北京五輪直後に右足に痛み

 7月1日、横浜。アイスショー「ドリーム・オン・アイス」の公演初日、樋口新葉(21歳、明治大学)は後半の部に登場した。オープニングの白銀にピンクが入った衣装から、右肩だけを露出した黒い衣装にチェンジ。2022−2023シーズン、ショートプログラム(SP)の『Never Tear Us Apart(ネバー・ティア・アス・アパート)』を滑り、髪を揺らしながら、大人っぽさ、色気を醸し出した。


「ドリーム・オン・アイス」で新SPを披露した樋口新葉

 今年2月の北京五輪、樋口は団体戦で見事にメダル獲得に貢献している。個人でも、五輪女子史上5人目のトリプルアクセル成功者となって、5位に入賞した。得意のアクセルを翼に、彼女は世界で羽ばたいたと言えるだろう。

 ただ、この日のアイスショーでは、冒頭のアクセルジャンプは回転がほどけてしまい、本来の調子ではないのは明白だった。

「足(のケガ)は完治して、練習も始めていたんですが、なかなかシーズン中の身体には戻らずに。筋力も落ちているので、まずはそこを戻していけたらと思います」

 樋口本人がそう語ったように、右すねの疲労骨折からの復帰途上だ。

 北京五輪直後、右足に痛みを覚えた。そこからずっと痛みは消えなかった。3月の世界選手権、さらに4月の『スターズ・オン・アイス』を終え、ようやく病院で診断を受けた。そこで疲労骨折という診断を受け、しばらく安静となった。

 そのケガは図らずも、激闘の証だったと言える。フリースケーティングの『ライオン・キング』は今や彼女の代名詞となるほど、生命力を感じさせるダイナミズムがあった。ただ、出力を最大限に上げたトレーニングは、肉体を酷使したのだろう。

ひとつ上のステージへ

 五輪シーズンを全力で駆け抜けた樋口は、新たなシーズンをどう戦うのか?

「今日滑ったのは、強い女性を歌った曲なので、それを表現できたらいいなと思っています。ステップやジャンプのつなぎの部分はたくさん入っているので、そこを注目して見てもらえたらなって」

 アイスショー初日後、樋口はそう意気込みを語ったが、現状を直視していた。

「(挑戦するジャンプはあるのかという質問に)ケガの影響もあって、まだ跳べるはずのジャンプを戻しきれていなくて。まずはそこをクリアし、試合に出られる状態にしてから。トリプルアクセルを含めて、他のジャンプも質がよくなる練習をしていきたいです。(10月からの)グランプリシリーズに間に合うように練習を積んでいければ」

 彼女は焦っていない。

 樋口は北京五輪も、自ら距離感を計算しながら、勝算を立てて挑んでいる。五輪を前に、彼女はその出場がかかる全日本選手権にすべてを投入したのである。五輪まで1年をきって、彼女はこう話していた。

「プログラムづくりを含めて、いつも以上に敏感になって。攻める気持ちでやっていきたいです。五輪に出たい、メダルを獲りたい、というのは目標ですが、そのためにはまず、全日本でトップに立つような演技が必要で。今の自分はそこにはいない。できることを完璧にやりながら、ダントツで勝てるような自信を持って試合に臨めるように」

 迎えた全日本、彼女はSPではあえてトリプルアクセルを封印し、フリーで果敢に挑戦している。実践的、現実的な戦い方で確実にポイントを稼ぎ、ミスを最小限にした。結果、ライバルたちを退けて2位の座をつかむことになったわけで、考え抜いて取り組んだ答えだ。

 そして樋口の場合、自らの足で立った舞台で大きくなるタイプなのだろう。

「(最後の五輪の気持ちで挑むと言ったが)毎日いろんな経験ができて、すごく楽しい人生のなかの3週間でした」

 樋口は五輪を戦ったことで、より野心的になった。

「多くの人が経験できないことをさせてもらいました。そのなかで、当初は『メダルを考えず、自分が納得できる演技を』と思っていましたが、いろんな競技の人たちの刺激も受け、『頑張ってメダルを獲りたい!』って思うようになりました。なので、4年後にできることを増やし、強くなってこの舞台でもう一度滑りたいと思います」

 五輪での経験によって、彼女は"ステージを上げた"のだろう。それは、簡単なことではない。大舞台にひるみ、自信をなくし、もしくは満足してしまい"燃え尽きる"ケースも少なくないのだ。

「明るく楽しく前向きに滑れたら」

 彼女は言う。自分なりのペースがあるのだろう。最近はドライブが気分転換になっている。免許を取得して1年半、ハンドルを握るのが楽しくなってきたという。

「今シーズンも全日本で表彰台に上がって、優勝するのが目標で。(来年3月の)世界選手権の代表に選ばれるように頑張っていきたいです」

 樋口はよく通る声で、そう宣言した。