リニア中央新幹線長野県駅の建設予定地。2022年12月22日に起工式が行われた(記者撮影)

長野市、松本市、上田市、佐久市に次ぐ長野県第5の都市である飯田市と東京との間は直線距離にしておよそ170km。これは東京と長野市の直線距離とほぼ同じである。

しかし、東京―長野間は北陸新幹線で1時間半で結ばれているのに対して、東京―飯田間は豊橋経由で東海道新幹線とJR飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで4時間強かかる。特急は1日2往復しかないので、東京との行き来は鉄道よりも高速バスが便利だ。とはいえ、高速バスは本数こそ多いものの、所要時間は鉄道同様4時間強かかる。

東京との行き来だけではない。直線距離で約100kmの飯田―名古屋間も高速バスで約2時間かかる。しかも、飯田市と県庁所在地の長野市を結ぶ高速バスの所要時間も約3時間かかる。人口9.7万人の都市であるにもかかわらず交通アクセスが容易でないことを理由に、飯田を“陸の孤島”と揶揄する声もある。

品川―飯田間が46分に

そんな飯田にリニア中央新幹線がやってくる。長野県内におけるリニアのルートは当初3案あった。南アルプスを迂回する木曽谷ルート、諏訪・伊那谷ルートと南アルプスを貫通し東京と品川をほぼ直線で結ぶ南アルプスルートの3案である。県は当初、諏訪・伊那谷ルートを推していたが、建設コストの安さや所要時間が短いことなどを理由に南アルプスルートが採択された。1県に1駅ずつ設置されるリニアの駅は飯田市内に設置されることが決まった。

リニアは品川―名古屋間を最速40分程度で結ぶ。各駅停車タイプのリニアでも品川―飯田間は約46分、飯田―名古屋間は約24分で結ぶことが見込まれている。飯田と東京や名古屋との所要時間が一気に短縮される。観光目的やビジネス目的による交流人口の増加だけでなく、自然に囲まれた飯田市への人口流入、産業立地の増加などが期待される。リニアを通じて中部国際空港や羽田空港へのアクセス時間も短縮されるため、海外との往来も活発になると市は期待する。

2016年11月1日、飯田市の近くにある大鹿村でリニア南アルプストンネルの起工式が行われた際は、市内のあちこちでリニアに期待する声を聞いた。しかし、それから6年が経ち、街の様相はやや変化したようだ。

飯田市内の建設予定地でリニア長野県駅(仮称)の起工式が2022年12月22日に執り行われた。街には多くの工事関係者が訪れており、飲食店は夜遅くまで賑わっている。土木工事の完成時期は2026年3月末。工事がもたらす経済効果も期待できる。


リニア中央新幹線長野県駅の外観イメージ(画像:JR東海)

しかし、会場に向かうタクシーの車内で運転手がつぶやいた。「以前は盛り上がっていたが、今は当時ほどではない」。飯田市内で何が起きているのか。

飯田線の新駅構想は消滅

飯田市内におけるリニアのルートはJR飯田線と交差しており、長野県駅はその西端がJR飯田線とほぼ接する位置に造られる。最寄り駅は元善光寺駅だが、長野新駅とは約1km離れている。リニアとの乗り継ぎを容易にするため、当初、市は地元負担で飯田線に長野新駅と乗り換えできる新駅を建設する構想を持っていた。

しかし、2020年10月の市長選で乗り換え新駅設置取りやめを公約とする佐藤健氏が賛成派の現職市長を破って当選し、新駅の構想は消えた。財政負担がかかる割に利用する人が少ないというのが理由だ。地元住民の中には乗り換え新駅を要望する声が今もあるのではと思われたが、佐藤市長は「新駅の話は今ではほとんど聞かない。多くのみなさんにご理解いただいていると思う」と述べる。乗り換え新駅設置を公約としていた現職を大差で破って当選した実績があればこその発言だ。

乗り換え新駅の代わりに佐藤市長が検討しているのがリニア新駅と元善光寺を結ぶ新交通システムだ。自動運転のシャトルバスなどさまざまな手段が考えられる。「今はどんなシステムがあるか検討している段階。いろいろな技術をうまく使ってネットワークを構築したい」という。

