新庄剛志 “ビッグボス” の素顔…バリ島旅行で知ったすさまじい気遣いぶり
11月4日、北海道日本ハムファイターズの新監督に就任した新庄剛志さんの記者会見が、札幌市内のホテルでおこなわれました。
実は筆者は、新庄さんと25年来の友人です。当時、新庄さんは阪神タイガースに在籍し、筆者も『ジャリズム』というコンビで大阪で活動していました。その頃に、なんと新庄さんの方から、ジャリズムに会いたいと連絡があり、お会いすることになったのです。それをきっかけに、現在まで付き合いが続いています。
今回は公私ともに大変お世話になっている新庄剛志新監督……いや、新庄 “ビッグボス” の素顔について書かせていただきます。
お仕事では、筆者がライター業を始めたことで、3年ほど前から新庄さんが自伝を出版したり、プロ野球選手に復帰宣言をするなど、事あるごとにインタビューさせていただいてます。
プライベートでも、筆者は『山下本気うどん』という店をプロデュースしているのですが、そこに新庄さんが何回も食べに来てくれたり、新庄さんの公式YouTubeチャンネル『新庄劇場』で紹介してくれたりと、お世話になりっぱなしです。
2019年12月末、当時まだバリ島に住んでいた新庄さんに、筆者は突然、電話しました。筆者が「ツーヤン! バリ島に遊びに行っていい?」とお願いすると、「しげちゃん! おいで! おいで!」と快く受け入れてくれたのです。
筆者は新庄さんのことをプライベートでは「ツーヤン」と呼んでます。新庄さんは「しげちゃん」と呼んでくれます。
新庄さんには、かつて故・野村克也さんから呼ばれた愛称「宇宙人」だとか、奇想天外なパフォーマンスをする変わり者のようなイメージがあると思います。しかし、プライベートのツーヤンは、めちゃくちゃまじめで気遣いができるナイスガイなんです。
僕がバリ島の空港に着くと、何も言わず空港まで迎えに来てくれていました。「しげちゃん! よく来たね! これ美味しいから飲んで」と、いきなりバリのアイスコーヒーを渡してくれました。最高のウェルカムドリンクです。
筆者は新庄さんが運転する車に乗ってホテルに向かいました。「知り合いのホテルを予約してるから、そこに泊まって」とホテルまで用意してくれました。
そこから筆者は1週間ほどバリ島に滞在。最高の海辺が一望できる展望台のあるカフェに行ったり、チャーター船で釣りをしたり、車で2時間ほどかかるバリ島でいちばん有名なクタビーチにも連れていってもらいました。新庄さんは、バリ島に13年間住んで初めてそのビーチに来たと言っていたので、おそらくおのぼり観光客の筆者が「行きたい」だろうと思って連れていってくれたのです。
滞在中、グラウンドに行って野球の練習もし、その際は筆者もボール拾いをさせていただいたり、一緒にスポーツジムに行って筋トレもしました。このように、新庄さんは、毎日筆者に付き合って、最高のバリ島旅行を楽しませてくれました。
ここで申し訳ないと思うのが、新庄さんはこの年の11月にプロ野球選手への復帰を宣言したばかりで、本当はトレーニングしないといけないはずだったんです。実は旅行中、1度だけ半日間連絡が取れない日があったのです。おそらく筆者に気を遣って隠れてトレーニングをしていたのでしょう。
後から思い返せば、展望台のあるカフェに行く道中、坂道や階段があったのですが、新庄さんはたびたびダッシュしたり階段を駆け上がったりしていました。本当はトレーニングをしたかったのかもしれません。申し訳ないことをしました。
バリ島の最終日、筆者がチェックアウトして宿泊代の精算をしようとすると、すでに新庄さんが払ってくれていました。旅行中の食事代も、筆者の方が年上だし、お世話になっているので出そうとするのですが、絶対に払わせてくれないのです。
新庄さんにご馳走になるのは、このときだけでなく、普段から絶対に払わせてくれません。
しかし、先日、新庄さんが「山下本気うどん」に食べに来てくれたときは、さすがにここは出させてくれとお願いしたら、初めて払わせてくれました。金額は5000円ぐらいですが、ご馳走できたことが、「やっと年上の人と認められたのかな」と感じられ、無性にうれしく思いました。
これも、おそらく新庄さんの気遣いに違いありません。
新庄ビッグボス! 改めまして監督就任おめでとうございます! 落ち着いたらお祝いさせてください。当然ですが、筆者のおごりで。
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している