8月に大怪我から復帰を果たした川崎フロンターレMF中村憲剛【写真:Getty Images】

写真拡大

DAZNのドキュメント制作チームに聞く、復活までの舞台裏と中村の素顔

 日本を代表する名手は、再びJリーグのピッチに立てるのか――。

 昨年11月2日、川崎フロンターレの元日本代表MF中村憲剛は、J1リーグ第30節サンフレッチェ広島戦(2-1)で左膝前十字靭帯損傷、左膝外側半月板損傷の重傷を負った。全治約7カ月。それは39歳のベテランにとっては選手生命を脅かす、あまりにも過酷な運命だと誰もが感じたはずだ。

 だが稀代の司令塔は301日後、その試練を乗り越える。2020年8月29日に行われたJ1リーグ第13節の清水エスパルス戦(5-0)、再び等々力陸上競技場のピッチに降り立った中村は、芸術的なループシュートでゴールまで奪うというドラマチックな復活劇を演じた。

 そんな中村の闘いの日々を、Jリーグを全試合ライブ中継するスポーツチャンネル「DAZN」が追い続け、9月19日に「ReStart:中村憲剛 帰還までの301日」と題したドキュメンタリーを配信。長いリハビリ生活のなかで中村がこれまで見せたことのない苦悩や葛藤、そして復帰の喜びなど様々な想いが詰まった番組として、視聴者から好評を博している。

 今回の密着取材が実現した経緯や番組に込めた想い、そして約10カ月に及んだ制作過程のなかで見えてきた中村の素顔とは、どのようなものだったのだろうか。「DAZN」のドキュメント制作チームに、改めて話を聞いた。

   ◇   ◇   ◇

――DAZNで公開された中村憲剛選手の密着ドキュメントが好評です。まず、今回の企画実施を決めた理由、経緯を教えていただけますか?

「昨年11月2日に大怪我をした当日から川崎フロンターレのファン・サポーターのみならず、日本中のサッカーファミリーが彼のSNSやブログに多くの激励メッセージを寄せていました。それをずっと見ていて、憲剛さんは川崎フロンターレでプレーする1人のサッカー選手にとどまらず、日本サッカー界を象徴する選手だと改めて感じさせられたのがきっかけです。39歳を迎えたばかりのベテラン選手が、『前十字じん帯損傷、全治約7カ月』という大怪我を乗り越えていく姿を記録していくことで、全国のサッカーファン、スポーツファンはもちろん、多くの人に必ず何かを伝えられるはずだと強く感じたので、怪我をした翌日にクラブ広報に相談させてもらいました。それがファーストアクションです」

――そんなに早い時期から動いていたんですね。

「実際はすごく悩みました。選手生命を脅かしかねない大怪我であることは分かっていましたし、こんな早い段階で相談をしてもいいものかと。ただ、DAZNとしては過去にアンバサダーを務めていただいたり、何度も海外サッカーの解説をお願いしたりしていて、幸いにして本人ともクラブとも近い関係性を築けていました。

 何よりJリーグの独占配信権を持っているDAZNとして、彼の戦いを追いかけるべきだと思い、どこよりも早く相談して、強い気持ちを持って実現にこぎつけようと考えたんです。クラブ側もなんらかの形でリハビリを記録したいと考えていたようで、広報からタイミングを見計らって本人にも相談いただき、クラブ内でも調整してもらえて正式にゴーサインが出ました」

――今年はコロナ禍もありました。制作過程も難しいことの連続だったのではないかと思います。

「そうですね。やはりコロナ禍の影響は大きかったです。クラブハウスが出入り禁止になってチーム練習もなくなり、病院の先生などを含めた関係者にもアクセスが難しくなってしまうなど、思うように取材を進めることができませんでした。ただ、取材スタッフが練習場に出入りできないなか、クラブ広報がカメラを持って病院やトレーニング風景を独自に撮影してくれました。広報さんのカメラなしでは実現できなかったので、本当に助けられましたね」

密着して感じた中村の凄み 「長期のリハビリに意味を見出そうとしていた」

――今回のドキュメント制作でこだわったことを教えてください。

「まずは憲剛さんの声と想いをしっかり伝えるということですね。そして取材を続けていくなかで、リハビリをサポートするフィジオセラピストの存在が浮かび上がってきました。今回の番組でも登場していただいた郄木祥さんです。実際に各所への取材を続けていくなかで、憲剛さんからも『選手を支える方々がいてくれるからこそ、僕たちはピッチに戻ることができる。なかなかフォーカスしてもらう機会がないと思うので、ぜひ大きく取り上げてもらえたら』という話をもらっていました。リハビリの経緯を追いかけながら、しっかりと“裏方”の存在も伝えていこうとしていた制作チームの方向性を、憲剛さんにも後押ししてもらえました」

――ナレーションに、スキマスイッチの常田真太郎さんを起用されています。

「番組の担当ディレクターが『憲剛さんにゆかりのある人にナレーションをお願いできないか』と考え、候補を出したなかで常田さんに打診させていただきました。実はライブのリハーサルなどで多忙な時期で、しかもナレーション初挑戦だったんですが、『憲剛に関する重要なことで依頼されたら、基本的に断るという選択肢はないです。頑張ります』と快諾いただけたんです。実は常田さんと憲剛さんは同期デビューで、長年に渡ってお互いに“ライバル”と認め合って、切磋琢磨してきた関係でした。こういった部分にも制作チームのこだわりが出せたかなとは思います」

――取材期間は約10カ月にわたりました。継続取材で実感した中村憲剛という選手のパーソナリティー、凄みはどういった部分でしたか?