市は、東京や名古屋との交通アクセス改善を武器にさまざまな企業の本社企業や研究開発拠点の誘致を目論んでいる。しかし、ここで誤算が生じた。企業に飯田への進出を打診すると「リニアはいつ開業するのかと聞かれ、答えに窮してしまう」と佐藤市長がこぼす。


リニア中央新幹線長野県駅の起工式であいさつする飯田市の佐藤健市長(記者撮影)

リニアは当初2027年の品川―名古屋間開業を目指していたが、静岡県の川勝平太知事はトンネル工事が大井川の流量や南アルプスの環境に与える影響を理由に静岡工区の工事を認めておらず、2027年の開業は不可能となった。

「では、いつ開業するのか」。リニア建設を進めるJR東海の金子慎社長は事あるごとにこの質問を受けるが、静岡工区の工事開始時期が決まらない以上、開業時期も決まらない。リニア開業後の飯田市がいかに魅力的な都市だとしても、リニア開業がいつになるのかわからないのでは、企業が飯田への進出に慎重になるのも当然だ。

駅用地の住宅移転問題にも影響

開業時期が決まらないことは別の大きな問題にも影を落とす。駅および周辺広場の用地買収のため住宅移転を迫られる世帯数は約190に及ぶ。すでに移転を決めた世帯もあるが、補償額などの交渉がまとまらず、移転を拒む世帯も新駅予定地の周辺には点在している。

愛着がある家に少しでも長く住み続けたいというのが人情だ。「開業時期が遅れそうなのになぜ今移転しなければいけないのかという思いが住民のみなさまの中にある」と佐藤市長は述べる。すでに転居を決めた世帯の人たちも「もう少し長く住み続けられたのではないか」と忸怩たる思いに違いない。

川勝知事は「大井川流域の住民が不安に思っている」として工事を認めないが、佐藤市長は「当市でも地下水や騒音といった環境に関する問題はあったが、住民のみなさまに丁寧にご説明してご理解いただいた」と話す。それだけに、一刻も早い静岡工区の工事開始を期待する。

そこで、「川勝知事に伝えたいことはあるか」と佐藤市長に水を向けてみたが、「違う自治体の話なので内政干渉になってしまう。コメントは控えたい」とのことだった。神奈川や山梨など他県の工事にも口を出す川勝知事とはえらい違いだ。

「いま工事を始めないと2027年の開業に間に合わない。準備工事だけでも今月中に始めたい」とJR東海の金子慎社長が川勝知事に懇願してから2年半が経過した。単純に考えれば今工事を始めても開業は2030年にずれこむというのに、トンネル工事が大井川の水資源や南アルプスの環境への影響に及ぼす影響について川勝知事が納得していない以上、さらに時間がかかるのは必至だ。

「静岡問題」が沿線に及ぼす影響

リニアをめぐる静岡県、国、JR東海のやりとりを見ていると、静岡県の姿勢には違和感を持たざるをえない。

最近でも2022年12月3日、大井川の水資源問題を議論する国の有識者会議のメンバーと流域市町の首長による意見交換会が島田市で行われ、JR東海が実施の意向を示しているトンネル掘削前のボーリング調査を多くの首長が支持した。流域利水者の意見を代弁する立場にある流域首長は工事に断固反対というわけではないのだ。さらに、JR東海が提案したトンネル工事で県外に流出する水と同量を田代ダムの取水抑制で相殺する案は、全量戻しに代わる有力な案に思えるが、川勝知事は「トンネル湧水の全量戻しにはならない」と否定する。


静岡県島田市で開催された、国のリニア有識者会議メンバーと大井川流域市町首長との意見交換会=2022年12月3日(記者撮影)

工事の遅れがリニア沿線自治体の街づくり計画や住民感情に悪影響を及ぼしているという事例は飯田市だけではないだろう。静岡工区の状況が直接ではないにせよ、他県の人々の生活の歯車をきしませている。こうした事態を一刻も早く終わらせる必要がある。


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(大坂 直樹 : 東洋経済 記者)