理想や哲学を語りづらい? ZOOM監督会見の弊害
先日、J2リーグ、東京ヴェルディ対水戸ホーリーホック戦に取材観戦に行った時のことだ。味スタの現場は少なからずピリピリとしたムードに包まれていた。両チームから感染者がでたこともあるが、それ以上に大きかったのは、前の試合で東京ヴェルディが、アルビレックス新潟とのアウェー戦に0-7で敗れていたことにある。その前の週もツエーゲン金沢にホームで敗れていたので、もし水戸戦に敗れると、永井秀樹監督の立場が危うくなりそうだーーという話だった。しかし、開幕してまだ5試合を消化した段階だ。早くもそうした話が渦巻いていることに違和感を覚えずにはいられなかった。
しかし、たとえばZoomの会見では、そうしたサッカーの本質は語りにくい。0-7で敗れれば、画面の目の前にいる記者に対し、反論めいた意見は吐きにくい。永井監督率いる東京ヴェルディの場合は、攻撃的サッカーを前面に掲げて戦うチーム。オシムではないけれど、ある意味で哲学的なサッカーだ。一歩間違えば、大敗もあり得るサッカーである。0-7の大敗に怯み、サッカー哲学を変えれば、逆にチームは崩壊する。監督は選手から、ブレたな、口ほどでもない指導者だと、見限られることになる。
東京ヴェルディは水戸に2-1で勝利を収め、結局、話は丸く収まった格好だ。筆者は試合後、所用があり、Zoomの記者会見を聞かずに会場を後にしたので、永井監督がそこで記者とどのようなやりとりをしたのか、知る身の上にはない。だが、以前に聞いたZoomの会見では、永井監督は話しにくそうにしていた。本領を発揮できずにいた。
監督に就任したのは昨季なので、試合後、会見場で会見したことは、コロナ禍で中断に入る前に行われた、開幕戦1試合のみということになる。Zoom会見ではなく、会見場で聴衆を前に、標榜するその攻撃的サッカーについて、直に演説させてみたい監督だ。
理想を語ること、哲学を語ることは、スポーツ界のみならず、現代の日本社会に著しく欠ける点だ。しかしサッカーにはそうした現状を変える力がある。正確にはサッカー監督には、だが、それこそが、永井監督のようなタイプが増えて欲しい理由だ。会見場で、思わず耳を傾けたくなる監督のサッカー話に遭遇できる日はいつになるのか。コロナ禍の1日も早い終焉を願わずにはいられない。
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スポーツライター杉山茂樹氏の本音コラム。