◆西武・川越誠司は異色の球歴>>

 カナカナ、カナカナと蜩(ひぐらし)が鳴いていた。

 なかなか明けない梅雨の真っ只中、狭山丘陵に雨がそぼ降る。メットライフドームのすぐ隣にある、改修工事を終えたばかりの西武第二球場は、今年からカーミニークフィールドと呼ばれていた。

 2020年7月28日、その新装なった球場で行なわれたイースタン・リーグ、ファイターズとの一戦で、ライオンズの内海哲也は先発のマウンドへ上がった。開幕一軍はならず、イースタンでは今年、すでに5試合目の先発である。


2年ぶりの一軍登板を目指して調整を続ける西武・内海哲也

 大きく振りかぶって、テンポよく内外角を丁寧に突いていく。立ち上がりから、内海ならではのピッチングを久しぶりに見た。

 ストレートは右バッターのインコースにフォーシームを、左バッターのインコースへはツーシームを投げる。スライダーのキレ、チェンジアップの抜けもよく、バッターは差し込まれたり泳がされたりと、思うようにタイミングが取れない。

 しかし時折、ボールが高く浮いて、その球を痛打されてしまう。この日の内海は6回途中までに1本のホームランを含む8本のヒットを打たれて、5点を失った。

 その一方で、5試合目にして初めての3ケタの球数となる107球を投げている。それでも内海の自己評価は決して高くはなかった。

「100球を投げられた、というだけです。後半はちょっとバテて、内容もただ投げているだけというか......バッターの両サイドに投げるストレートの精度が上がらないと、僕の変化球は生きてこないんです。その変化球はすごくいい感じで投げられているので、もうちょっとかな。投げている感覚としては前ほど悪くはなくて、むしろいい感じで投げられているところもあるので、あともうちょっと、というところです」

 その「もうちょっと」と内海が言うのは、技術的にどのあたりを指しているのだろう。

「インコースへ投げたかった見せ球、勝負球の真っすぐが、右、左バッターともに内側へ甘く入って、痛打されることが多かった。バランスよく、しっかり投げ切れたときには打たれてもヒットにはならないんですよ。ゴロもフライも、野手のいるところに飛ぶ。

 でも自分の投げる球に自信が持てていないと、ヒットやホームランになってしまう。精度が足りていないんでしょうね。最後はコースに投げ切れなくて、なんとか打ち損じてくれと願いながら投げていました」

 ジャイアンツから移籍して2年目、内海は今年、38歳になった。通算で6000を超える白星を積み重ねてきた伝統球団で押しも押されもせぬエースだった。2年連続最多勝や日本シリーズMVPを獲得、開幕投手を3度務め、ジャイアンツのユニフォームを着て手にした133の勝ち星は江川卓の135勝に次いで歴代11位にあたる。

 そんな実績のある生え抜きの内海が、FAの人的補償で、ライオンズでプレーするようになったのが昨シーズンからだった。

 若い投手陣の中にあってまだまだ枯れないベテランの味わいを期待されながら、しかし開幕前、内海は古傷の左前腕部に痛みを発症させ、昨シーズンはプロ16年目にして初めての一軍登板ゼロに終わる。

 ほかは元気なのに左前腕だけが痛くて投げられない、しかもこのケガはメスを入れなければ完治することはない――昨オフ、内海は左浅指屈筋(前腕)と腱の修復手術を受ける決断を下した。

「肩の機能が低下してくると肩の前にヒジが出てきてしまって、そこ(腕の前腕)に負担がかかるみたいなんです。ただ、今はもう怖さもなく腕も振れていますし、ケガをする前と変わらない状態になっています。この歳(38歳)になると、いろんなことを年齢のせいにされますけど、ゲームで投げている感じでは、できなくなったと思うことはないんですよね。投げているボールは昔から速かったわけではないですし(笑)、何も変わっていないんじゃないかなぁと思います。

変わったことがあるとしたら、気持ちかな。もうあとがないと思うと、昔よりは緊張するようになりました。ここでしっかり抑えれば、もしかしたら(一軍に)呼ばれるかもしれないという状況になると緊張してきて、思うように投げられなかったりすることは、正直、あります。1勝も遠いけど、一軍が遠い。やっぱり一軍で投げてナンボの世界ですからね」

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 内海ほどの経験と実績があっても、野球人生の崖っぷちに立たされたと感じるとプレッシャーを感じるのだ。思えば、勝つことが当たり前だった頃、内海は落ち込むと車の中でコブクロやゆずのバラードを熱唱しながら、涙を流して溜まったストレスを発散しているのだと言っていた。しかし今は感情を爆発させていた頃とは違って、ずいぶん穏やかになったのだという。

「所沢までは通勤時間も長いので、車の中ではラジオを聴くようになりましたね。ちょっと和みたいという気持ちがあるのかもしれません。FMにおもしろい番組がいっぱいあって、1時間半ぐらい、いつもひとりでニヤニヤしながら聴いています」

 ラジオと言えば、ファームの練習を終えてもまだ陽のあるこの季節、いつもならラジオから流れてくるはずの夏の甲子園の実況中継を今年は聴くことができない。高校時代、甲子園には届かなかった内海が、当時の複雑な思いをこう明かした。

「やっぱりこの季節になると、悔しかった高3の夏を思い出しますね......だいぶ、薄れてはきましたけど(苦笑)」

 内海は高校時代、『北陸のドクターK』と呼ばれ、敦賀気比のエースとして秋の北信越大会で優勝。春のセンバツへ出場することが決まっていた。しかし他の部員の不祥事によって、出場辞退を余儀なくされる。

3年の春は福井で優勝、夏の福井大会でも決勝まで勝ち進んで甲子園まであと一歩というところへ辿り着きながら、延長の末、福井商に2−3で敗れてしまった。春も夏も、つかみかけた甲子園出場という夢を叶えることができなかったのだ。

「延長10回、三塁打を打たれて勝ち越されたんですけど、もし、もう一度やり直せるとしたら、あの場面、真っすぐを投げたいですね。カーブを投げてしまったので......」

 大事な場面で直球勝負を挑まなかったことに悔いが残るという内海は、こう続けた。

「でも、今年の高校3年生は甲子園を目指すことのできない夏ですから......僕らは甲子園に出られなかったけど、チャンスはありました。目標は達成できなかったけど、目標に向かっていくことはできたんです。それさえできないというのは、本当にかわいそうだと思います」

 もし、"18歳の内海哲也くん"が同じ状況に置かれたとしたら、どうしていたと思うか――そんな問いに、内海は言った。

「あきらめずに、上を目指してやっていたと思います」

 20年前も今も、真っすぐにこだわって高みを目指す思いは変わらない。内海は140キロに満たなくてもインサイドを抉(えぐ)る、正確無比な軌道を描くストレートを武器に、あきらめることなく一軍のマウンドを見据えている。