※この記事は2021年10月14日にBLOGOSで公開されたものです

2021年9月26日、伊藤蘭が日比谷野外大音楽堂のステージに立った。それは44年ぶりの野音であり、44年前の1977年7月17日にトップアイドルだったキャンディーズ(伊藤蘭・田中好子・藤村美樹)はこのステージで解散を宣言した。

コンサート終盤、「私達、皆さんに謝らなければならないことがあります。私達今度の9月で解散します!」と突然の発表。ファンの歓声は驚嘆に変わって混乱に染まり、キャンディーズは涙声で「ごめんなさい」と繰り返した。

そこで伊藤蘭が発した「普通の女の子に戻りたい」という叫びはシンボリックに世間に放たれ、この年の流行語となる。あらためて設定された1978年4月の後楽園球場でのファイナルコンサートに向かって、キャンディーズ解散までの日々はひとつのムーブメントとして膨らんでいった。

野音はその「終わりの始まり」の地としてキャンディーズ・ヒストリーに刻印された場所だ。その野音に、ふたたび伊藤蘭が立った――。

「今、私が野音でコンサートを行う、その意味って何だろう」

伊藤蘭はキャンディーズ解散後、女優業を主として芸能活動を続け、歌手業を封印してきた。40年以上の長い時を経て歌手活動への復帰を果たしたのは2年前、2019年だった。以後、ソロシンガーとしてコンサートを開催。そこでキャンディーズ時代のヒットナンバーもたっぷり披露している。

それはキャンディーズファンにとって感慨ひとしおのことだった。しかし、その主役はリターン・トゥ・キャンディーズではなくソロシンガーとして新たな一歩を踏み出した伊藤蘭自身だった。

そして2021年7月、伊藤蘭はセカンドアルバム発売に合わせてのツアー「Beside you&fun fun Candies!」で、特別追加公演として日比谷野音でのライブ開催を発表する。このライブに関してオフィシャルサイトでは伊藤蘭による以下のコメントが寄せられた――、

「9月26日に東京の日比谷野外音楽堂での公演が決定しました。

野音のステージに立つのは44年ぶり。ご存知の方もいると思いますがキャンディーズ時代の77年7月17日、私達が解散の意思を公にした場所です。私にとっても当時を知るファンの方達にとってもあまりにも鮮烈な思い出を残す場所なので、このお話を聞いた時は正直迷いました。

今、私が野音でコンサートを行う、その意味って何だろうと…。

現在私を支えてくれるスタッフの中には、キャンディーズ時代の音楽活動に思い入れを持ってくださる方も多くいて、今回もそうしたスタッフの方々の提案がきっかけとも言えます。やはりそんな熱意は今とても有り難く響いてきます。

あまり考え過ぎずに素直に受け止め私にできるのであれば応えてみたいと思いました。

野音の風を感じながら、新曲はもちろんキャンディーズ時代の歌の数々を楽しんでいただけたらと思います。皆さんと一緒に長い年月を経て再びその場所に戻れたことを、お互いに喜び合えるステージにできたら嬉しいです」

キャンディーズの「終わりの始まり」となった地でのコンサート、となれば、このコンサートに限っては主役は伊藤蘭にとどまらず、キャンディーズ・ヒストリーが前面で並び立つ。キャンディーズへ堂々とリターン・トゥできる日、ということになる。

なので行ってきた。ファンだったから。 公演当日、野音のすり鉢状の客席は自分も含め熟しきったオトナ達で埋め尽くされ、男性9割女性1割の様相。開演は17時。ステージにバンドメンバーが現れ拍手が起きる。キャンディーズ登場を煽るナンバー『SUPER CANDIES』から始まり、懐かしさがこみあげてくる。その演奏がおもむろに『春一番』のイントロに切り替わり、いきなりのメインナンバーにアドレナリンが噴きあがった。

ステージ奥に設えたセットのセンターから伊藤蘭が姿を現す。「ランちゃーん!」という掛け声を誰もがマスクの内に無声で押しとどめ、その思いを拍手に込める。

『春一番』を歌い終えると――、「ただいま野音、そう言わせてもらってもいいのでしょうか・・・」と伊藤蘭が語った。客席の誰もが「おかえりなさい」の言葉を心の内に発する。44年の時がつながり、記憶の中のキャンディーズと邂逅する野音のステージが幕を開けた。

伝説となった後楽園球場の解散コンサート

解散を宣言したキャンディーズはそれから、活動最後の日を1978年4月4日(火)、後楽園球場でのコンサート「ファイナル・カーニバル For Freedom」にすることを発表。その日に向かってお別れへのカウントダウンを始める。

すると、これまでチャート1位を獲得したことがなかったキャンディーズを「1位にしよう」という運動がファンの間で広がり始め、最終的にラストシングル『微笑がえし』がキャリア初のチャート1位を獲得する。この感動的なエンディングをけん引したのは、公式ファンクラブや、私設ファンクラブである全キャン連(全国キャンディーズ連盟)など大学生をメインとするファン達だった。

