※この記事は2019年06月23日にBLOGOSで公開されたものです

いま、タピオカドリンクが大ブームである。

ターミナル駅の近くや駅ナカにタピオカドリンク専門店ができて、そこに女性が大行列を作っている光景は珍しくなくなったが、東京に住んでいると、ターミナル駅ではない街にも、タピオカドリンク専門店ができている。ちなみに自分の住んでいる街には、把握できているだけで3件の専門店がある。

さて、そうしたブームの中で問題になっているのが、タピオカドリンクのゴミである。

もちろん専門店で飲む分には、ゴミ箱なども用意されているのだが、タピオカドリンクは持ち歩きで飲まれることが多く、そのカップが他の店の軒先や、自動販売機の缶とペットボトル専用のゴミ箱にポイ捨てされてしまうという。

また、通常のドリンクと違い、タピオカという固形物が入っていることから、下水に流すだけでは捨てられず、近隣の人たちは迷惑をしているという。(*1)

こうした問題を語るときに真っ先に出てくるのは「マナー」の問題である。

「タピオカみたいな流行り物に飛びつく連中はマナーが悪い」とテレビやネットなどで訳知り顔で語る人は少なくない。

また、マナーにかこつけて「若い女は馬鹿である」といったミソジニーや、「日本のものじゃないから」といった他文化への嫌悪が表明されることもある。他にも「インスタ映えを狙って、買っても飲みもせずに捨てる女がいる」という類のクラスタ批判が行われている。

しかし、どうしてタピオカドリンクはポイ捨てされるのだろうか?

それはマナーなどは関係なく、単純な話「街中にゴミ箱がないから」ではないのだろうか?

かつて、日本の街中には、行政が管理をするゴミ箱があった。

街中のゴミに対するマナー喚起は「ゴミは家に持ち帰りましょう」ではなく「ゴミはゴミ箱に捨てましょう」という言葉で行われており、ただ目についたゴミ箱に入れさえすれば「立派なマナー」だった頃があった。

それが変化したのは1995年。地下鉄サリン事件が発生して以降「テロ対策」の名の下に、行政が管理する「街中のゴミ箱」は一気に数を減らしていった。

行政が管理するゴミ箱が減った結果、街中で捨てられないゴミが、コンビニなどの企業が顧客のために設置するゴミ箱に入れられたり、ゴミ箱ではない場所、例えば放置自転車のカゴなどに捨てられるようになった。

そしてこうした行為は「悪いマナー」として批判され、マナーも「ゴミは家に持ち帰りましょう」に変化し、街中でゴミを捨てることへ道徳的な嫌悪感は強まっていった。

その結果、確かにゴミの数は減ったし、街はゴミ箱があった頃よりもキレイになったように見える。

今回、タピオカの飲み残しなどの放置が問題視されるのも、他の放置ゴミが少なくなったからこそ、かえってタピオカのゴミが目立つのだろう。

しかしそれは逆に見れば「タピオカドリンクがそれだけ売れている」ということである。

タピオカドリンクのブームは一時的なものであろう。

現在は店も増え続けているが、やがて一部の強い店を残して、大半は消えていく。

タピオカドリンクのマナーを批判する人は、やがて廃れていくタピオカドリンクブームをみて「それ見たことか」とあざ笑うに違いない。

しかし、得てしてブームとはそのようなものであり、タピオカドリンクが廃れれば、また何か別のブームが生まれる。

それは経済活動の循環であり、それに乗せられる人たちは軽薄な愚か者であるどころか、優良な経済の担い手である。

コンビニで普通のミルクティーを買えばせいぜい1本150円。これがタピオカドリンクになった途端に500円や600円に跳ね上がる。タピオカの原価などたかが知れているのだから、経済活動としては見事な付加価値創出である。

どこかの政府は好景気であると胸を張るが、どう考えても不況でしかない現在の日本において、このような付加価値創出ができる産業を、マナーの問題で貶め、その足を引っ張るようなことをしていていいのだろうか?

街で人が消費する。そのことによってゴミが発生する。それは健全な経済活動の結果である。

しかし、ゴミ箱が街に少なく、そのゴミを適切に処理できない可能性が人々に強く共有されれば、人々はゴミを持ち帰るよりも「最初から余計なゴミが出るような消費をしない」ことを選択するかもしれない。

すなわち、ゴミ箱が少ないことが、本来生まれるはずであった消費活動を抑圧してしまった可能性があるということである。

ゴミが増えるくらいに消費が活発な商売が存在するなら、その商売を支えるのが本来の行政の役割である。

ところが、行政がゴミ箱を設置せず、ゴミ処理のコストを、他の企業や街の人たちに負わせてしまっている。

タピオカドリンクのゴミを処理させられる人たちの不満は、タピオカドリンクを買う客や売る店ではなく、ゴミ箱をちゃんと設置しない行政にこそ向けられるべきなのである。

ゴミが出るから批判するのではなく、行政はゴミが出ても問題が発生しないように、早急にゴミ箱を街中に設置するべきである。

決してタピオカドリンク専門店のためだけに、街中にゴミ箱を設置しろと言っているわけではない。

来日観光客が増え、インバウンド需要は常に高まっている。

そうした中で、外国人観光客が日本のゴミ箱の少なさに困惑するという話が出てきている。(*2)

2020年には東京オリンピックが開催される。当然オリンピック目当てに来日した外国人観光客には、様々な形での消費が期待される。

彼らが街中で行うであろう消費活動を、ゴミ処理の経費を言い訳に抑圧することは得策ではない。

話は来日観光客だけにとどまらない。今年10月には消費税の増税が予定されている。

消費税率が基本的に10%に上がる一方で、持ち帰りのお弁当などは軽減税率が適用されて8%となる。

すなわち10月以降、これまで食堂やコンビニのイートインスペースで発生していたゴミが、公園やベンチのあるスペースで発生する。

行政側の都合で軽減税率を適用する以上は、それに見合った設備投資が必要となる。ゴミ箱もその1つだ。店のレジにだけ助成金を出していればいいということではないはずだ。

タピオカドリンクなんて、別に飲まなくても生きていける。

どうせ廃れるブームに過ぎないのだから、そんなもののために行政が何かをする必要はない。

そんなことを言っている間に、多くの人たちは日常生活に必要な消費だけをして、余計なことにお金を使わなくなった。

タピオカドリンクなどという、余計なものが余計なゴミを生むことに苛立ち、批判することを「当たり前だ」と認識する人は多い。

しかし、そうした日常生活に決して必須ではない余計なものが日常的に消費されることこそ、日本が不景気から回復するために必要な消費活動である。

軽薄なブームに対して、多くの人がお金を落とすこと。それが幾度となく繰り返されることによって、経済は循環するのである。経済が循環すれば景気は良くなるのである。

マナーなどいくら主張しても景気は良くならない。

マナーなどという道徳観念よりも、経済循環という実質を取るべきである。

*1:タピオカドリンクの放置ゴミに困った 飲む人のマナー向上を 名古屋・大須商店街(中京テレビNEWS Yahoo!ニュース)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190619-00010002-sp_ctv-l23
*2:「京男は普通の人」「ゴミ箱少ない」「電車混雑」…京都で聞いた訪日外国人の不満(産経ニュース)https://www.sankei.com/west/news/180609/wst1806090006-n1.html