「ケーキの切れない非行少年たち」が打って変わって勉強するようになった"意外なひと言"
※本稿は、養老孟司『子どもが心配』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■人の役に立ちたい子どもたち
--勉強への意欲をいかに引き出すか、というテーマについて取り上げたく思います。宮口幸治先生のご著書『ケーキの切れない非行少年たち』のなかに、非行少年が人に頼られることでやる気を出した、というようなエピソードが紹介されていましたが、詳しく教えていただけないでしょうか。
【宮口】はい、私も医療少年院に勤めた最初のうちは、トレーニングを通していろんなことを教えよう、教えようとがんばりました。ところが少年たちは、まったく興味を示さない。自己評価が低いこともあって、「どうせできない。やってもムダ」とばかりに何もやろうとしないのです。やる気のかけらも感じられませんでした。
しばらく続けましたが、なかなかうまくいかず、「やっぱりムリかな」と指導するのがイヤになってきました。あるとき、もう投げやりになってしまって、文句ばかり言ってくる子どもに「では替わりにやってくれ」と、少年を教壇に立たせてみました。
何かを期待していたわけではありません。教える人間の苦労を体験させようと思っただけです。ところが驚いたことに、少年たちが次々と「自分にやらせて」「自分が教える」と先を争うように教壇に出てきたのです。
そうして教え合うことで、競争意識が芽生えたのでしょうか。みんな、がぜんやる気を出して、真剣に、生き生きとトレーニングに参加するようになりました。
このことから私自身が学んだのは、「人が一番幸せを感じるのは、人の役に立つことなんだ」ということです。非行少年に限らず、人は誰かに何かをやってもらうより、自分が助けてあげることに喜びを感じるのだと思います。
■「とにかくさせてみる」ことが大事
【宮口】このことがあって以来、何かあったら、「教える」のではなく「とにかくさせてみる」ことをモットーとしています。教える側の人間は、自分はすでに学んでいることを教えるから、子どもたちがわからないとどうしても「なぜわからないんだ」となってしまいがちなんです。子どもたち同士、わからない視点で教え合うから、わかるのかもしれません。
【養老】教えるのが難しいのはそこですね。私自身が「わかった」ことについて、どうしてわかったかがわからない。あとから理屈を記述していく感じです。数学の証明問題など、その典型ですね。だから教師にはなれないと思っていたくらいです。
それでも解剖学を教える立場になったので、「学生にはとにかく学ぶ機会を与えるのみだ」というふうに考えて、授業に臨みました。特に解剖の場合は、自分でやらなければ何も身につきませんからね。
■モチベーションがないと始まらない
【養老】大学で解剖を教えていたころ、口頭試問をやっていて、気づいたことがあります。できない学生とは、モチベーションがない学生だ、ということです。誰かに言われて医学部に来たのか、最初から医者になる気がないのではないかと疑われるような学生の成績が悪い。
いつだったか、東大の医学部生のなかに国家試験に落ちる者が出てきて、教育委員会が学部の教育との相関関係を調べたことがあるんです。結果、わかったのは、私の試験で落第点を取った学生が、ほぼ全員、国家試験に落ちている、ということでした。
解剖は面倒くさい作業です。記憶しなければならないことがたくさんあるし、しかも理屈があまり通らない。頭のいい子というか、理屈の好きな子には向かないんです。本当に、「医者になりたい」というモチベーションがないとやってられないんですね。でも逆に、医者になるモチベーションをきちんと持っている学生が、すごく一生懸命に取り組む授業でもあります。なぜかというと、解剖は臨床に近いですし、人体そのものを扱います。緊張感もある。医学部生にとって、やる気の有無がもっとも端的に表れた科目が、解剖でしたね。
ともかく、学力を伸ばす決め手になるのは、やはりモチベーションですね。
■やる気を引き出す3つの要素
【宮口】本当にそうだと思いますね。私は、やる気を引き出すためには3つの要素が必要だと思っていまして、それは「見通し」「目的」「使命感」です。実はこれ、私自身の体験から導き出したことなんです。
私は医師になる前に五年ほど、建設関係の会社で公共事業にともなう環境アセスメントの仕事をしていました。簡単に言うと、たとえばトンネルを掘るときに、トンネルができることで地域住民に環境面で何か不具合が生じるかどうかを調べる仕事です。
