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 ロシアプレミアリーグの2020−21シーズンが、8月8日に開幕する。最新のUEFAリーグランキングでは7位。ベルギー、オランダ、トルコよりも上で、ブラジル代表マウコム(ゼニト・サンクトペテルブルク)のようなタレントを世界中から集めたリーグだ。

 そのロシアリーグで昨シーズン5位だったFCロストフへ――。日本代表MFである橋本拳人(26歳)は、新天地を求めた。

「自分のプレーがどう評価されるのか。仲間に譲るようなプレーだけでは、たぶん評価されない。何をしたらナイスプレーになるのか。それを知ること自体、楽しみですね」


7月18日の浦和レッズ戦を最後に、FC東京からロストフに移籍した橋本拳人

 夢につながる欧州移籍の決断には、悔しさと葛藤、闘争と楽しさへの欲求があった。

「(優勝できなかったことに関して)責任を感じていました」

 橋本はそう振り返っている。2019シーズン、所属したFC東京は最後まで優勝争いを繰り広げたものの、結果的には正念場の終盤で失速し(湘南ベルマーレ、浦和レッズに2引き分け)、悲願の優勝を逃すことになった。幼いころからFC東京で過ごしてきた橋本にとって、その痛みは人一倍だ。

「"ここで活躍しないで、いつするの?"という気持ちで、(終盤の)湘南戦、浦和戦には挑みました。11月の代表戦の時は、『もうちょっとで優勝じゃん』と周りの(代表)選手たちから発破もかけられていて、"ここで俺が"という気持ちになったのは今でも覚えています。それで固くなってしまったんですかね。気負いというよりは、なんか力が入らなくて、おかしいぞって。"いつもどおりに"と思えば思うほど、修正が利かなかった」

 橋本はふがいなさを感じたという。

「もちろん、ボランチはチームを回すのが仕事なので、自分だけが力んでも難しいところはあるんです。気合いを入れることで、むしろ守備が荒っぽくなったり、得点を狙いにいって裏をやられたりする。ただ、チームがよくない時に、俺がバシッとするのが仕事だったと思うので、情けないですね。シーズンで一番よくない出来でした」

 彼はそう言って唇をかんだ。"生まれ育ったチームを優勝させたい"という誠実な思いは強かった。一方で、"自らが成長することで答えを求めたい"という赤裸々な野心も湧き上がってきた。日々、葛藤に揺れることになった。だが橋本は、FC東京の下部組織時代から、立ち向かい、乗り越えることで、今の位置にたどり着いた。過去の自分に、決断を促されたのだ。

<壁に挑むなら、今しかない>

 橋本は、決意を固めた。だから今回の移籍に関しては、代理人と家族以外には、誰にも相談していない。彼自身のなかで、「絶対にものにする」と決めて挑んだ。

 もちろん、チームからは慰留されたし、交渉を乗り越えるには苦難もあった。チームの幹部や長谷川健太監督と、焦れずに、恐れずに、とことん対話を重ねた。一方で、橋本本人がロストフとも折り合いをつけ、交渉そのものにも深く関わっている。それは心を削るような作業でもあったが、彼は何かを勝ち取るには当然のものとして受け止めていた。

 何より、未知の場所でプレーする欲求に突き動かされたのだ。

「自分は根っこのところで、相手選手とガチャンと当たって、ボールを奪うようなプレーが好き。海外の選手はそこで勝負して来るんですよ! そこでの駆け引きができるのは、シンプルに楽しみだな、と」

 橋本は不敵な面構えで言う。

「日本人選手は、あまりぶつかり合いを好まないです。すぐにボールを下げるし、距離を置くので。それが日本のスタイルだとは思うんですけど、俺は、自分の間合いに敵が入ってきたら、"削りにいくぞ"という感じの勝負に興奮するというか。ロシアではコンタクトプレーがしたいですね。"ここに来いよ"と誘って、入ってきたところで勝負する。欧州を舞台に、ぶつかり合いをやりたいですね」

 臨戦態勢はすでに整っている。欧州に移籍するタイミングとして、26歳はギリギリと言えるが、それは運命だったのかもしれない。

――今からタイムマシンで過去に戻り、FC東京の下部組織に入った"中一の拳人"に会ったら、なんと声を掛ける?

 そんな問いかけに、橋本はこう答えている。

「どうですかね......。当時の自分は何もわかっていないはずだから。でも、"壁を乗り越えていけば、必ず先に何かあるから"ということはやっぱり言うし、子供の俺もわかっていると思います。自分は、自分に起こるすべてのことに意味があると思っているんですよ。機会が来たら、それは決して遅いということはなくて、それがベストのタイミングなんだって。あとはやるしかない」

 橋本は約束の地にたどり着いた。まもなく、新たな戦いの火ぶたが切られる。第2節には早くもロシア王者ゼニトとの対決だ。