「まず一番感じたのは、とにかくポジティブ、そして周囲への配慮を一番に大切にする人だということですね。当初はネガティブになる姿も想定していたんですが、怪我の直後から『自分より家族がショックを受けていて、心配させないように、いつも以上に明るく振る舞った』とか、『いろいろな経験をさせてもらってきたけど、大怪我のリハビリだけはしたことがなかった。これで怪我をした選手の気持ちが分かる』と長期のリハビリ自体に意味を見出そうとしたり、実際のインタビュー時は全般的にすごく前向きでした。

 ただ、コロナ禍と重なってリハビリが停滞していた時期は、すごく不安だったと思います。でも、そこでネガティブに考えても何も生まれないからと、丁寧に膝と向き合おうとする姿勢が印象的でした。そのなかにあった『絶対に復帰する』という強い信念、『復帰できる』と信じて突き進む姿は、精神的にも真のアスリートだと感じました」

――密着したからこそ感じる、301日前の中村憲剛と、301日後の中村憲剛の決定的な違いはどこにあると思いますか?

「以前からプレーもスタンスも自然体なので、いい意味で『何も変わらない』という表現になるかもしれないですね。ただ、外から見ていて思うのは、周囲への感謝を今まで以上に持つようになったのかなということ。復帰後の試合を観ていると、コーナーキックや選手交代時に、スタンドに向かってすごく拍手をしています。今までもスタジアムの一体感をすごく大切にする選手でしたが、さらにファンや周囲への感謝を表現するようになったような気がします」

「憲剛さんと左膝との“コミュニケーション”に注目していただけたら…」

――今回、耳の不自由なファンからSNS経由でリクエストを受けて、字幕表示にも対応されていました。

「今回の企画コンセプトの一つに『難しい状況にある人に力を』という思いがありましたし、耳の不自由な人が待っていてくれる人がいるのなら、『やる』の一択でした。もちろん、すべてのコンテンツで字幕対応するのは難しいですが、会社としてもダイバーシティやインクルージョン、つまり“平等な世の中”に向けた取り組みを打ち出していきたいと考えているところでしたし、そういった声にお応えできたのは良かったと思います。

 実は字幕の作業を進めている段階で、憲剛さんからも『字幕、付けてあげられそう?』という連絡をもらっていました。この番組をご覧になった方が、少しでも前向きになれたらという思いを込めて対応させていただきました」

――今回のドキュメント、改めて見どころを教えてください。

「詳細な回復のステップに加えて、憲剛さんと左膝との“コミュニケーション”に注目していただけたらと思います。順調に回復していく一方で、ちゃんと膝の“声”を聞かなかったことで、コロナ禍の裏側で一気に状況が暗転してしまった。それが復帰戦の感動的なエピソードにつながっていきます。実は清水エスパルスとの復帰戦で特別に『中村憲剛カメラ』を入れていて、だからこそ撮影できたシーンがたくさん出てきます。そういった部分も、隠れたこだわりとして楽しんでいただけたらうれしいですね」

――今回のドキュメントのビジネス面における意味は、どう考えていますか?

「現在DAZNでは、スポーツの魅力をより多角的に伝えるため、試合のライブ中継以外のオリジナルコンテンツの制作・配信をさらに拡充させていく方向性を打ち出しています。日本ではタイミング良く、その第一歩になるような番組にできました。また、今回はクラブの協力が非常に大きかったです。こういったコンテンツ制作はDAZNとクラブ、Jリーグの連携が重要だと思いますし、クラブの大きな協力がなければ実現しませんでした。そういう意味では一つのモデルケースになったのではないかとも思っています」

――密着取材を通じて、視聴者に一番伝えたいことは?

「今回は中村憲剛という偉大なサッカー選手が、非常に前例の少ない39歳という年齢でのリハビリを通じて、何かを伝えようとしていました。作り手としては、視聴者の心に何か響くようなものを作りたい。そして憲剛さんの思いを伝えたいと考えたなかでの企画実施となりました。同じような大怪我を負ってしまった人、思わぬ困難に直面してしまった人、目の前にある壁を乗り越えようとしている人。そういった人に少しでも前向きになってもらうことができていたらうれしいです。

 そして試練を乗り越えてピッチに戻ってくるまでの憲剛さんの歩みを知り、そのうえで彼のプレーを観戦いただければ、また新しい視点で中村憲剛という選手をご覧になれるのではないでしょうか。ぜひ憲剛さんがリハビリ期間、そして劇的な復帰戦で胸に秘めていた感情を想像しながら、番組をご覧いただければと思います」(Football ZONE web編集部)