迷惑客だった「撮り鉄」を本気でおもてなし…JR東日本の撮影会が「神イベント」に変わったワケ
■JR東日本のECサイトにある変わったカテゴリー
新型コロナウイルスの感染拡大で、業績が大きく落ち込んだJR東日本グループ。2021年3月期の連結決算は最終損益が5779億円の赤字で、民営化後初の通期での赤字だった。2021年4月から12月までのグループ全体の最終的な損益は837億円の赤字で、今期も最終赤字が見込まれている。
そんな逆風の中にあって、売り上げを順調に伸ばし社員の士気を高めている商品が同社のECサイト「JRE MALL」にある。
「まだまだ模索中ですが、商品の売り上げは予想以上に伸びています」と話すのはJRE MALLの担当・飛鳥井啓さんだ。
JRE MALLは、JR東日本グループが運営する、ネット通販を行うショッピングモールだ。「生活家電」「日用雑貨・キッチン用品」などさまざまなカテゴリーがあり、約14万点の商品を取り扱っている。このモール内の「鉄道イベント・体験」というカテゴリーが好調なのだ。
中をのぞいてみると、「常磐快速線 E231系 デビュー20周年記念 撮影会&見学会」「ありがとう205系600代 撮影&検査体験in小山車両センター」(執筆当時)といった、どうにも一般受けしそうにないマニアックな商品が販売されている。値段は、安いもので2000円程度から数万円と決して安いわけではない。
ただ、商品のほとんどには「完売」の表記が並んでおり、人気のほどがうかがえる。
「このカテゴリーでは、さまざまな鉄道体験コンテンツを売っています。スタートしてまだ9カ月ですが、既に5000万円以上を売り上げています」(飛鳥井氏、以下同)
意外なヒット商品はどうやって生まれたのか。
■「入社してから一度も考えなかった危機的状況」
きっかけは新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)だ。
同社では、以前から地域貢献イベントとして年に1、2回、東京総合車両センター(品川区)や各地の車両センターなどで、車両の紹介や車掌体験など大規模な無料公開イベントを行っていた。しかしコロナ禍で2020年春以降、そうしたお祭りごとは軒並み中止になってしまう。
間もなくグループの赤字転落が現実味を帯び、「入社してから一度も考えたこともなかった危機的状態」に陥った。社員みなで、旅客収入以外で収益を生み出せる商品を試行錯誤していたと話す。
■始まりは秋田支社が始めたマニアックな企画
そうした中、JR東日本の地域支社である秋田支社が「電気式気動車(GV-E400系)運転体験」という企画を2021年初夏に発案する。指導運転士つきで片道約100mの区間を本物の気動車を運転できてしまう大胆なものだ。
商品として売るには、運輸局との折衝や気動車の調整など手間がかかるやっかいなものだったそうだが、現場の熱で実現可能になった。
販売ルートを持たない支社の代わりに、JRE MALLでこの商品を売り出すと、1組1万5000円と高価格ながら完売したのだ。
これをきっかけに、車両撮影会や乗務体験などの商品企画が続々と上がってくるようになった。各支社の企画担当者だけでなく、各地の車両センターや運輸区、駅からも企画が上がってきた。それらをJRE MALLの担当者が整理し、昨年夏以降に少しずつ発売していった。
■ショッピングサイトなのに鉄道イベントがメイン
これに即座に食いついたのが、撮り鉄をはじめとする熱心な鉄道ファンだった。「JRが何か面白いことを始めた」という情報は、彼らのコミュニティーで一気に拡散した。
彼らにとって、車両をJRの許可のもと、誰にも文句を言われず、ゆっくりと堪能できる機会はそうない。商品の企画の良さもあって、発売してすぐに完売する「即完」商品が多々生まれている。
最近だと、今年1月に品川駅構内で開催された「『往年の名機、一堂に会す。』撮影会」が大ヒットだったそう。東海道本線にゆかりの深い歴代車両を展示、車両撮影会を行う企画だ。参加費2万7000円(一部日程は3万円)と強気な価格設定にもかかわらず、270口がたったの3分で売れた。
■実際に参加してみてわかった企画のすごさ
撮影会の様子を知るため、筆者は、今年3月に東京総合車両センターで開催された「国鉄型事業用電車クモヤ143形撮影&実演会」に参加してみた。
馴染みのない名前であるが、クモヤ143形は、国鉄時代に従業員の運送や路線点検などに使われた電車で、ほとんどが廃車されている貴重な車両だ。
そのレアな車両の撮影イベントの参加費は一人8000円。約100人(各回18人定員×6回開催)の募集をかけたところ、およそ3日で完売したそう。
いざ会場に向かうと、参加者のほとんどは、プロ顔負けの撮影機材を抱えた鉄道ファンだった。
担当者による説明が終わると、クモヤの前に移動する。参加者は個人がほとんどで、雑談することなく静かに器材をセッティングしていく。
人数は多くないので、お互いに距離を保ちつつ行儀よく撮影しているのが印象的だった。
指定エリア内であれば、どう撮ってもかまわないので、線路の間に腹ばいになって超ローアングルの画角を狙う参加者の姿も。営業路線では絶対許されない姿に、車両センターの社員からは「見ているだけでぞっとします」と苦笑する声が聞こえた。
■ファンのリクエストに真摯に応える
撮影は車両だけでなく、装備されたクレーンを使った作業風景や車両内部も行われた。さらには警笛を鳴らしたり、パンタグラフを起動したりする動画向きの企画も特別に実施された。
