ジャニーズ事務所の最年長所属タレント、マッチこと近藤真彦(56)の25歳年下の女性社長(31)との5年越しの不倫愛が、11月12日発売の「週刊文春」にスクープされた。

【画像】故・ジャニー氏に「マッチ棒みたい」と言われた少年時代


近藤真彦(Johnny's netより)

 “ジャニーズの長男”と言われる大スターなら火遊びくらいならと、軽く見る向きもあるが、このスキャンダルの処理の仕方いかんでは「ジャニーズ帝国」が揺らぐかもしれない事態を迎えているのだ。

「焦点は、一昨年いっぱいでタレント業を引退して、昨年9月にジャニーズ事務所の副社長に就任したタッキーこと、滝沢秀明副社長(38)が、大先輩である近藤を処分することができるかということです。近藤は1994年にライバルだった田原俊彦(59)がジャニーズを退所して以来、常にジャニーズ内のタレントとしては“最恵国待遇”を受けてきました。ここでの対応が滝沢副社長の試金石になるでしょう」(スポーツ紙芸能デスク)

ジャニーズ事務所に吹き荒れる粛清の嵐

 滝沢氏の就任以来、ジャニーズには粛正の嵐が吹き荒れている。

 昨年12月に人妻だった神田沙也加(34)との不倫を報じられた、ジャニーズJr.の4人組グループ「MADE」の秋山大河(28)が今年1月いっぱいで退所、グループは解散。

 今年3月には、1月にデビューしたばかりのSnow Manのリーダー岩本照(27)が、2年4カ月前の未成年との飲酒を報じられて、7月まで活動自粛した。

 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言下の5月に酒席に参加していたNEWS手越祐也(33)は芸能活動禁止を言い渡され、6月に会見を開いて退所を発表。ユーチューバーとして活動を開始。

 闇スロット店に出入りしていたジャニーズJr.内ユニット・宇宙Sixの山本亮太(30)は事務所との専属契約が解除され、ユニットも解散。11月14日に公式SNSとYouTubeチャンネルを開設し新たな道を歩み始めた。

 とどめは7月に行われた亀梨和也(34)と山下智久(35)の未成年との飲酒。亀梨は厳重注意処分にとどまったが、山下は飲酒だけでなくホテルに“お持ち帰り”をしたということで芸能活動自粛に追い込まれ、10月いっぱいで退所した。

「滝沢副社長は昨年7月に亡くなったジャニー喜多川氏(享年87)のクリエイティブ面での後継者。タレント統制も担っています。不倫が発覚した近藤に断固たる姿勢を示すことができれば帝国は安泰でしょうし、逆に忖度するようなことがあれば、なめられて退所者が増えていくかもしれない。

 嵐が今年いっぱいで活動休止、来年3月にはTOKIOのエース長瀬智也(42)が退所する中で、豪腕を振るうことができるのか。業界中、そしてジャニーズの所属タレントも固唾をのんで見守っています」(女性誌編集者)

 近藤は1977年、中学1年の時にジャニーズ事務所に入所した。地元の神奈川県・大和で所属していた、少年野球チームの監督の娘がジャニーズ事務所に集合写真を送ったところ、ジャニー氏の目に留まったという。丸刈りでヒョロヒョロしてマッチ棒みたいだからと、マッチの愛称が付いた。

 1979年10月にドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)で俳優デビュー。同級生役の田原俊彦(59)、野村義男(56)と「たのきんトリオ」として売り出し、人気が爆発した。1980年12月には「スニーカーぶる〜す」で歌手デビュー。翌年には「ギンギラギンにさりげなく」で日本レコード大賞最優秀新人賞に輝いている。同賞では1987年に「愚か者」で大賞、デビュー30周年の2010年には最優秀歌唱賞に輝いている。

近藤がジャニーズ事務所で”別格扱い”の理由

「この3冠がいかにすごいことか。近藤以外の4人の3冠達成者は北島三郎、都はるみ、細川たかし、そして氷川きよしと、いずれも演歌の第一人者です。大声でがなり立てるタイプの近藤が大賞や、ましてや歌唱賞を取れたのはジャニーズ事務所の強力な後押しあってのことです」(音楽関係者)

 1980年代前半にトップアイドルとして君臨した近藤だが、その後は芸能活動よりレース活動に力を入れた。

「マッチのマーチ」のキャッチフレーズでCM出演していた日産マーチを駆ってレースに参戦。F3、全日本GT、ルマン24時間、F3000に出場して、2003年以降は「KONDO RACING」の監督に専任した。

「いわば近藤の道楽ですが、ジャニーズ事務所は黙認。下手の横好きだったら本人も飽きたのでしょうが、なまじそこそこ速かった(笑)。ヨーロッパじゃ、日本のレーシング監督としての方が有名です。その間、ジャニーズは少年隊、光GENJI、SMAP、TOKIO、V6、嵐と稼ぐグループがめじろ押しでしたからね」(テレビ関係者)

