「こんな女だったの？」婚約した途端、露呈した女の本性。ハイスペ男は嫌気がさし…
高度1万メートルの、空の上。
今日もどこかへ向かう乗客のために、おもてなしに命をかける女がいる。
黒髪を完璧にまとめ上げ、どんな無理難題でも無条件に微笑みで返す彼女は「CA」。
制服姿の凛々しさに男性の注目を浴びがちな彼女たちも、時には恋愛に悩むこともあるのだ。
「私たちも幸せな恋愛がしたーい！」
今日も世界のどこかでCAは叫ぶ。
◆これまでのあらすじ
小泉と表参道でランチを楽しんだ七海。自宅まで車で送ってもらったとき、小泉に抱き締められた。やっぱり彼が好き…。自分の気持ちを再認識した七海だったが、翌日、ニューヨークに住む元同僚から、「彼には婚約者がいる」と聞いてしまう。
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Vol.12 空の上の恋愛模様
「七海さん、今日の夜、食事に行かないんですか？」
七海は博多に来ている。乗務後のデブリーフィング（振り返り）を終え、更衣室で着替えていると、入社2年目の後輩が尋ねてきた。
「うん、最近寝不足が続いているから、ホテルでゆっくりしてるね」
明るく答えたが、誰とも話さず心ゆくまで落ち込みたい、というのが七海の本音だ。
乗務中は、慌ただしさで気が紛れ、小泉のことを頭の片隅に追いやることができた。
ミスもせず、博多までのフライトを終えることができた自分を褒めてあげたいと思う。
だが、地上に降りると、瑞穂からのメッセージで知った“小泉が婚約しているという事実”が七海の心を支配した。
しかし、婚約者がいると聞いても、すぐに彼への思いが消せるわけではない。
七海は人生で初めて「恋に落ちる」という感覚を味わったのだ。
目に見えない落とし穴にヒュンと心が落下する。恋に落ちるって、そんな無意識な感覚だと七海は思った。
食事会で知り合い、相手のいいところを必死で探し、なんとなく付き合い始める、といったこれまでの恋のルートとは全く違っていた。
バスでホテルに移動する途中、昨日の小泉と会ったときのことを何度も思い出しては、整理した。彼の言葉や一緒にいた場所の記憶を順に辿っていくことで、最後に小泉に抱き締められたことは、突発的な事故ではなかったと結論づけた。
小泉もきっと、七海に対して特別な感情を抱いてくれていると思いたかった。
途中、バッグの中のスマホが何度もブルっと震えた。
― 小泉さんからだったりして…。
気持ちのやり場を探したくて、七海はスマホを手に取った。
― 小泉さんからLINEが来てる…。
画面をスワイプし、メッセージを確認する。
「箱根はだいぶ寒いです」という一文と共に、山々が紅葉する写真があった。
七海もバスの車窓から写真を撮り、送り返す。
次に来たLINEでは「箱根の後、大分に行く」と書かれていて、「11月はどこに行くの？」と七海の予定も気にしているようだった。
最近、国際便乗務が増えたことや、11月はまたニューヨーク便があることなど、どうってことのないメッセージのやりとりを続けているうちに、バスがホテルに到着した。
ガラガラとキャリーを引きずり、部屋に移動する。そして、シニヨンを解き、着替える前にLINEを確認した。
「帰ってきたら、食事に行こう」と書かれている。七海の中に、切なさが込み上げてくる。
― 今度会って、また同じ展開になったら、私は絶対に断れない。というか、むしろ、そうなることを私は望んでいる。
だったら、今、彼に本当のことを聞いてみたい。
七海は小泉に電話をかけた。
◆
誤解と真実
― 参ったな…。
助手席にスマホを伏せ、小泉は車のエンジンをかけた。
「私もまた食事に行きたいと思ってます。でも…小泉さん、婚約してるんでしょう？私と2人で食事なんてして、大丈夫なんですか？」
突然電話をかけてきた七海は、開口一番そう言った。
「婚約なんてしていないよ」と小泉は答えたのだが、七海は引かなかった。
「ニューヨークへは結婚式の準備のために来たと聞きました。コロナになったのは、通訳じゃなくてお相手の方ですか？」
ニューヨークの正司と、彼の妻の瑞穂に聞いたのだろう。
「わかった。その話は会った時に話そう」と一旦電話を切ったが、実に後味が悪かった。
確かに、小泉は婚約はしていた。
七海と初めて会ったニューヨーク便は、元々は婚約者と共に搭乗するはずだった。しかし、ある事情で彼女は小泉の元を去り、彼は気持ちを切り替えるために1人でニューヨークに向かったのだ。
アートフェアに絵を買いに行く際に頼んでいた通訳がコロナになったのは本当の話だ。
しかし、1つミスをしたとすれば、庄司夫妻に説明するのが面倒で、婚約解消の事実を伝えなかったことだ。
約3年付き合っていた恋人・春香とは、友人の紹介で知り合った。
青山学院の後輩で、仕事は役員秘書。性格は明るいし、秘書という仕事をしているせいか、よく気がつくし社交的だった。
ちょうど小泉もフリーだったし、なんとなく関係は始まった。
最初はお互い時間の融通も利き、楽しかった。だが、1年ほどが経ったとき、コロナが蔓延し始めた。
ホテル業界は壊滅的な打撃を受けたが、幸いなんとか従業員を解雇することなく、営業を継続することができた。それどころか、コロナが落ち着くと、前以上に予約の取れない宿として評判になり、日本各地に事業を展開することになった。
小泉は「どうしても彼女と結婚したい」とまでは思っていなかった。
