来月開幕するJリーグ。このシーズンオフの間、J1クラブで監督交代が行われたのは鹿島アントラーズ、清水エスパルス、ベガルタ仙台の3クラブのみだった。
 
 18分の3とはいかにも少ない割合だ。他の15クラブの監督は留任。これは新鮮味に乏しいことを意味する。既存のサッカーに満足しているのか。探す力がないのか。現在、監督をしていない予備軍に適当な候補が見当たらないことも輪を掛けるように思う。日本代表監督の座には2期連続で日本人が就いている(西野朗、森保一)が、新陳代謝の少ないこの現状を眺めると、それに続く候補の絶対数は足りているようには見えない。
 
 このまま実績を積めば、その候補になったかもしれない可能性を感じさせた監督はいた。過去形になるのは、交代した3人の中に含まれているからだ。鹿島の大岩剛監督は契約満了で交代したとされるが、これは事実上の解任だ。鹿島は昨季、終盤に失速し3位。クラブ関係者はこの成績に物足りなさを感じたのだろう。鹿島ファンの間で大きな話題になっていないところを見ると、解任やむなしがその一般的な声であるように聞こえる。
 
 石井正忠監督解任を受け、大岩監督が鹿島の監督に就任したのは、2017年シーズンの半ば。成績をそこからジワジワと上げ、最終節のジュビロ磐田戦に勝利すれば優勝という段にまで漕ぎつけた。そこで引き分け、2位に終わったが、この結果は十分合格点に値した。

 2018年はリーグ戦3位。しかしながらアジアチャンピオンズリーグ(ACL)を制し、続くクラブW杯でもベスト4入りをはたした。鹿島にとって20冠目にあたるACL優勝は、他のどれよりも重いタイトルと言えるだろう。

 昨季は先述の通りJ1リーグ3位。大岩監督はそのタイミングで解任となった。そもそも鹿島の適正な順位とは、どれほどなのか。常勝軍団とよく言われる。20冠は確かに国内では最多になるが、過去26年の間にタイトルは国内だけでも78ある。4回に1回の割合だ。これを持って常勝軍団と言えるだろうか。

 予算規模から割り出せば3〜4位がいい線になる。そこから成績を大きく落としたなら、解任も致し方ないが、実際はその枠内に収まっている。

 しかも、昌子源、植田直通、安西幸輝、鈴木優磨、西大伍など、日本代表級の選手が次々とチームを去っていった中での成績だ。監督がなんとかやり繰りした結果、適正な順位を維持したと言うべきではないか。早すぎる交代に見えて仕方がない。
 
 前任の石井監督が2017年に解任された際にも同様な印象を抱いたものだ。前年2016年のJ1優勝は7年ぶりだった。常勝軍団にしては久しぶりすぎる優勝だった。その年末に行われたクラブW杯では決勝に進出。レアル・マドリーと争うことになった決勝でも接戦を展開。主審がセルヒオ・ラモスに2枚目のイエローを翳していれば、大番狂わせが起きていたかもしれない一戦だった。

 鹿島は気がつけば、常勝軍団の看板を背負うチームになっていた。だからこそ、その翌シーズンの途中で、石井監督は解任されたのかもしれない。その時点で鹿島は確か8位ぐらいで、優勝はともかく、予算規模に相応しい順位はまだ十分に狙える段階だった。

 鹿島にこれ以上は望めない栄光をもたらし、結果的に看板を復活さることになった監督は、皮肉にも常勝軍団というその看板の重みに早々と潰される格好になった。適正な順位を忘れてしまった悲劇を見た気がした。前年、クラブW杯準優勝とJ1優勝を飾った実績は、もっと評価されるべきではなかったか。

 3位に終わり解任された大岩監督について、この成績では解任やむなしとする声が、鹿島ファンの間で普通に囁かれているとしたら、いったい何位なら満足するのかと問い返したくなる。

 鹿島はスペインリーグにおける、レアル・マドリーではない。バルセロナでもない。アトレティコ・マドリーにも及ばないかもしれない。Jリーグにそこまで予算規模で他を圧倒しているチームは存在しない。この2、3年で予算規模を急速に伸ばし、2018年の実績で浦和レッズをかわし首位に立ったヴィッセル神戸でさえ、100億円にも届いていない。レアル・マドリーやバルサの域にはまったく到達していない。

 獲得にお金が掛かりそうな外国人選手を見ても、鹿島が5人枠を満たして戦った試合は数少ない。金満クラブというわけではないのだ。ビッグクラブ不在。常勝軍団ももちろん不在。多くのクラブが優勝の可能性を秘める混沌とした状態にあるのがJリーグの姿だ。

 そうした中で監督を務めた2シーズン半で、2位、3位、3位の成績を収め、かつACLを制し、クラブW杯でもベスト4入りした大岩監督は、もう少し評価されるべきではないか。少なくとも、解任されて当然だとはまったく思わない。監督交代劇が3人しか起きなかった今季のJ1リーグに目をやると、なおさらそう思う。そのうちの1人に入っていることに不自然さを覚えずにはいられないのである。