中森明菜との恋愛、自殺未遂、そして事件へ……

 しかしそんな近藤が、芸能生命の危機に見舞われた騒動がある。歌手・中森明菜(55)との恋愛、自殺未遂騒動、そして後の“金屏風事件”だ。

 ダブル主演した1985年の映画「愛・旅立ち」をきっかけに交際をスタートさせたビッグカップルの熱愛の噂はたびたび報じられていた。1989年7月11日に明菜が近藤の自宅で手首を切って自殺を図ったことで、その関係があからさまになった。

「山口百恵さんに憧れて結婚して家庭に入りたい明菜と、結婚はまだ早いという近藤。ある意味、どこにでもある男女関係でした。そのうち熱も冷めるだろうと思っていました」(女性誌記者)

 ところがその後も交際関係はしばらく続いた。そして明菜は、同年4月のよみうりランドコンサートのステージ上で言葉を失って座り込むなど情緒不安定なところを見せ始めた。

 そこへ爆弾が投下される。

 同年2月に写真週刊誌が近藤と、明菜のライバルである松田聖子(58)のニューヨーク密会をスクープしたのだ。

明菜のライバル・松田聖子がマッチを“つまみ食い”

「真相は分かりませんが、聖子は帰国時の会見で堂々と『友達だから一緒にお茶を飲んだだけ。他にも人がいた』と説明しました。キスしているように見える写真も、『耳打ちしているところ』と集まった取材陣を軽くいなしていました」(ワイドショー関係者)

 当時、聖子は神田正輝(69)と婚姻関係にあり、1986年に長女の沙也加を産んで“ママドル”としても人気を集めていた。

「マッチも聖子も軽い火遊びくらいの感覚だったのでしょう。だけど1985、1986年と2年連続してレコ大大賞を受賞して、芸能界で頂点を極めた明菜には、もうあとは近藤との結婚しか見えていなかったんです。明菜にとって、ライバルだった聖子に近藤を“つまみ食い”されたのは屈辱だったでしょう」(前出・女性誌記者)

 そして同年の大みそかに起きたのが、“金屏風事件”だ。

明らかに様子がおかしかった明菜

「新高輪プリンスホテルでマッチと明菜が会見をするからとマスコミが集められました。金屏風が用意されていたので、取材する側もてっきり結婚会見なのかと思いました。でも、姿を現した明菜は明らかに様子がおかしかった」(ワイドショー芸能デスク)

「自殺未遂など騒ぎを起こしたことを言葉少なに謝罪。明菜は近藤のことを『信頼のおける数少ない友人』と説明し、交際については近藤が『そうしたことは一切ない』と否定しました。午後10時から紅白歌合戦の裏で生放送されましたが、瞬間最高視聴率が17%を超えました」(同前)

 金屏風の前で交際の事実はないと説明するちぐはぐな会見だった。しかも、どうやら明菜は会見すれば近藤との交際を認めてもらえると思わされていたようなのだ。

マッチはメリー喜多川会長の一番の“推しメン”

「明菜にとっては“だまし討ち”だった。会見を仕切ったのはジャニーズ事務所の幹部ですから。そして当時から近藤を強くバックアップしているのが、今年9月に名誉会長になったメリー喜多川氏(93)です。当時の肩書は、今のタッキーと同じく副社長でした。

 メリー氏にとっては当時から今に至るまで、ずっとマッチが“推しメン”です。公私ともに寵愛していると芸能記者の間では有名でした。娘である藤島ジュリー景子現社長(54)の結婚相手にと考えていたこともあるくらいですから。

 2015年1月に週刊文春の取材に応じて、SMAPの元マネジャーを叱責し『うちのトップはマッチです。SMAPじゃない』と言い切ったこともあった。マッチへの特別扱いは有名でしたが、これほどまでかと業界が騒然となりました」(前出・ワイドショー関係者)

 しかし金屏風事件で世間から大バッシングを受けた近藤はまずカーレースにのめり込み、テレビからは距離を置いていく。1994年には一般女性と結婚した。

「なかなか子供に恵まれませんでしたが、結婚14年目に生まれた息子さんももう中学1年生です。テレビ出演は少ないですが、東山紀之や木村拓哉といった実力のある後輩に慕われていますし、SMAP騒動の後に音頭をとって、麻布十番の中華料理屋で食事会を開いたのも近藤です。

 明菜との交際時は不誠実な面ばかりが見えていましたが、最近はジャニーズ事務所の“頼れる長男”だったので、今回の不倫には『まさかマッチが!』と驚いた関係者が多かった。昔だったら沈黙で押し通すこともできたのでしょうが、ネットで炎上する時代に滝沢副社長がどのようにして沈静化させるのか」(前出・スポーツ紙芸能デスク)

 平成の初めにメリー副社長に救われた近藤は、果たして令和の時代に滝沢副社長に救ってもらえるのか。ジャニーズ事務所の対応に注目が集まっている。

(川田 南雲/Webオリジナル(特集班))