戦後間もなくタクシーでも大活躍!? ビートルことVWタイプ1を振り返る【1964年特集Vol.27】

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前回オリンピック開催年、1964年を振り返る連載27回目は、driver1964年9月号に掲載したVWタイプ1関して。

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世界現代史の一部「VWタイプ1」

1964(昭和39)年のdriver誌9月号では、くしくも同号で顔をそろえた偉大な大衆車を採り上げてきた。スバル360(連載第23回)、イギリスからはモーリス ミニ クーパー(連載第24回)。そして、最後にドイツ。言うまでもなく“ワーゲン”だ。


●フォルクスワーゲン タイプ1

フォルクスワーゲン(VW)1200。型式名は「タイプ1」
のちにドイツを狂気へと走らせるアドルフ・ヒトラーが、アウトバーン建設とともに国民車構想として計画。フェルディナンド・ポルシェが長年暖めていた研究を基に“発明”した。プロトタイプは1938(昭和13)年に完成。量産直前に第二次世界大戦が勃発すると、キューベルワーゲンなど軍用車のベースにもなった。戦後晴れて生産が再開されると人気はドイツから世界中へ広がり、やがて四輪乗用車の単一モデルにおける総生産台数の最多記録を打ち立てる。世界現代史の一部と言ってもいいその軌跡は、あまりにも有名だ。

1963年、トヨタの生産台数ランキングはまだ13位だった。1位はどこ?

1964年の誌面は「外車紹介」。driver誌が提携していた英「MOTOR」誌のロードテスト記事と、続く渋谷三郎氏の「“ヘンな”試乗記」で構成されている。タイプ1が戦後日本のモータリゼーションにも深く関わったことは、冒頭でわかる。

「ワーゲンのタクシーが、東京を走りまわっていた終戦直後のこと…。ある新聞が、およそこんな意味のコラムを載せた。
『――“ワーゲンで行こうぜ”というのが、最近の若い人たちの合い言葉らしい。街角に2、3人でたたずんで、ワーゲンのタクシーを待っている姿をよく見かける。西ドイツの復興とともによみがえった甲虫スタイルが、生き生きとした青春のシンボルのように、若い人たちの目にうつるのだろうか。――』」(文中より、以下同)

タイプ1はタクシーでも大活躍!?

2ドアの、しかも64年当時でさえ後席が狭いという評価のタイプ1が、戦後間もなくタクシーとして活躍していたのだ。

「東京のタクシー百年史」(東京乗用旅客自動車協会ウェブサイト)を見ると、1953(昭和28年)には「戦後の復興で東京のタクシー会社が増え、小型国産車に比べて性能の高いワーゲンやルノーが数多く導入された」。また、昭和30年代初頭にはワーゲンが全盛を誇ったとある。

梁瀬(現ヤナセ)がVWの販売を始めたのは、まさにその53年。
「ワーゲンの輸入台数も、このところめっきり増えてきた。(中略)1953年ごろからの分を通算すると、本年上期内で5000台に達する。輸入車としては相当な数ではないか」

そして、その上昇率が輸入自由化後も続いたら、アメリカ市場でビッグ3さえ慌てふためかせたワーゲン攻勢が日本でも始まりかねないとして、
「“ビートルズ(甲虫)がやってくる”のは、レコードファンばかりの話題ではなくなる」
と、洒落た考察が披露されている。
1964年は、日本にとってオリンピック一色の年だったが、世界ではビートルズ(The Beatles)が旋風を巻き起こした年だった。

1962年にイギリスでデビューしたビートルズは、64年に海外進出。念願のアメリカを中心にワールドツアーを大成功させ、世界中のファンを熱狂の渦に巻き込んだ。そして、この年にリリースされた楽曲の一つ、および同名の主演映画が「A Hard Day’s Night」。その邦題が「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」だったのだ。さすがに今では原題に改められているようだが…。

カブトムシの愛称は当時の日本でもすでに知られていた。しかし、「ビートル(Beetle)」の文字はまだ誌面のどこにも登場していない。


ミニを20年以上上まわる空前説後のご長寿モデル

MOTORのロードテストは正統派の真面目な論調で、ワーゲンの特徴を細部までリアルにレポートしている。
いわく、突然オーバーステアが強まるRRの操縦性は、普通のドライバーにとってはスリリング。ハンドルの切れ味は第一級で、ギヤチェンジも優秀。空冷の水平対向エンジンは経済的かもしれないが、最高出力の発生回転は3600と低く、性能的には1.2リットルクラスとして貧弱。半面、ピストンスピードが低くエンジンに無理がないため、16万㎞までオーバーホールの必要がない。信頼性は年ごとに高くなり、競合他車に比べはるかに長寿命と言われる。機械部分まで含めて仕上げの基準が高いことは、何度繰り返してもよいくらい。短所もあるがこうした長所によって、ワーゲンは他車がスタイルや設計を変更するよりも大きな力で、多くの人々を虜にしてきた――。

一方、“ヘンな”試乗記では、渋谷氏と友人2人が同乗する体の面白おかしなやりとりで、タイプ1を国内ユーザーの視点から考察している。
「『ワーゲンぐらい、ファミリーカーの中でブリキ細工の感じがしない車は、珍しいね』」
「たっぷりした、ゼイタクな車なんだな。(中略)一見質素、じつは“檜柾無ぶし”の特級材で木組みをした旧家の離れみたいなクルマ。隅々まで気を使ってあるくせにオットリしてる」
「『伝統と歴史かねえ』と、B君は30年も前に設計されたワーゲンにイカれたような声を出す」

タイプ1が成功したVWは、トランスポーターのタイプ2(1950年)、スポーツクーペのカルマンギア(1955年)と、タイプ1をベースにバリエーションを拡大。タイプ1の世代交代をにらんで、61年にはモダンな2ドアセダンのタイプ3を、68年にはワゴンタイプのタイプ4を加えている。

しかし、先に姿を消したのは、その後継車たち。タイプ1は排気量拡大などそれなりの進化を続けながら、1974(昭和49)年に初代ゴルフが登場すると主力の座を譲り、1978(昭和53)年ついにドイツでの生産を終えた。しかし、南米ではさらに生産が続き、何と2003(平成15)年までメキシコ工場から世に送りだされた。

プロトタイプの完成から60年有余年。ミニを20年以上上まわる空前絶後の長寿は、まさに旧家の離れの例えのように、旧式でもどっしり頑丈で時代に流されない味わいがあり、手入れをしながら末永く暮らしたいと思う古民家のような魅力があったからかもしれない。

タイプ1の伝統はニュービートル(1998年)で復活、ザ・ビートル(2011年)に受け継がれた。が、その末裔も2019年に生産終了。永遠に続くとさえ思われたビートル劇場は、80年でついに幕を下ろした。

そして2020年、VWの次世代を担う電気自動車(EV)戦略の先鋒として、ID.3が本国で注目のデビュー。いよいよワーゲンのEV攻勢がやってくる。

〈文=戸田治宏〉

【driver 1964年9月号】