ジョン・レノンがオノ・ヨーコと出会った瞬間とはーー?(写真:xavierarnau/iStock)

エミー賞9度受賞のほか、エドガー賞、アメリカ人文科学勲章、アメリカ文学界奉仕功労賞を受賞しているアメリカでも有数のストーリーテラーの名手ジェイムズ・パタースン。その著者が、ポール・マッカートニーをはじめとする関係者への独占インタビューを盛り込み、ビートルズ結成60周年、解散50周年、ジョン・レノン射殺から40年の節目であった昨年、満を持して上梓したのが、ニューヨークタイムズベストセラーにもなった『The Last Days of John Lennon』でした。

今回はその翻訳書『ジョン・レノン 最後の3日間』の中から、Chapter32・35・37・39から抜粋し、東洋経済オンライン限定の試し読みとして4日連続・計4回に分けてお届けします。

愛と希望とセックスと夢……
――「シャッタード〈Shattered〉」

ある日、地元の新聞を読んでいたジョンは、1966年に制作されたある白黒映画に関する記事を目にした。

監督は、分野を超えたグローバルな前衛芸術家集団であるフルクサスのメンバーで、アヴァンギャルド芸術家のオノ・ヨーコという日本人女性だった。

現在はニューヨーク近代美術館に保存されているこの映画は、『ナンバー・フォー(フルックスフィルム16番)』という5分半の作品で、フルクサス創始者ジョージ・マチューナスの言葉によれば、「歩いているさまざまな人のお尻を連続して映した映画」だった。

ジョンはこれを読んで笑い声をあげたが、心の中では、オノ・ヨーコというアーティストの辛辣で正直な姿勢に興味を惹かれていた。

そんなとき、友人のジョン・ダンバー(彼の妻でミュージシャンのマリアンヌ・フェイスフルは、1966年にミック・ジャガーとの不倫をスクープされた)から、自身が1年前から共同経営者を務めるメイフェアのインディカというギャラリーでの個展を見に来ないかという誘いがあった。

個展のタイトルは「未完成の絵画とオブジェ」。アーティストの名前はオノ・ヨーコだった。

ヨーコにとってのジョンは…

ジョンは11月8日のオープニングの前日、まだヨーコが展示会の設営を終える前に、会場を訪れた。

ヨーコは、黒いセーターに黒いパンツという服装で、同じく真っ黒な長髪を真ん中で分けてまっすぐ背中に下ろしていた。

「準備が終わるまでだれも入れないでって言ったでしょう」

ヨーコがダンバーに向かってぴしゃりと言い放つ。

彼女は最初、ひどく怒っている様子だったが、ジョンの姿を見るとこう言った。

「あなたのあとをついてまわって、見張っておくことにするわ」

「ジョンはきれいに髭を剃ってて、スーツを着てたわ」とヨーコはのちに回想している。

「それまでに会ったことのある英国人の男は、みんなちょっと貧弱な印象だった。ジョンは、私が初めて目にしたセクシーな英国人男性だったの」

ヨーコはジョンの7歳年上で、2人目の夫であるアメリカ人アーティストと結婚していた。2人のあいだには、ジュリアンと同い年のキョーコという娘がいた。

「それで、どんなイベントなの?」とジョンは言った。

ヨーコがジョンに、小さなカードを手渡す。ジョンがカードを開けると、そこにはひとつの単語が書いてあった。

「息をしろ(Breath)」

「つまり、『息を吐く』とかそういうこと?」

ジョンはそう尋ねて、大袈裟にハアハアと呼吸をしてみせた。

「そうよ。それでいいの」

そう言ってヨーコは微笑んだ。

個展の展示物の中には、200ポンドという値がつけられたリンゴもあった。

ひょっとしてこの女、有名人である僕の金を狙ってるのか? ジョンは一瞬、ひるんだ。

ヨーコはその後も、展示を見て歩くジョンの後をついてまわった。

「天井の絵(Ceiling Painting)」という作品の前で、ジョンは足を止めた。置いてある白い脚立を登り、虫眼鏡を手に取って、天井から下がっている小さなカードを覗き込む。

カードの真ん中には、とても小さな字で、「YES」という言葉が書いてあった。

ヨーコのポジティブなメッセージに、ジョンは微笑み、すっかり心を奪われた。

「素晴らしいと思ったよ」とジョンはのちに語っている。

「作品に込められたユーモアを、僕はすぐに理解したんだ」

ギャラリーを出たジョンは、妻の待つ家に帰った。その夜、ベッドで妻のシンシアの隣に身を横たえながら、ジョンはヨーコのことを考え続けていた。

不安定に彷徨い続ける心

波のように上がっては下がり、下がっては上がる感情に翻弄されながら、ジョンはアビイ・ロードの第2スタジオに入った。ときは、1966年11月24日。

彼はアコースティック・ギターを手に、ポール、ジョージ、リンゴの3人と、ジョージ・マーティン、レコーディング・エンジニアたちの前で、ようやく書き上がった新曲を歌ってみせた。

「初めて『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』を聞いたときは、不意打ちをくらった気分だった」と、ジョージ・マーティンはのちに振り返っている。

「ジョンがアコースティック・ギターを弾いて1人で歌うのを聞いただけで、これは素晴らしい作品だと感じたよ」

ジョンの心の中にあるものは…


だが、ジョンはそのサウンドに満足できずにいた。

ポールとジョージ、リンゴに指示を出しながら、幻想的な雰囲気のものからメタリックなものまで、さまざまなバージョンで演奏してみた末に、ジョンは2つのアレンジをくっつけて1つの曲にしてはどうかとマーティンに提案した。

「その案には2つ問題がある」とマーティンは説明した。「まず、2つのバージョンはキーが違う。そして、テンポも違う」

「きみなら、うまくやれるよ」

ジョンはそう言って選択を放棄し、この曲をマーティンの手に委ねることにした。そう、この曲については、それでよかった。

だが、ビートルズにのしかかる巨大なプレッシャーや、行き詰まった結婚生活、そして不安定に彷徨い続ける自分の心からは、逃げることができない。

どちらの方向に足を踏み出すべきか決めることができるのは、ジョン自身しかいなかった。