コンサートに駆け付け、支部やグループごとにハッピやハチマキを揃え、声援コールで喉を涸らし、紙テープを投げまくり、青春の時をキャンディーズに全張りしたのは当時二十歳前後の若者達。横ワケメガネにツッパリアニキ、硬軟幅広い若者達だ。

その時自分は小学6年生だった。年齢も経済力も行動力も軒並み低く、キャンディーズファンのヒエラルキーにおいては下層に位置していた。ゆえにキャンディーズのファイナルとなる後楽園球場に行きたい気持ちはヤマヤマなれど、それは叶わぬことだった。

まだ小6だった自分だけでなく、全国各地にはキャンディーズのファイナルコンサートに行けない様々なファンがいただろう。そんな「後楽園行けない組」に大きな救いの手を差し伸べてくれたのがラジオのニッポン放送だった。

ニッポン放送は1977年(昭和52年)10月1日から「オールナイトニッポンVIVAキャンディーズ」と題し、キャンディーズ解散までの日々をバックアップするキャンペーンをスタートさせた。

当時のANN1部(深夜1時~3時)のパーソナリティーは、月曜・くり万太郎、火曜・所ジョージ、水曜・タモリ、木曜・自切俳人(北山修)、金曜・つボイノリオ、土曜・笑福亭鶴光だった。キャンディーズはこのANN各曜日へのゲスト出演や電話出演でANN行脚を始める。

それまでラジオでのキャンディーズと言えばレギュラー番組を持っていた文化放送だった。あらためて調べてみると文化放送でキャンディーズは1975年10月から「ヤング・パートナー ブラボー!キャンディーズ」という番組を持っている。

そして1976年6月から「GO!GO!キャンディーズ」が始まり、解散直前の1978年4月2日放送までレギュラーを続けている。

そしてあの頃、文化放送にチューニングを合わせるとたびたび聴こえてきたのはキャンディーズの歌声によるステーション・ジングルだった――「♪キュッ キュッキュッ キューアール ランランラジオはキューアール 文化放送 文化放送 ジェイオーキューアール(JOQR)!」。(このジングルのメロディーは現在もなお、歌い手を替えながら使われ続けている。もはや文化放送の社歌だ。)

キャンディーズはTBSラジオで土曜夜に「ヤングタウンTOKYO」にもレギュラー出演していて全方位なスタンスでもあったが、「♪キュッ キュッキュッ キューアール」の歌声もあってラジオでのホームは文化放送というイメージだった。

しかし、いざ解散へ!というその日に向けて急に存在感を高めたのは、前述のとおりオールナイトニッポンでキャンペーンを始めたニッポン放送だった。

この、キャンディーズとオールナイトニッポンのコラボは、各ANNへのゲスト出演の様子を綴ったレポートとリスナー投稿をメインにした『ビバ・キャンディーズ』(ペップ出版 1978年4月4日発行)という単行本になっている。内容的には当時の深夜放送の王道でもあるシモネタに何かと寄りがちで、キャンディーズのお姉さん達を「キャーキャー」言わせる企画が多めだった。当時即購入。

ファイナルコンサートを直後の深夜1時からラジオ放送

で、このオールナイトニッポンによるキャンペーンが「後楽園行けない組」のキャンディーズファンにもたらした最上の至福は、1978年4月4日に後楽園球場で「ファイナル・カーニバル For Freedom」が行われた夜、すぐさま深夜1時からこのコンサートの模様をたっぷりと放送したことに尽きる。

この放送のおかげで現地に行けなかった全国のファンがラジオを通じて、キャンディーズ最後の一夜をいち早く体感することが叶ったのだ。

テレビではこのコンサートを撮影したTBSが、公演3日後の4月7日(金)に夜7時半から90分の特番「さよならキャンディーズ」を放送。しかも同番組を翌日夕方に再放送していた(新聞縮刷版テレビ欄で確認)。これもかじりつくようにして観たはずだが、今なお記憶があざやかなのはオールナイトニッポンの特番だ。

この放送のスタジオにはANNパーソナリティーから選抜された、近田春夫(火曜2部を担当)、所ジョージ、くり万太郎(ニッポン放送アナウンサー、現在はディレクターとして「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」を担当)の3人がいて、「さっきまで後楽園球場にいた」という興奮冷めやらぬ状態で進行。録音してきたばかりのライブ音源を次々に紹介していく特番となった。

そのライブ音源は楽曲だけでなく、現場にいた近田・所・くり万がステージを観ながらイントロや間奏で応援トークを次々に挟み込み、ANNリスナー向けのライブ実況として5万5千人の盛り上がりを現場から伝えた。

例えば、キャンディーズナンバーの中で最も紙テープが飛び交うというナンバー『哀愁のシンフォニー』の歌い終わりでは――、

<「キャンディーズ ファイナルカーニバル」実況中継 ~1978年4月4日放送「オールナイトニッポン」より~ >

くり万「すごいですね!」
近田「キャンディーズが歌った瞬間、全員テープ!」
所「いっせいにテープ!」
近田「なんかさ、ラーメンのドンブリそこに敷いて上からラーメンドバーッてかけたような!」

