他人の価値観にみだりに踏み込むな - 赤木智弘
※この記事は2019年06月30日にBLOGOSで公開されたものです
ネット上である記事が話題になった。
それはホタテはヴィーガンが食したり利用したりするべきではない動物か、そうでないかという倫理的問題が発生しているという内容の記事である。
記事によると、一部のヴィーガンは二枚貝には中枢神経がないので、食べても問題ないと認識しているが、二枚貝の中でもホタテはその漁の方法から周囲の生態系に害を与える恐れがあるなどの問題があり、単純にホタテを二枚貝だからと食べてもいい、利用してもいいという理由にはならないということである。(*1)
確かに「貝は動物か否か」と問われれば、僕自身はどちらとも答えられないが、僕はヴィーガンではないから、その違いを明確に認識する必要などまったくない。動物か否か、ヴィーガン食か否かなど単なる言葉遊びに過ぎず、気にする必要すらない。美味しければ食べるだけである。
ハッキリ言って、この記事はヴィーガン以外にはどうでもいい話であり、大半の人にとっては内容的にはまったくもって興味がわかない記事である。
では、そんな記事がどうしてネットで話題になったのか。
それは、今年のGWにお台場で行われた肉フェスの会場近辺で、ヴィーガンが屠殺の写真などを並べ、肉を食べる人たちを揶揄するような展示が行われたことが話題になったことが発端である。(*2)
ヴィーガンのこうした独善的な主張が、「ポリコレ」や「リベラル」と同一視され、ネットではヴィーガンへの反発が高まっていた。
そこに目をつけた人たちが、この記事を発見。
「ヴィーガンがホタテを食べる食べないで四の五の言ってるぞwwww」と囃し立てて、ヴィーガンへの反発を呼び込み、自分のニュースサイトのアクセス数を増やそうとしているのである。
僕が気になるのは、記事の内容よりも、こうした記事を見て、ヴィーガンを嘲笑っているネット側の人たちである。
先程の肉フェスの件で盛り上がった人たちは、6月1日に行われたヴィーガンたちのデモ行進に対して「動物はおかずだ!」と名を打った、カウンターデモを行った。その呼びかけ人の声明にはこう書かれている。
「我々はヴィーガンという生き方や思想を否定しない。肉を食いたくない者自身が肉を食わないのは自由だ。ヴィーガンが飽くまでも個人的な生き方にとどまり他者に迷惑をかけない限り、どんなに意味不明に思えたとしてもとやかく言う必要はない。ほっとけ。」(*3)
僕もおっしゃるとおりだと思う。
ヴィーガンを名乗る人たちが肉を忌避しようがなんだろうが構わないが、そうでない人の肉食を叩いたり揶揄することはやめろと思う。
しかしそれはヴィーガンに対しても同じはずだ。
ヴィーガンが「ホタテはヴィーガン食か否か」という、ヴィーガン以外には意味不明な内容で騒いでいたとしても、とやかく言わずに、ほっとけばいいだけだ。
にもかかわらず、わざわざ「ヴィーガンの連中、ホタテがヴィーガン食か否かなどというバカなこと言ってますぜ、へへへ」などと取り上げ、ヴィーガンを批判する。
それは肉フェスの会場の前に屠殺の写真などを並べて「ヴィーガンになって搾取から脱却しよう」という、さっぱりわけはわからないが、少なくとも肉を食べる人たちを見下す意味合いのメッセージを送りつけたことと、一切何も変わっていない。他人の自由な領域に口を出し、一方的に揶揄しているだけである。
ホタテの件でヴィーガンを嘲笑っている人たちは、本当の意味で、ヴィーガンなどが食の問題を自分勝手な理屈で批判することの問題点など理解していなかったのである。
少なくとも、そのような人たちがヴィーガンを批判したり嘲笑うのは「目くそ鼻くそを笑う」に過ぎない。
多様性を守るために必要なことは、他者の食にまで踏み込んでくる傍若無人なヴィーガンを倒すことではない。必要なのは、ヴィーガンに対して他者の領域までみだりに踏み込まないように諭すことだ。
もちろん、ヴィーガンに対する批判も同じ態度でなければならない。ヴィーガン自身が判断する領域に、ヴィーガンを批判する人たちが、みだりに踏み込んではならないし、それを揶揄するような行為をしてはならないのである。
*1:ホタテはヴィーガンなのか?(VICE)
*2:【炎上】東京 お台場の肉フェスで過激派ヴィーガンが抗議活動、子供が半泣き参加者ドン引き(NAVER まとめ)
*3:動物はおかずだデモ 声明(藤倉善郎 鈴木エイト)