最初のうち、いくら上司から「意義のあるすごい仕事だよ」と言われても、全然ピンときませんでした。仕事の全貌が見えなくて、見通しが立たず、何から手をつければいいか、わからなかったのです。
これはもうやる気以前の問題。見通しが立たない、目的がわからないのでは、やる気など持てるわけがないのです。
それでも進めていくうちに、だんだん仕事の全貌が見えるようになり、何のためにその仕事をやるのか、目的もわかってきました。それで「よし、がんばろう」という気持ちにはなるものの、今度は「やりがい」を感じることができない。私にとってその仕事は、「これに人生をかける」と思えるほどの使命感が持てなかったのです。
■本当に困っている子は精神科に来ない
【宮口】この気持ちは、精神科の医者になっても変わりませんでした。
病院で外来をやっている中で、家庭や学校でうまくいかないことがいろいろあって困っている子どもたち――なかでも非行化するような子どもたちの多くは、そもそも病院にほとんど来ないんです。逆に言えば、病院に来るのは、保護者や誰かしら支援者がいて、連れてきてもらえる子どもたちだけなのです。
病院に来れば、そこで医療は成り立ちます。でも連れてこられない子どもたちの中には、さまざまな問題行動を起こすようになり、しまいには何かの事件の加害者になって警察に逮捕されたりするケースもあります。それで少年鑑別所などに収容されると、初めて「ああ、この子にはこういう障害があったのか」と気づかれるようなことがあると知りました。
無力感に囚われると同時に、どうすることもできないのに、「こうすべきではないか、ああすべきではないか」と評論家のようになっていく自分に嫌気がさしました。
■使命感を持つとやる気の次元が変わる
【宮口】それで、病院に来ない非行少年たちはどうなっているのかを調べたところ、一部は医療少年院という施設に入っていることがわかりました。その実態を知りたくて医療少年院に勤めるようになりました。
そこで、簡単な図形の模写ができないなど、認知機能の低い少年たちに出会いました。「丸いケーキを3等分するには、どう切ればいいですか?」と問われて、ベンツのマークのように扇形に切り分けず、まず縦に半分に切ってしまうような少年たちです。私は衝撃を受け、彼らが非行に走ったのも、一因に認知機能に問題があって授業を理解することができず、学校に嫌気がさしたからではないかと考えるようになりました。
このときに、スイッチが入っちゃったんですね。「認知機能に障害があるのに気づかれずに非行化する子どもたちが、予備軍も含めてたくさんいる。この子たちを何とかしなくちゃいけない。そのために自分は生まれてきたんだ」という使命感が湧いてきたのです。使命感を持った瞬間、「やる気」の次元がぐっと上がった気がします。
【養老】コーリング――呼ばれたんですね(英語の“calling”には「天職」という意味がある)。
【宮口】ああ、そうかもしれません。使命感のようなものが見つかった私は、ある意味ですごく幸せだと思います。
【養老】見つからないのが普通でしょうね。宮口先生にとっていまの仕事は、天職なんだと思います。
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養老 孟司(ようろう・たけし)
解剖学者、東京大学名誉教授
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、毎日出版文化賞特別賞を受賞し、447万部のベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)のほか、『唯脳論』(青土社・ちくま学芸文庫)、『超バカの壁』『「自分」の壁』『遺言。』(以上、新潮新書)、伊集院光との共著『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所)、『子どもが心配』(PHP研究所)など多数。
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宮口 幸治(みやぐち・こうじ)
児童精神科医/立命館大学産業社会学部教授
京都大学工学部を卒業し建設コンサルタント会社に勤務後、神戸大学医学部を卒業。児童精神科医として精神科病院や医療少年院に勤務、2016年より現職。困っている子どもたちの支援を行う日本COG-TR学会代表理事。医学博士、臨床心理士。
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(解剖学者、東京大学名誉教授 養老 孟司、児童精神科医/立命館大学産業社会学部教授 宮口 幸治)