現在はベルーナドームで「BACKYARD BUTCHERS」を運営する米野さん。ヤクルト、西武、日本ハムで17年間プレーした【画像提供:西武ライオンズ】

写真拡大 (全2枚)

連載「Restart――戦力外通告からの再出発」第7回、米野智人氏は西武本拠地で“球場メシ”提供

 日本におけるプロスポーツの先駆けであり、長い歴史と人気を誇るプロ野球。数億円の年俸を稼ぎ、華やかにスポットライトを浴びる選手もいる一方、現役生活を終え、次のステージで活躍する「元プロ野球選手」も多くいる。そんな彼らのセカンドキャリアに注目し、第二の人生で奮闘する球界OBにスポットライトを当てる「THE ANSWER」の連載「Restart――戦力外通告からの再出発」。第7回はヤクルト、西武、日本ハムの3球団で17年間のプロ生活を送った40歳・米野智人さん。

 2015年限りで西武を戦力外になり、日本ハムで1シーズンを過ごして引退。その後に飲食店経営をスタートし、現在は西武の本拠地ベルーナドームでビーガン食のスタジアムグルメを提供している。球団に残る選択肢もありながら引退を選び、「食」を仕事に選んだ背景に何があったのか。“球場メシ”を作ることになった経緯と合わせて語ってくれた。(文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

 ◇ ◇ ◇

 現役時代に守ったライトのポジションからさらに後方が、今の米野さんの“定位置”だ。2021年、ベルーナドームに「BACKYARD BUTCHERS(バックヤードブッチャーズ)」をオープン。肉の代わりに大豆を使うなど、食材に動物性のものを使用しない「ビーガン食」を提供している。

「乳製品もそうですし、ちょっと細かいですがハチミツも使っていません。環境問題もありますし、地球に優しく、人にも優しくというコンセプトでやらせてもらっています」

 店名を日本語に直訳すると「裏庭のお肉屋さん」。メインである野球場の裏側にあること、まるで肉のような味わいでありながら実は肉ではない、健康な食品を作っていることが由来となっている。大豆ミートのフライにビーガンのマヨネーズとサルサソースをかけたピリ辛味の「フライドソイチキンサルサボウル」がオススメの逸品だ。

 米野さんは2016年限りで現役引退。捕手兼コーチ補佐で所属していた日本ハムからは、翌年も契約の意志があると伝えられていたが、潔く第二の人生へ舵を切った。球団に残らず「食」を仕事にするにはどんな経緯があったのだろうか。

 北海道・北照高から1999年ドラフト3位でヤクルトに入団し、あの名捕手・古田敦也氏の後継者として期待された。2006年には古田監督の下で116試合に出場するも、2010年途中に西武にトレード移籍。外野手への転向も決断するなど1年1年が勝負で、戦力外や引退のことは頭の片隅に常にあった。

食への興味が沸いた30代…ジョコビッチの一冊もきっかけ

 食への興味が沸いたのは30歳の頃。しっかり寝て、練習量も考えてこなしていたが、疲労の抜けが遅くなっていた。自分なりに行きついた原因は食事面。1人暮らしで外食やスーパーの惣菜を好きなだけ食べることも多く、バランスを気にしていなかった。食事改善でかなりの効果を実感したのがきっかけだ。

 影響を受けた一冊もある。ふと立ち寄った遠征先の書店で、偶然手に取ったのが「ジョコビッチの生まれ変わる食事」。異競技ではあるが、世界一に君臨した男も食事改善で体調を一変させていたことに驚いた。

「彼の場合は、穀物に含まれるたんぱく質を摂取しないグルテンフリー。良かれと思ってパンや麺、小麦をたくさん食べていたけれど、実は自分の体に合っていなかった。効果は人によるとは思いますが、僕も実際にやってみて凄く効果を感じました」

 西武を戦力外となり、日本ハムで選手兼コーチ補佐として迎えた現役最終年。開幕から数か月で「選手としては厳しいな」と自覚した。同時に、選手として球界に残れないのであれば、一度外の世界で違う経験をしたい考えもあった。「翌年も同じ契約を考えていると言ってもらって凄く悩みました。でも、違う道に行ってみようと」。以前から興味があった「食」に関わる事業に進出した。

 2017年、東京・下北沢にヘルシー志向のカフェレストランをオープンした(2021年、BACKYARD BUTCHERSの開業に合わせて閉店)。札幌に住んでいた2歳上の兄、結婚した妻の力も借り、調理の腕も磨きながらオーガニック、グルテンフリーなどこだわりのメニューを提供。「想像以上に大変だった」スタートアップ期間を経て、外国人や若年層から好評を得ていた。