野次馬的な3人のトークが現場の雰囲気をリスナーに伝える。ステージの盛り上がりで針が振り切れるような大歓声に包まれると、3人が何を言っているか聴こえなくなったりもした。その臨場感がラジオの前の自分を「その場」に連れてってくれるようだった。

キャンディーズ応援で客席のあちこちからピーピーとホイッスルが鳴り響き、暴走系バイクでおなじみの「♪パラララパララララ」なヤンキーホーンまで聴こえてくる。客席はかなりアナーキーな状態で、高低音がバッサリ落とされ中音域に圧縮されたAMのモノラル音声が、このワイルドな雰囲気を伝えてくれた。

『年下の男の子』ではMCからの流れで会場の針が振り切れていた――、

<「キャンディーズ ファイナルカーニバル」実況中継 ~1978年4月4日放送「オールナイトニッポン」より~ >

スー「拍手、そして声援、そして、すごく遠くのほうからも紙テープを投げてくださって本当にありがとうございます」
ラン「ありがとう~!」
スー「どうもありがとう!」
ミキ「どうもありがとう!」
スー「ええ、次はですね、皆さんの歌声が聴きたいんです! 今まではずっとキャンディーズばかり歌ってきたんで、今度は皆さんと一緒に、歌いたいんです!(大歓声)一緒に歌ってくれますか!(大歓声)うしろの方の方歌ってくれますか!(大歓声)それでは一緒に歌ってください、私達にとってとても思い出深い曲となりました、この歌です、年下の男の子!」

M(イントロが流れる~大歓声)

近田「うわあ~キャンディーズってやっぱこの曲ですよハッキリ言って」
所「そうだね」
近田「会場みんなこれから歌おうとしてます、会場じゅう歌いますよ、うわあ~掛け声聞いてよ!」

M(キャンディーズ&客席歌い出す 「♪真っ赤なリンゴをほおばる~」)

アニキ達の野太い歌声は、キャンディーズのボーカルに少し遅れて後楽園球場に渦巻いていた。

番組放送中、スーちゃん(田中好子)と生電話をつなぎ、一緒にライブ音源を聴く場面もあった。ライブ終盤の『微笑がえし』に向かう処で近田春夫がスーちゃんに「今流れてきてますよ、一緒にかみしめて聴きましょう」と話しかけ、スーちゃんは憔悴しきった声で「・・・はい」と応えていた。

手元に残ったあの時の録音テープ

と、あの夜の放送の断片をこうして記すことが出来るのは、その放送を録音したテープを現在も持っているからだ。1978年4月4日は小学校を卒業し中学入学を待つ春休みで、翌日を気にすることなく深夜を徹することが出来て、タイマー録音もオートリバースもないSONYのベーシックなラジカセで、カセットテープを幾たびかひっくり返しながらエアチェックしたのである。

今、手元にあるのはそのテープから曲を中心に別テープにダビングしたカセットテープだ。もちろん放送全編を録音した元テープが残っていたなら、もっとあの深夜の空気がよみがえったのだけど、これまで多くのモノを紛失し続けてきた半生で、このダビング版のテープが残っているだけで自分の中では十二分だ。テープもTDKだし。

この古びたカセットテープを個人的な共連れに12歳だった自分は55歳となって、2021年9月26日、伊藤蘭の野音のステージに浸った。

オープニングの『春一番』のあとソロアルバムからの楽曲が並んだ前半を終え、折り返しの後半はキャンディーズゾーンとなった。『危ない土曜日』『その気にさせないで』『ハートのエースが出てこない』『ハート泥棒』『夏が来た!』『アン・ドゥ・トロワ』『哀愁のシンフォニー』『悲しきためいき』etc・・・。体に染み込んでいる歌に包まれ、12歳と55歳、ふたり分の胸を締めつけられた。

マスクの内側で歌詞を無声で口ずさみながら、その合間にサイレントで「ランちゃん」とコールを挟み、ステージにいないけどいる、「スーちゃん」「ミキちゃん」のコールも唱え続けた。

44年が過ぎて、野音のステージに伊藤蘭がいて、60代半ばとなった彼女は麗しい歌姫のままで、あの当時大学生だったアニキ達は60代半ばの老キャン連(?)となって、大勢がペンライトを輝かせて、開演直前にぱらついた小雨は降ることもなくライブはアンコールを含む曲をすべて終えた。

記憶と今を行ったり来たりした一夜だった。感涙。

PS 伊藤蘭によるコンサート・ツアー「Beside you&fun fun Candies!」は、野音公演とは別のセットリストで中野サンプラザでの2DAYS(10月28日・29日)がある。「もう、誕生日なんて怖くないです!」と御本人はMCで語っていたが、今もって現役感しかないあの歌声は歳をとることを忘れてる、と思う。