各支社は撮影会の企画・実施だけではなく、参加者に書いてもらった全てのアンケート内容に目を通し、次回の企画に生かすよう努めているそうだ。
今回のクレーンを動かす場面の撮影も、以前のアンケートにあったリクエストを実現したという。
■「鉄道ファンを楽しませる」に本気で取り組む
参加者の声を聞いてみた。
「事業用車両は撮影できないものだと思っていたので、すごくうれしい。8000円は安いので、午後の撮影会にも参加します」
別の参加者は「これまでは無料開放日に人混みの中で、親子連れの中に交じってなんとか目当ての車両を撮影していた。これはすばらしい試み。JRはお堅い会社だと思っていたがそのイメージがガラッと変わった。お宝車両は他にもあるので、もっと出してほしい。例えば、皇室関連の車両は激レアなんで、撮影会が行われるなら30万円でも余裕で払います」と熱っぽく語る。
また、「警笛を鳴らすときに、もう一方の車両のパンタグラフを落としたの気がつきました? あれで隣の車両の起動音を消しているんです。そういう気遣いが素晴らしい。神イベントでした」と称賛する声もあった。
コロナ禍以前のJR東日本は、こうした鉄道ファンに対して「気遣い」をみせることはほとんどなかった。むしろ悪質な「撮り鉄」のマナー違反に頭を悩ませていた。ところが現在では、「どうすれば鉄道ファンに楽しんでもらえるか」を本気で考え、まるでテーマパークのように参加者をもてなしている。イベントの満足度が高いのもうなずける。
■完全にボトムアップの商品開発
前述したが、スタートして9カ月で、このカテゴリーだけで累計5000万円以上を売り上げている。
「これまで販売した商品を考えているのは本社ではなく、現場で実際に、車両メンテナンスや乗務員をしている社員です。本社や支社から過去例などを参考にアドバイスはしますが、完全にボトムアップ型の商品開発です。
鉄道に詳しい社員がいる現場もあれば、参加者からのアドバイスを受けて改良を進めるのが上手い現場もある。それぞれの現場が工夫を凝らして今までにない個性的な商品作りをしているところが、ヒットした要因かと思っています」
JR東日本は、2025年にJRE MALLの取扱額として1300億円を目指している。そんな中で、「鉄道イベント・体験」のカテゴリー売上額は決して大きくはない。だが、大きなメリットがあるという。
■目先の売り上げよりも大きなメリットがある
「売り上げ面での社への貢献はもちろん考えています。われわれとしては現場の社員がそれぞれの商品企画を通して、前向きにプロジェクト管理や収支管理といったビジネス感覚を養えていることが、大きな効果と考えています」
企画の規模は小さいが、プロジェクトの当事者として関係先との調整、効果測定までを行うことは仕事の進め方の勉強になろう。また、参加者と接することで、自分の仕事の価値をダイレクトに再確認できることもある。
「鉄道のインフラ等を起点としたサービス提供から豊かな社会を目指す、グループの経営ビジョンにも通じるとともに、社員教育となっているのです」
■切符や不動産とワケが違う
順調に見える企画だが、担当者の目下の悩みは価格設定だ。
これまで車両公開は原則無料のイベントだったので、社内からは「有料にしていいものか」と反対の声もあった。
とはいえ、清掃や車両整備に人件費はかかるし、日常業務の妨げにならないように車両や場所を確保する手間もある。イベント実施中の安全確保も含めたオペレーションももちろん考慮しなければならない。
JRがこれまで販売してきた主な商品は切符と不動産である。そうした商品と違って、コト体験は、原価や経費に基づいた値付けが難しい。顧客ニーズ次第でもある。レアな体験であるほど、値付けは高くなるのが一般的だ。
とはいえ、イベントのほとんどは値段に関係なくほぼ完売している。これが値付けを一層難しくさせている。
「参加者の方からは『もっと払えますよ』と言ってもらったりもしますが、利益を取りすぎてはいけないと思っています。もちろんイベント実施にむけ、日々の業務とやりくりしながら社内調整を行うなど、相応に人件費はかかりますし、採算度外視でやるわけにはいかないですが、適正な価格は模索中です」
■災いを転じて福となす
現在、鉄道ファンたちは、お目にかかれないレアな車両の撮影会やイベントが出てこないか、JRE MALLを日々“監視”するようになっている。その結果、サイトの検索項目のランキング上位は、ショッピングモールらしからぬ「撮影会」や「車両センター」といったワードが常に並ぶようになった。
「JRE MALLと名乗りながら、ちょっと変わったECサイトになっているのは自覚しています。でも鉄道会社ならではの独自性を感じてもらえるのではと好意的に解釈しています」
今後もこの商品企画は継続し、家族向けなどのイベントも行う予定だ。売り上げとしては、単年で億単位を目指すと話す。
もとはといえば、コロナ禍という非常時の緊急避難的な取り組みである。それが、いまやECモールを特徴づける「コト消費」に成長した。災いを転じて福となす、とはまさにこのことだろう。
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篠原 知存(しのはら・ともあり)
フリーライター
1969年生まれ。大阪府出身。全国紙の記者、編集委員を経て、令和元年からフリーに。
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(フリーライター 篠原 知存)