黒木知宏氏(左)の長女であるMEIさんが「M☆Splash!!」に加入【写真:球団提供】

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黒木知宏氏の長女・MEIさんはロッテ公式チアパフォーマーに今季から加入

 父がエースとしてプレーした球団に、娘も“入団”した。今季からプロ野球・ロッテの公式チアパフォーマー「M☆Splash!!(エムスプラッシュ)」に加入したMEI(メイ)さんは、“ジョニー”の愛称で知られる98年の最多勝右腕・黒木知宏氏を父に持つ。

 闘志を前面に押し出すプレースタイルで「魂のエース」とも評された黒木氏は、父としても熱い男だった。そんな黒木氏の長女であるMEIさんは、どんな経緯で「M☆Splash!!」に加入したのか。家庭での知られざる父の素顔とともに迫った。(聞き手:THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

 ◇ ◇ ◇

――お父さんがエースとしてプレーしていたロッテで、今年からチアパフォーマーの一員になりました。シーズンも半分が過ぎましたが、活動はどうですか。

 楽しいですね! 小さい頃から憧れていた、自分の好きな場所で踊れるので。まだまだやれること、足りないこともあるなと思いますが、思っていた以上にたくさんのファンの方に受け入れてもらっているなぁと感じています。

――昨年のオーディションは200人の応募があり、合格者はわずか9名。合格率4.5%と狭き門でしたが、いつから受験を考えていたのですか。

 本当は3年前にオーディションを受けたかったのですが、新型コロナウイルスの影響で一般のオーディションが開催されなかったので。去年はほとんどフリーで活動しながら、アルバイトをしつつレッスンも受けていました。母には常日頃から自分の活動や近況を伝えていたんですけど、父には応募申請を出した後に「そういえば、受けるんだ」くらいの感じで伝えて。最初はビックリしていましたが「頑張れ、でもそんな甘くないぞ」と言われました(笑)。

――熱い檄ですね。長女であるMEIさんの合格を知ったお父さんの反応はどうでしたか。

 もちろん喜んでくれました。あと「お前はいろんな覚悟をしなければいけない」とは伝えられましたね。「ジョニー黒木」っていう存在がありつつ、活動していくことも分かっていたので。

――「ジョニー黒木」といえば、ロッテファンに愛される好投手でした。現役時代のお父さんの記憶は、どんなものが残っていますか。

 正直、現役でバリバリ投げていた時のことはほとんど映像や記事で見ただけで、あまり記憶はないんです。自分が物心ついた頃には怪我をしていて、リハビリで(2軍の)浦和をずっと走っていたりしている姿の方が印象にあって、あまり投げている姿は見ていません。ただ、引退試合の記憶は強く残っています。

――2008年3月に本拠地で行われた引退セレモニーは、オープン戦だったにも関わらず満員でした。引退登板を終えたお父さんに、MEIさんも花束を渡されましたね。

 マウンドに妹と2人で向かいましたが、幼いながらに球場の凄い圧迫感、圧倒感を感じていて……普段ならマリーンズは応援の声量が凄いのですが、投げている時はホーム、ビジターともに“無”でした。父の声だったり、雄叫びを聞きたいがためにシーンとした緊張感が漂っていたのを凄く覚えています。

 そのあと、皆が「ジョニー!」と声をかけてくださったりしている中で、私も感極まるものがありました。グラウンドに地鳴りがするくらい凄い声援で、今でも鮮明に残っていますし、あの時以上の経験はありませんね。

スパルタに育てられた父の教え「1日1つ、100%やりきる」

――お父さんは闘志あふれるピッチングスタイルが特徴の一つでした。普段、父親として家ではどんな存在でしたか。

 家でも熱い男という感じです(笑)。私もスパルタに育てられたというか、常日頃から口うるさく、いろいろと言われていました。1つの教えとしては「なんでもいいから1日1つ、100%やりきる」ということ。ご飯を食べることでもいいし、お掃除をするのでもなんでもいいから、絶対なにかしら100%でやりきれと。

――「100%でやりきる」という教えに込められたお父さんの思いはどんなものだったのですか。

 家での掃除みたいな簡単なことでも、普段の行いが全てに繋がるんだよ、とずっと教えられていました。小さい頃はバレエのレッスンを毎日真剣にやっていましたけど、やっぱりどうしてもだらけてしまう時があって、だらしない部分があるとすぐに「やれ!」とよく叱られていました。でも、今もそれが活きていると思います。

――「M☆Splash!!」に加入してから気付いた、お父さんの凄さはありますか。

 父をきっかけにファンの方からお声掛けしていただくこともありますし、こうしてインタビューを受けさせていただくこともそうですね。あとは父が試合の解説でZOZOマリンスタジアムを訪れますけど、やっぱり「ただものじゃないんだな」とは改めて思います(笑)。まだ球場で話したことはないんですけどね。