 外国人客からは「ビーガン食はないのか?」との要望も多かった。思えば米カリフォルニアで食文化の視察を行った時、現地の若い女性にビーガン食が人気で、「健康食=地味」というイメージが覆されていた。早速ビーガンのカレーやマフィンをメニューに追加したところ、日本人も含めリピーターが付き、思った以上の需要を得られた。

「カリフォルニアでビーガン食というと、実はポップな感じで店の雰囲気も明るい。環境、健康に優しいという面でも今の時代に合っているのかなと感じましたし、日本でももう少し広がればいいなと」

 レストランの運営も軌道に乗っていた2020年、世界中を新型コロナの脅威が包み込んだ。米野さんの店も打撃を受け、今後を考えていた頃、セカンドキャリアを応援してくれていたライオンズから「店を出してみないか?」と声がかかった。

「正直、球場でお店を開くことは全く考えになかったんです。でも、西武の本拠地に足を運んでみると、自分がいた時よりさらにいい雰囲気になっているし、やりたいお店のコンセプトとも合うと思いました」

球場ではファンから激励も…野球人生は「過去のこと」

 開店に当たってはクラウドファウンディングを利用。目標100万円でスタートしたが、SNSでの拡散もあって僅か1日で達成。最終的には289人から340万円の支援を受けた。「本当に有難かったです。こんなスピードで達成できるとは思わなかった」。初期費用を賄えたこと以外にも、大きなメリットを実感している。

「自分がお店を出すという告知を凄くできるので、オープンの時にはお客さんが既に知っていてくれて、来てくれるという二重の効果を感じましたね」

 せっかく球場に店を開くなら、明確なコンセプトがほしい。今後日本でもポピュラーな文化となることを期待し、ビーガン食を提供することにした。カリフォルニアをイメージし、ピンクとグリーンを基調としたひと際目立つ店舗。「現役時代から応援していました」「今後も頑張ってください」と言葉をかけてくれるファンの存在がモチベーションだ。

 引退から5年が過ぎた。未だ認知される存在とは言え、野球人生は「過去のこと」と未練はない。納得して現役生活を終えることができたのは、西武から戦力外を受けた後、日本ハムで1年間戦えたことが大きい。

「戦力外通告の時は『まだやりたい』って気持ちが大きかった。日本でオファーがなくても海外で、とも少し考えました。運よく日本ハムさんに声をかけてもらって、何とかチームに貢献して結果を残したいと思ったけど、やってみて選手としてはここまでなのかなと。

 最後はプロ入りの時と同じキャッチャーで勝負したくて、1年で手応えがなければと覚悟していたので、だからすぐ決断できたんだと思います。渋々諦めて、どうしようかなと次の道に進んだら悔いが残ったと思う」

 消化不良な部分がなかったから「新しい人生のスタート」と前向きになれた。セカンドキャリアに悩める後輩にかける助言は「自分本位で考えてもいい」ということだ。

「答えはないので、気持ちに素直になって道を選ぶというのは大事だと思います。失敗、成功を考えるより、一歩を踏み出すこと。僕もやってみてイメージより難しいと感じたこともありましたが、もの凄くいい経験になったのは間違いないので。全く違う道に進んでも、野球で培った経験は生きると感じています」

 第二の人生、今は喜ばれる店づくりに全力を尽くす。「他の辞めた人の頑張っているところも発信していけたらいい。野球選手でなくなった後も、少しでもファンの方には応援してあげて欲しいんです」。仕事内容は変わったけれど、現役時代と同じ“職場”で同じように野球ファンを喜ばせる。それが自分を育ててくれた野球界への恩返しになるから。

■米野智人(よねの・ともひと)

 1982年1月21日、北海道札幌市出身の40歳。北照高から1999年ドラフト3位でヤクルトに入団。強肩強打の捕手で“古田の後継者”として期待された。06年、古田監督のもと自己最多の116試合に出場。7本塁打を放った。10年途中、山岸穣との交換トレードで西武に加入。外野手に転向した12年、4月の26日のソフトバンク戦では9回2死から逆転満塁本塁打を放った。15年10月に戦力外通告を受け、捕手兼2軍バッテリーコーチ補佐として日本ハムに移籍。16年限りで現役引退した。翌年に東京・下北沢にヘルシー志向のカフェレストランを開店。21年から西武の本拠地球場で「BACKYARD BUTCHERS」をオープンした。現役時代の身長、体重は183センチ、83キロ。右投右打。

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)