2009年に豊田章男氏が社長に就任してからすでに10年以上が経過した。章男氏が次期後継者選抜で重視していることとはーー(© 2021 Bloomberg Finance LP)

トヨタ自動車は全世界従業員37万人を抱える巨大企業である。2009年に豊田章男氏が社長に就任してからすでに10年以上が経過し、いよいよ次の社長選びが本格化している。巨大企業のトップはどのように選ばれるのか。創業家との関係はどうなのか。トヨタを長年取材してきて、『豊田章男の覚悟』も刊行した片山修氏が、社長選びの深層に迫る。

社長と副社長とでは、責任の重さは月とスッポン

トヨタ自動車は、今年4月1日付で3人の副社長を誕生させた。2020年に廃止した副社長職の2年ぶりの復活だ。

「ご愁傷さま」――。

トヨタ社長の豊田章男氏は、執行役員10人を集め、その中から副社長を指名した際、3人にそう言った。

「この3人がヒト、モノ、カネを扱う副社長になる」

そう話しつつ、指名され緊張する当人たちをリラックスさせる声かけをするあたりは章男氏らしい。いかにも彼らしいハッパの掛け方とも受け取れる。

副社長に指名された三氏のうち、ヒトは桑田正規、モノは前田昌彦、カネは近健太が担当する。桑田氏52歳、近、前田両氏53歳である。一気に若返った。ちなみに、章男氏の社長就任は53歳だった。

章男氏は常々、人材育成について「それぞれの強みを生かして伸ばせ」と語っている。そして、「交代の時期がきたら、その時代はどんな人材を求めているか。それによって選ぶ」とする。

むろん、次期社長候補が3人に限定されたわけではない。ほかに執行役員もいるし、それ以外から抜擢される可能性も否定できないのは論をまたないだろう。

それにしても、トヨタの社長バトンタッチは簡単ではない。世界に37万人の従業員を抱える巨大企業だ。世界各地に展開するトヨタグループも束ねなければいけない。想像を絶するような重い責任を背負うことになる。

創業家出身の章男氏がトップを務めているからこそ、グループの団結が守られているが、新しい社長はどのようにしてグループのガバナンスをとっていくのか。

「自分が抜けたらどうなるんだろう……」と章男氏自身が不安を抱くのは当然である。

社長と副社長とでは、その重みは月とスッポンといわれている。章男氏は副社長に「覚悟」を求めたのである。

章男氏が社長に就任したときの顧問、相談役は67人

5月11日に開かれた2022年3月期決算発表の記者会見には、肝心の章男氏の姿がなかった。アレっと思った。出席したのは、副社長になったばかりの近、前田の両氏と、Chief Communication Officerの長田准氏だ。彼らは、記者の質問に、緊張した面持ちで受け答えをした。いつもと違って、終始、張りつめた空気が感じられた。

いよいよ始まったなと、私は直感した。「ポスト章男」の動きである。

日本企業の社長交代は、密室で決まるケースが少なくない。社長就任の順番があらかじめ決まっているとか、社長が後任を託す人物をひそかに呼び、「あとを頼むぞ」とささやくとか。また、持ち株会社などでは、社長など経営陣の人事を議論する「指名委員会」が設置されており、透明性のある選解任プロセスが仕組みとして担保されるが、実情はどうか。社長が指名委員会に後任を推薦するケースが少なからずあると言われている。

その点、章男氏は違う。「後継者育成において、自分がどう考え、どう結論を出していくのか……。そのプロセスをすべて見せていきたい」と、周囲に語っているのだ。

なぜか。自らが社長に就任した際の苦い経緯があるからだ。

トヨタは、リーマン・ショックで4610億円の大赤字を計上した。厳しい経営環境のもと、世代交代が求められ、次期社長をめぐって社内は揉めた。世襲批判もあり、なかなか決まらなかった。密室での覇権争いは熾烈を極めた。

最終的に豊田家への大政奉還が決まった。章男氏の社長就任は“難産”だった。この間のゴタゴタが尾を引いた。影響は後々まで残った。  

章男氏が、後進のために綿密なバトンタッチの方法を考えるのは、そうした苦々しい背景があるからだ。

章男氏は新社長に就いたものの、前政権の経営陣をそのまま引き継いだため、思うようにマネジメントを進められなかった。そして、就任8カ月後に発生した大規模リコールによる米公聴会の問題につながった。

章男氏は、最初から公聴会に出席し、謝罪すると腹をくくっていたが、周囲は新人社長の章男氏の出席に反対していた。問題はこじれた。痛恨の思いがある。

また当時、OBの顧問、相談役は67人いた。それを約10年かけてゼロにした。

“手づくり”で新社長へのバトンタッチの環境を整える

そうした“愚”を繰り返さないため、章男氏は、丁寧に細心の注意を払いながら、新社長育成を“手づくり”で行っている印象だ。そして、現場がやりやすい体制に変革している。また、さまざまな“場”を設定し、スピーディーに業務が進められるように、日々改善している。

たとえば、週1回「官房ミーティング」を開いている。出席者は、社長、番頭、副社長。問題意識のほか、議題の共有を図る。

「官房ミーティングは、テーマも資料もなしで行っています。断っておきますが、経営会議ではございません」(桑田氏)

同じく週1回、「地域CEOミーティング」をオンラインで開いている。出席者は、社長、副社長、CxO(Chief x Officer=最高〇〇責任者)、地域CEOだ。

このほか、月1回、「社長・CxOミーティング」を開く。社長、番頭、副社長、CxOが出席し、取締役会議案の事前審議、重要テーマを議論する。そして、取締役会に諮る。

また、業務執行には、ビジネスチャットツール「Slack(スラック)」が活用されている。社長、CxO、主要プロジェクト実務メンバーは、「Slack」を通して、日常のリスク情報などを双方向で共有、社長指示を迅速に共有し、タイムリーに実行に移す。


「最近、社長からの提案でSlackの新しいルールが生まれました。土日はなるべく控えるとか、夜は10時頃までにするとかです。ただ、緊急事態が発生することもありますので、緩いルールですね。たとえば、災害が起こると、それに対する初動が決まる。大きな考えを社長が示し、それぞれが動いていく。会議ばかりしていては、スピーディーな経営はできません」

と、桑田氏は語る。時代に即した仕事のやり方に変えているのだ。

「現場にもっとも近い社長」を標榜する章男氏は、肝心の現場についても手を打った。元副社長で、“オヤジ”こと現エグゼクティブフェローの河合満氏の後任役に、10歳若い64歳の伊村隆博氏を生産本部長として抜擢した。

「“オヤジ”からは、まだ“青い”といわれていますが、現場から経営の支援をしていくつもりです。豊田社長は一貫して『逃げない、隠さない、ウソをつかない』――とおっしゃっています。何か問題が起きたら、早く処置し、お客さまに迷惑をかけないつもりです」

と、伊村氏は言う。

後世のためのバトンタッチは、着々と進んでいる。

(片山 修 : 経済ジャーナリスト)