ライザ・ミネリ幻のライヴ録音「ライヴ・イン・ニューヨーク 1979」、遂にCDリリース!~「ザ・ブロードウェイ・ストーリー」番外編
ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story [番外編]
ライザ・ミネリ幻のライヴ録音「ライヴ・イン・ニューヨーク 1979」、遂にCDリリース!
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
生誕100年を記念し、ジュディ・ガーランド(1922~69年)の功績を集中して称えてきたが、今回は長女ライザ・ミネリのCD「ライヴ・イン・ニューヨーク 1979」(以下「LINY」)がリリースされたので紹介しよう。彼女が、母親にとっても縁が深かった、カーネギー・ホールでのコンサートを収録したもので(ガーランド特集Part 2参照)、母同様にライヴ盤に優れた録音が多いライザのアルバムの中でも、ベストに数えられる一枚に仕上がっている。
母ガーランドのカーネギー・ホールでのコンサート(1961年)のラストで、ステージに登場した15歳のライザ・ミネリ(右端) Photo Courtesy of Scott Brogan
■41年振りにCDとLPでリリースされる稀少盤
ライザは今年(2022年)で76歳。長年に亘り、アルコール依存とリハビリ施設入所を繰り返した彼女は、健康状態が懸念される(3月のアカデミー賞授賞式には車椅子で登場)。最近では今年発売された、友人で歌手マイケル・ファインスタインのガーシュウィン楽曲集「ガーシュウィン・カントリー」で、〈エンブレイサブル・ユー〉をデュエットで披露。彼のコンサートにも時折参加して歌っており、波はあるものの、好調な時はまだまだ声が出るようだ。スタジオ録音のソロ・アルバムは、2010年リリースの「コンフェッションズ」が最後か。
M・ファインスタインの「ガーシュウィン・カントリー」は、カントリー調アレンジのガーシュウィン名曲集。デュエット・アルバムで、ライザ以外にはドリー・パートンらが参加している(輸入盤CD)。
実はこの「LINY」、1981年からライザのコンサート会場限定で、LPレコードで販売されたもの。その後廃盤となりファンの間で高値が付いていたが、この度ようやくCD化されただけでなく、LP未収録の楽曲をたっぷり収録した3枚組仕様でのリリースと相成った(2枚組のLPでも同時発売)。コンサートが開催された1979年9月当時、ライザは33歳。20代の力任せ系粗削り唱法から脱皮し、1977年に主演した映画「ニューヨーク・ニューヨーク」の頃から丁寧に歌い込むようになった彼女は、大充実のヴォーカルを聴かせる。
■巻頭のバラードで観客の心を掴む
ライザが、日本で初コンサートを行ったのは1981年。2年前の「LINY」は、プログラムの構成が似ているのも個人的には感慨深い。中野サンプラザホールで観た、このコンサートが素晴らしかったのだ。彼女が歌う時の表情とジェスチャーはもちろん、照明や編曲に至るまで計算され尽くされた緻密なステージングに驚嘆。プロの仕事を目の当たりにした感動と興奮は、一生忘れないだろう。「LINY」の構成と演出は、ライザの座付きソングライター・チーム、カンダー&エッブの作詞家フレッド・エッブ。ステージングは、後に『ウィキッド』(2003年)の振付などで名を馳せるウェイン・シレントと、以降もライザとの仕事が多いロン・ルイスが担当した。ちなみに彼女は、その後1989年と1995年にコンサートのため来日。前者は、フランク・シナトラ&サミー・デイヴィス・ジュニアとの豪華ジョイントだった。
ライザ本邦初コンサート(1981年)のプログラム表紙