――クラシックバレエ歴は約20年、ジャズダンスや舞台も経験されていますが、どんな経緯でダンスと出会われたのですか。

 3歳の頃、友人が通っていたバレエスクールの発表会にたまたま母が連れて行ってくれたのですが、キラキラした衣装に惹かれて「やりたい」と言ったのがきっかけです。気付いたら、それからずっと踊っていますね。父は「好きなことをやれ」と、あまり私のやることに干渉することはなかったです。

――ダンスを職業として意識したのはいつ頃からでしょうか。

 小学生の時から、将来の夢の欄には「ダンサー」「踊る人」と書いていました。最初はクラシックのバレリーナになりたかったんです。ただ、ある程度身長がないとオーディションに参加できない。私は今も154センチしかないですし、小さい頃から小柄だったので厳しい面があるとは分かっていました。

 中学生の頃から他のダンスにも移行していったのですが、そこで舞台とか、広いところで踊ることに興味が沸いて以来、自分はエンターテイメントの中で生きていきたいと考えていた気がします。舞台の主役を一度いただいたときに、皆さんからの注目が1人に集まるのにゾワゾワっと高揚する感じがして、もっといろんな所で味わいたいと感じたことを覚えています。

「ゾクゾク」を感じた佐々木朗希の完全試合

――プロ野球球団のチアパフォーマーには、小さい頃から興味があったのですか。

 そうですね。野球も好きで、ダンスも好きだったので、グラウンド内で踊っている「M☆Splash!!」や他球団のチアの方をみるとキラキラして見えました。そのあと、ちゃんと職業として考えた時に、大好きなダンスを、大好きなマリーンズでやれるというのは大きな魅力でしたし、「M☆Splash!!」に入りたい気持ちは強くなっていました。

――MEIさんが最も感じていた「M☆Splash!!」の魅力はどんなところですか。

 自分が大好きな球団のチアというのもありますが、他球団以上にスタイリッシュでカッコいいという印象が強かったです。チアにもいろんな球団のいろんなカラーがあると思いますが、「M☆Splash!!」はオールジャンルといいますか、いろんな分野のダンスをしていて、パワーもあるチームだと思っていたので。

――入団は「夢」とも仰られていましたが、実際に活動を始めた今年、特に記憶に残る出来事はありますか。

 2試合あります。1つはオープン戦で自分がデビューした日。今までスタンドから見ていたものがグラウンドからの景色になった時に、鳥肌が立ちました。

 もう1つは、佐々木朗希投手が完全試合をした時に、勝利演出でグラウンドに立った時。観客の皆さんの「ウワァー!!」って盛り上がりがゾクゾクっとしました。私たちも試合中から凄いことになっているとは分かっていたんですけど、スクリーンに文字がドンって出た時に「ヤバイ……」って(笑)。お客さんの反応も凄く近くで見られたので、なおさら実感しました。

――MEIさんは「M☆Splash!!」の一員となる前、アルバイトや一般企業でのお仕事も経験されながら夢を叶えました。ダンスを仕事として生きていきたい人、これからダンスをやってみたい子供たちに伝えられることはありますか。

 趣味の範疇で楽しむというのは誰でもできると思いますが、仕事にするとなると厳しい世界。分かってはいたけれど、今になってなおさら痛感しています。

 自分の得意不得意があると思いますが、とにかく得意なもの、好きなものを伸ばすのが私は大事だと思っています。その中で基礎、最初に段階を踏まなければならないものを理解していかないと、応用は効かないのではないかと感じていますし、得意なことで1から順に突き進んでいくのが一番じゃないかと思います。

――最後に今後の活動で実現させたいことを聞かせてください。

 ショーのダンスナンバーだとか、グラウンド内のパフォーマンスの振付を、いつか自分たちでプロデュースも出来ればいいなと考えています。憧れの「M☆Splash!!」が今以上に世に広まるように、何かしらで貢献できればいいなと考えています。

■MEI(めい)

 千葉・浦安市出身。3歳からクラシックバレエを始め、ジャズダンスや舞台など様々なジャンルのダンスに挑戦。高校時代は野球部の夏の大会のチアリーダーも経験した。昨年の「M☆Splash!!」オーディションを受験し、募集200名の中から合格者9人の中に残った。今年3月のオープン戦でデビュー。身長154センチ。趣味は野球観戦、読書、ボディコンディショニング。特技は三点倒立、ライアン投げ。父はロッテに13年間所属し、最多勝1回、最高勝率1回を受賞した野球解説者の黒木知宏氏。

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)