日本ハム・新庄剛志監督【写真:荒川祐史】

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公私で親しい坪井智哉氏は今年、石狩レッドフェニックスの監督に就任

 今季から新たに設立された北海道フロンティアリーグ・石狩レッドフェニックスの初代監督を務める坪井智哉氏が“兄貴分”と慕うのが日本ハムの新庄剛志監督だ。現役時代、阪神と日本ハムで同僚として多くの時間をともに過ごし、大きな影響を受けた。これも何かの縁か――。舞台は違えど、同じ北海道で2人は今年、監督生活をスタートさせた。

 坪井監督にとって2学年上の新庄監督は、公私で親しい間柄だ。プロ入りした1998年から3年間、阪神でチームメートに。守備面でアドバイスをもらっていたのはもちろんだが、プライベートな相談も何度もした。また2003年に日本ハムへ移籍すると、翌年からは米国から帰ってきた新庄監督と再び3年間、同じユニホームに袖を通した。

 教わったことは数知れない。新庄監督が今、選手たちに言い続けている「“お客さん”ではなく“ファン”」もその1つだ。坪井監督は「お客さんじゃない。ファンの方はそんなつもりで来ているんじゃないよっていうのは僕も教えてもらいました。人への接し方、ファンへの接し方、ヒーローインタビューでの話し方……。『始球式のときはグラブを外して拍手するんだよ』とか細かいことも言ってくれましたね」と感謝した。

 近しい存在だからこそ“本当の姿”も何度も目にした。「コソ練しているのを見かけたとき、口に指をあてて『絶対に言うな』ってよく言われたな。練習も何もしていないように見せる。何もしていないけどチャンスが来たら打っちゃうよ! ってファンに見られたかったんでしょうね(笑)」。人には見せない、影の努力。それは現在の監督業にも通じるという。

「よく“勘ピューター”って言うけど、メチャメチャ色々考えています。思い付きでやっている感じではなく、全て計算しています」

日本ハム時代にはともに「ゴレンジャー」の被り物パフォーマンス

 2月の春季キャンプでは真っ赤な電動キックボードでグラウンド入りし、本拠地開幕戦では空飛ぶバイクに乗るなど、ど派手に球界の常識を打ち破りまくっている新庄監督。しかし意外にも、これには驚きはないという。「だってアメリカから日本ハムに来た時が凄かったから。天井から降りてきたの、選手は誰も知らなかった。それはそれはビックリしましたよ」。ともにゴレンジャーの被り物でパフォーマンスもした坪井監督は、懐かしそうに笑った。

 石狩の監督就任が決まったときには、真っ先に連絡して報告。「よかったな。俺にできることがあれば何でも言って来いよ」と温かい言葉を受けた。現在はラインやインスタグラムなどで連絡を取り続けている。

 その言葉に甘えたい気持ちもあるが、コロナ禍でもあり、NPBでシーズンを戦う厳しさも知っているからこそ、安易にコラボを呼びかけることはできないでいるという。それでも「落ち着いたら一緒に何かさせてもらえれば。アイデアがあればお願いします」とファンに呼びかけた。

 新庄監督の「BIGBOSS」のパロディで、「TSUBOSS」と名乗り、石狩のために奮闘する。北海道を盛り上げようとする思いは同じ。縁深いビッグボスに負けじと、坪井監督も戦いに挑んでいる。(町田利衣 / Rie Machida)