「LINY」は、まず冒頭で圧倒される。舞台上には、鉄骨製のバンド・スタンドが組んであるだけ。殺風景極まりない。やがてライザが登場して歌うは、ガーシュウィンのバラード〈いつ頃からこんな気持ちに〉。ミュージシャンが演奏しながら共にステージに現れると、音は徐々に厚みを増し、柔らかな照明と物憂い曲調が相俟って一気に引き込まれる。そこで一転、今度はアップテンポの〈愛は奇蹟のように〉(バリー・マニロウのヒット曲)を畳み掛けるようにシャウト。既に客席は興奮のるつぼだ。この緩急自在のオープニングには唸るのみ。一曲目にバラードを選ぶ自信にも感じ入った(来日公演でも同じ演出だった)。
■メドレーで語られる「結婚物語」
以降も、クルト・ヴァイル作曲の〈マイ・シップ〉などをじっくり歌い上げ、続いて名作『ジプシー』(1959年)の〈サム・ピープル〉を熱唱と、さらに絶好調。嬉しいのは、古いスタンダードだけでなく、前述の〈愛は奇蹟~〉のように1970年代ポップスも盛り込んでいる事。人気歌手メリサ・マンチェスターの歌で親しまれた、〈カム・イン・フロム・ザ・レイン〉もその一曲だ。当時ライザが好んで取り上げていたバラードで、苦労を重ねた友人の久々の訪問を受け、「雨に濡れるから、家に入っていらっしゃい」と慰める歌で、感傷的な甘い曲調が今聴くと懐かしい(日本では〈雨に想いを〉の邦題で知られた)。
CDは豪華3枚組でのリリース。ライザの底力を存分に堪能出来る。
若い頃から、ドラマチックなシャンソンを好んだライザ。「LINY」でも、公私共に親しかったシャルル・アズナヴール(歌手/作詞作曲家)の楽曲を含む、異なるソングライターによる3曲をメドレーで歌い、「結婚」のドラマを展開する。1曲目が、映画「チップス先生さようなら」(1969年)の〈あなたと私〉、続いてブロードウェイ・ミュージカル『I DO! I DO!』(1966年)から〈ハネムーンはおしまい〉、そして最後がアズナヴールの〈素晴らしい結婚記念日〉。夢多き新婚時代から、諍いの絶えぬ10年目、悟りの境地で愛を再確認する20年目と、夫婦の歴史が綴られる。母親譲りの演技力に恵まれた彼女は、メリハリの効いた語り口で流石に上手い。
もちろん、ライザが映画の中で歌い十八番となった、〈キャバレー〉や〈ニューヨーク・ニューヨーク〉、〈バット・ザ・ワールド・ゴーズ・ラウンド〉などの鉄板レパートリーも歌われるが、〈キャバレー〉では冒頭に彼女の短い語りが入り、〈ニューヨーク~〉はNYに因んだ楽曲で綴るメドレーの最後に歌われるという変則型。それにしても、いつ聴いても血沸き肉躍る、全力投球のエネルギッシュな絶唱には脱帽だ。観客の熱狂振りも凄まじい。
■ライザ再評価のきっかけに
TVのためのコンサート「ライザ・ウィズ・ア・Z」(1972年)の宣伝用写真
久々にこのライヴを聴いて、1970~80年代は、ライザにとってキャリアの頂点であった事を改めて実感させられた。1972年に、「キャバレー」でアカデミー賞主演女優賞に輝き、『ジ・アクト』(1977年/トニー賞主演女優賞受賞)と、チタ・リヴェラと共演した『ザ・リンク』(1984年)などでブロードウェイを制覇。TVでは、ボブ・フォッシーが構成・演出・振付を手掛けた「ライザ・ウィズ・ア・Z」(1972年)や、バレエ・ダンサーのミハイル・バリシニコフとミュージカル・ナンバーを踊りまくる、「バリシニコフ・オン・ブロードウェイ」(1980年)で絶賛を浴びた(2本共、当時日本でも放映)。ただ「ライザ・ウィズ~」は、後にアメリカでDVD化されたが、「バリシニコフ」は未発売。「LINY」のように正規の形でリリースされれば、ダンサーとしても超一流だった、彼女の再評価に繋がる事必至なのだが惜しい話である。
TVスペシャル「バリシニコフ・オン・ブロードウェイ」(1980年)より
前述のように「LINY」の3枚組CDは、Disc 1 に、かつてLPに収められた全曲を収録。Disc 2 & 3は、カーネギーでの別日の録音で構成されているが、当然Disc 1とダブっている曲目も多く、こちらはコアなファン向きだろう(全て未発表曲)。リリースはReal Gone Musicより。Amazonやタワーレコードから、輸入盤で入手出来る(ダウンロードでも購入可)。