スクールセクハラの被害者が弁護士なしで提訴 意見陳述で自殺を試みた心情を告白 - 渋井哲也
※この記事は2019年07月04日にBLOGOSで公開されたものです
小学校時代の担任教諭(30代)からの行為で、性的羞恥心による精神的苦痛を受けたとして、都内の女子中学生Aさんが損害賠償請求訴訟を起こした問題で6月28日、東京地裁(沖中康人裁判長)で第一回口頭弁論が開かれた。この日はAさんの意見陳述が行われた。
この訴訟は本人訴訟で、原告は現在、中学生のAさん。弁護士はなし。損害賠償額は1円。被告は、千代田区と、Aさんが通っていた学校の校長と副校長、担任と、応援団担当教員。
訴えによると、担任はAさんにセクシャルハラスメントを行い、Aさんは嫌悪感と恥辱に苦しみ、神経性胃炎になった。また、担任による不快な言動によって、他の児童から無視や仲間はずれをされるようになった。それらの担任の言動によって学校に行けなくなり、通院を余儀なくされた。
校長や副校長に被害を訴えた結果、母親には「担任を指導する」と言ったものの、指導はされなかった。また、応援団担当教員は、不適切な脅迫同様の言動を浴びせた。これらにより、Aさんの学習権を侵害した、としている。
この日の原告席には、Aさんと両親が、また、被告席には、千代田区の指定代理人らが座っていた。両者ともに弁護士はおらず、被告側は弁護士を探している。被告側はこの日までに、答弁書を提出した。それによると、いずれも、棄却を求めている。認否は次回の口頭弁論までに明らかになるが、事実上、争う姿勢だ。
本人の意見陳述 担任の行為に「嫌な気持ちになりました」
続いて、Aさんが意見陳述をした。提出した陳述書の内容を含めると、概略は以下の通りだ。
2017年4月、私は、被告である担任教師から授業中、頭と顔を触られ、とても気持ちが悪かったし、すごく嫌で吐きそうになるのを一生懸命、我慢しました。学校にいる間、四六時中、「また触られるのではないか?」と、嫌な気持ちと恐ろしさで、学校にいる時間が苦痛の時間でした。クラスメイトに気が付かれたら、変な噂になるのか?または私の被害を一緒に怒ってくれるのか?色々なことを心配し、悩みながら、学校生活を送りました。
被害は、頭や顔を触られるだけではありませんでした。授業中、他の児童たちがいるところで、担任は、突然私に対して、至近距離にいるとき「Aさん、かわいいですね」と言いました。至近距離に近づかなければならないときというのは、先生へ提出する物を、めいめいが一人一人席を立ち、担任に手渡さなければならないときです。後ろの席から前の席の児童に手渡していくという提出方法を担任はあまりしませんでした。「できた子から先生に持ってきて」と、担任が授業中に言うと、私は「またか」と、とても嫌な気持ちになりました。
教室にいたクラスメイトたちは「Aちゃんだけひいきされていいよね」「Aだけかわいいっていわれていいよね」などと、私に言うようになりました。そしてだんだんと私の目の前でひそひそ話や無視が始まりました。小学4年生のときまで仲良くしていた子たちからも、いじめられました。
担任のセクハラ行為が原因で、私は神経性胃炎と不眠症になりました、二週間ごとの通院と処方薬を投薬しないと、普通に生活することもできなくなりました。
意見陳述 応援団セットがなくなり、担当教員から「卑怯者」と言われる
6月1日頃、私は、副校長のところへ行き、担任のセクハラ行為が「嫌だ」と訴えました。すると、「よく話してくれたね。大丈夫。Aのことは、先生が守るから心配いらないよ」と言いました。しかし、全く守ってなんかくれませんでした。
母は、私の被害のことを神田警察署生活安全課へ相談に行きました。6月中旬から、何度か警察官が学校にも来ていました。警察官が来てくれるようになり、やっと少し安心することができました。
9月8日。その日、私のランドセルから「健康記録カード」が、私の使っていたロッカーから「応援団セット」が、両方消えました。応援団セットは前日に応援団担当教員から受け取りました。そして、自分のロッカーにしまってある「お道具箱」の上に置き、下校しました。
翌日、応援団セットが消えたことを知りました。健康記録カードも、2時間目が終わったときに、ランドセルから消えていました。担任と応援団担当教員に「ロッカーから消えた」と訴えたのに、なくしたことにされました。その後、2人の教員に、毎日、どこをどう探したのかを報告しなければなりませんでした。そして、毎回、応援団担当教員は「毎回毎回『見つかりません』だけ言うな」「お前は卑怯者だ」などと、鬼のような顔つきで、私を大きな声で怒鳴りつけました。担任はニヤついた顔をして、「まだ見つかりませんか?困りましたね」と言いました。
2人の先生から怒られていることが、他の児童たちにだんだん知れ渡るようになり、私を避けるようになりました。健康診断カードと応援団セットは、どこをどう探しても見つかりませんでした。私は夜も眠れず、家の押入れや棚の中にある物もすべて床の上に出し続けたのです。学校内も探し尽くし、もう限界でした。もう消えてなくなりたいと思うようになり、自殺を試みました。
二度目に自殺を試みたときは、夜でした。担任のニヤついた顔つきと、頭や顔を触られたときに気持ち悪かったこと、私の髪の毛をつかんだときのこと、応援団担当教員が鬼のような顔つきで怒鳴ったこと、「毎回『見つかりません』だけ言うな。卑怯者」と言われたことが何度も蘇りました。疲れてしまい、部屋にあった電気コードで首を絞めました。ただ、ぱっと親の顔が浮かび、首を絞めるのをやめました。
今でも、突然、私の頭に、担任のセクハラ行為や、応援団担当教員が私を怒鳴りつけた時の声や顔が浮かびます。すると、恐怖心で動けなくなります。それが夜、私の頭の中に蘇ると、学校からの課題をこなすこともできなくなり、夜眠るのも怖くなります。
家にいて、母と一緒に読んだ日本国憲法から、誰でも裁判を起こせることを知りました。また、高校生が本人訴訟をするという記事を読み、私も自分の被害を自分の声で訴えようと思いました。
次回は9月13日。それまでに被告側は認否を明らかにする。と同時に、反論をすることになっている。
陳述を終えたAさんは筆者の取材に、「1年間の中で、こんなことがあったんだといろいろ思い出した。これが、勝訴とかで終わると言うよりも、(担任らが)処分を受ければいいなと思った」と話していた。