だが、春香は付き合い始めた当初から、仕事を辞めて結婚したいと口にしていた。小泉の仕事を手伝い支えたい、と。
そのうえ、両親とは顔を合わせるたびに「結婚はまだか」急かされ、年貢の納め時だと割り切ったのだ。
ところが、婚約直後から、春香のリクエストに辟易することになる。
「指輪はハリー・ウィンストンがいい」
「夜景の見えるタワマンに住みたい」
「ウエディングドレスはニューヨークで仕立てたい」
小泉だってそれを叶えられない訳じゃない。だが、こうしたことの積み重ねで、一緒にいる時も互いに不満を口にするようになっていった。
「ねえ、本当にわたしのこと好きなの？」
「好きだから結婚することにしたんじゃない。春香こそ、結婚の形にばっかこだわってない？」
そして、いくつかの答えを曖昧にしていたら…ある日、彼女は小泉の前から姿を消した。「他に好きな人ができた」と言って。
ニューヨークに行く2ヶ月ほど前のことだ。
飛行機の中で七海を初めて見たときは、驚いた。
― 春香と顔立ちや背格好が似ている…。
だから、ニューヨークでは意識してしまい、うまく話すことができなかった。
七海と会って話をしたのは、たった4回ほど。
だが、小泉は会うたびに、彼女の控えめな性格や、自分の仕事に誇りを持って自立している姿勢に惹かれていった。
思いがけず会うことになった先日。
チャーハンを食べながら、七海が、いきなり大粒の涙を流した時は驚いたが、その前の話から、別れた男が関係しているのかもしれないと思った。
同時に、会ったこともないその男が無性に腹立たしく感じたのだ。
帰り際、彼女を抱き締めてしまったのは、どうにかしたいと思ったからじゃない。ただ、ただ、彼女を愛おしく感じたからだ。
― さて、どうするかな…。
誤解されたままの状況で、七海がまた会ってくれるのだろうか、と思うと不安だ。
小泉は、一旦車を路肩に寄せ、秘書に電話をかけた。
「ちょっと頼みたいことがある…」
ニューヨーク便で
2週間後。
ニューヨーク便のブリーフィング（搭乗前打ち合わせ）を終え、七海はいつになくソワソワと搭乗準備に取り掛かっていた。
― もう会わないと思っていたのに…。
この日のファーストクラスの乗客名簿に小泉の名前があったのだ。
― また絵を買いに行くのかも。どんな顔して会おう…。
乗客としてやってくる小泉に、どう接すれば良いのか、七海は名簿を見つめながら考える。
先月末、ステイ先の博多で、七海から電話をかけて以来、小泉とは話していない。彼は「婚約はしていない」と言ったが、その理由については何も言及しなかった。
「会って話そう」と小泉は言った。
しかし、実際、11月は国際線のフライトが多くて忙しい。七海から「11月は本当に無理かも…」と断った。
それに、自分が帯びている熱を冷ました方がいいと七海は冷静に考えた。
しばらくすれば仕事に忙殺され、きっと小泉のことは忘れるはず。また傷つくくらいなら、その前に忘れてしまいたい、とも思った。
ファーストクラスには、やはり小泉が乗ってきた。
「本日はご搭乗ありがとうございます」
離陸してしばらくしてから、七海はクラスの乗客1人1人に挨拶に回り始めた。もちろん、仕事だから例外はない。
「小泉様、本日はご搭乗ありがとうございます」
仕事だと割り切ってにこやかに小泉に挨拶をするが、七海はどうしても目を合わせることができない。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
小泉の声を聞いて、妙に七海は安心した。その場から下がろうとした時、小泉が七海を引き止める。
「あの、僕の名刺もお渡ししてもいいですか？」
― えっ、名刺？
驚きをスマイルの奥に封じ込め、応じる七海。
「もちろんです」
そう答えると、小泉は七海に名刺と共に小さなメモを手渡した。
もう会わないと決めたはずなのに、彼と同じ空間にいる。
彼は七海が傷つくようなことをする人じゃない、とわかってはいる。
だが、メモに何が書かれているのか想像し、七海はそれを開くのが怖くなった。
小泉の座席の方を見ると、彼は初めて会った時のように、無言でひたすら本に目を落としている。
七海はラバに入り、そっとメモを広げた。
「婚約していたのは本当だけど、
ニューヨークで会った時にはすでに解消していた。
会いたい。
今夜、セントレジスで待っていてもいいですか？」
小泉らしい角張っているが丁寧な字で書かれたメモを、七海は何度も読み返した。
― もしかして、偶然じゃなくて、私のフライトに合わせて予約したの？
思い返してみると、先日ニューヨーク便のファーストクラスに乗務する話をLINEでしたような気がする。
小泉が自分のためにそこまでしてくれたのか、と思うと涙が込み上げてきた。
七海は、人一倍涙腺が弱い自覚はある。「今は仕事中。ここはラバ、泣いちゃダメ」と心の中で呟きながら、トイレットペーパーで目尻を拭う。
そして、気持ちが落ち着くのを待ってから、ラバを出ると小泉のもとに向かった。
「お待たせしました、小泉様。先ほどご質問いただきました件ですが、可能でございます。こちらに詳細がございます」
そう言って、七海は一枚のメモを差し出した。
CAスマイルで小泉を見る七海の目には、今にも溢れ落ちそうな涙が光っていた。
Fin.
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