした。
それをキッカケに、合宿が終わってからも時々2人で会うようになって…夏休みが終わる頃、初めて夜を共に過ごした。
それは、私にとって本当の“初めて”だった。
優斗と付き合い始めてからは、正直かなり勉強のペースが乱れた。
初めての恋人なのだから仕方ない。会っていない時も、彼のことを考えてしまう。
でも、私にとって公認会計士試験は長年の夢だ。そして、応援してくれている父の夢でもある。
なんとか踏ん張って12月の短答式試験をパスし、3年生の8月には論文式試験も終え、年末には合格の一報を手にした。
一方、優斗は…。12月の短答式試験には不合格。翌年5月に2度目のチャンスで合格したけれど、8月の論文式試験には準備が間に合わず、不合格だった。
付き合っている間、彼と険悪なムードになることが何度かあった。
試験直前も生活のためにバイトしなければならない優斗と、勉強に集中している私。
彼がいら立つ理由は明白だったが、それでも、なんとか2人で励まし合いながら頑張れている――当時、私はそう思っていた。
でも、優斗は違ったのかもしれない。年末にお互いの合否を知ると、彼はよそよそしくなった。それでもクリスマスには一緒に丸の内のイルミネーションを見に出かけたが、今思えば彼は終始どこか上の空だった。
「今は気まずい。でも私は優斗のことが変わらず好き。自分の気持ちを、改めて伝えたい」
若かった私は、バレンタインを前にそう決心したのだ。
優斗の好きなガナッシュをプレゼントしようと、本格的なレシピを調べ、専門店へ材料を買いに行き、時間をかけて手作りした。とびきりオシャレな包装紙を選んでラッピングし、綺麗な便せんに丁寧に想いを綴った手紙を添えた。
でも…。
「ごめん。受け取れない」
中身も見ずに、優斗はそう言った。
「別れたいんだ」
優斗と知り合ってから、2年が経とうとしていた。それは当時の私にはとても長い時間で、試験勉強を除けば、私にとって優斗は大学時代のほとんどすべてだった。
その時はどうしても現実を受け入れられなくて、何も言うことができなかった。
1ヶ月が経ち、ホワイトデーの時期になって――優斗のマンションの近くで、彼が、ティファニーのショッパーを手にしたかわいらしい女の子と連れ立って歩いているのを見かけた。
そこでようやく、私は彼と完全に別れてしまったことを理解したのだった。
優斗と別れてから、私は彼を忘れられず、しばらく恋愛する気になれなかった。
それに、公認会計士として働き始めてから、勉強することは山ほどあった。仕事に打ち込んでいると優斗のことも忘れられたから、毎日のめりこむように働いた。
就職して1年ほど経ったころ、ゼミの集まりに1度だけ参加したことがある。
優斗は来ていなかったけれど、ゼミの同期から、彼は公認会計士試験を諦め、就活して金融機関で働いていると聞いた。
「せっかく短答式には受かったのに、もったいない」とみんな口々に言ったけれど…。付き合っていた時、彼は実家からの仕送りが限られているのだと言っていた。そういう事情もあったのかもしれない。
― 優斗、もう公認会計士にはならないんだ。
「久しぶり、合格おめでとう！」と、お祝いを口実に飲みに誘う想像を、別れてから何度も繰り返していた。
でも…。夢を諦めた彼と、夢を叶えて順調に働く私。
境遇があまりに違いすぎて、連絡するキッカケなんて、もうつくれない。
それは、私と優斗の最後のつながりが切れた瞬間だった。
以来、私は優斗のことを想いながらも、一度も連絡はできず――健介と出会うまで、仕事だけに集中する日々を過ごしていた。
◆
「なんか、健介の家にくるの久しぶりかも」
「たしかに。1月はお互いに忙しくて、外で食事するくらいしかできなかったからな」
表参道を少し歩いた後、私は代々木上原にある健介の家を訪れていた。
このエリアで有名な低層マンションの4階角部屋に、彼は一人暮らしをしている。
Cassinaで揃えたというセンスの良いインテリアに、昔から家族で愛用しているらしいHERMESのテーブルウェア。ワインセラーには年代物のボトルが並ぶ。
外資系ローファームで弁護士として働く健介の年収を聞いたことはないが、きっと私の何倍も稼いでいるのだろう。
友達の紹介で彼と知り合った時は、こんなすごいところに暮らす人だなんて知らなかった。
元カレの優斗と別れてから4年以上経つし、そろそろ次の恋愛をしてもいいのかもしれない…そんな軽い気持ちだった。
年上らしく物腰のやわらかい健介は、不安定だった優斗との恋愛とは対照的。いつもポジティブな言葉をかけてくれ、温かい愛情で包んでくれる。
刺激的というわけじゃないけれど、ものすごく安心できる。そんな存在だ。
「あれ？健介、香水変えたの？」
寝室のチェストに置かれた新しい香水のボトルを見て、私は言う。
ウイスキーのボトルを彷彿させる丸みを帯びたデザインが印象的で、温かいオレンジ色がほんのりと輝いていた。
私は、近づいていってそのボトルを手に取った。そしてその瞬間、思考が一瞬停止した。
「あ、そうそう。何年も使ってたやつが廃盤になっちゃってさ。キャロンの香水、初めて試してみたけど結構いい感じだったんだ。あとさ…」
健介が何か話しているが、その言葉はよく理解できない。
今、頭の中で走馬灯のようにフラッシュバックしているのは、紛れもない。かつて私が心の底から愛した、優斗だった。
印字されている文字は、TABAC――。
「タバック…」
「タバック・エクスキって読むらしいよ。タバコとチョコの組み合わせみたいな、絶妙な香りがするんだ」
「へえ…。お、おもしろそう。試してみていい？」
― ふう。
私は深呼吸をして、ボトルの蓋を開ける。鼻を近づけると、強い苦みのある懐かしい香りを感じた。
― やっぱり、あの香りだ…。
久しぶりのそれは、間違いなく、かつて優斗の腕の中で感じていた香りだった。甘くほろ苦い、ビターチョコレートの香り。
それがとても大人っぽく感じて、抱きしめられるといつもドキドキしたのを覚えている。
思わずその場から動けないでいると…不意に、チェストの脇に置いたスマホが鳴った。
『澪、久しぶり！今度、教授が退官になるのは知ってる？歴代ゼミのメンバーを全員招待してパーティーを開こうと思ってるんだけど、ご都合どうかな？』
それは、ゼミで一番仲の良かった友人からの連絡だった。
― 全員ってことは…優斗も、来るのかな。
別れたあの日以来の再会。
急激に、彼の記憶が蘇ってくる。
それは不思議と、つらくて悲しい思い出じゃなくて、幸せだった日々のこと――。
手の中の香水ボトルを見つめる。
優斗に会いたいと、思わずにはいられなかった。
▶前回：カウンター席デートで、28歳女が見抜いた“既婚者の証”。確認してみると衝撃の返答が…
▶1話目はこちら：好きだった彼から、自分と同じ香水の匂いが…。そこに隠された切なすぎる真実
▶Next：2月6日 月曜更新予定
ビターチョコレートの香りで優斗のことを思い出してしまった澪。ゼミのパーティーに出かけて…
