ゲス過ぎるぞ石川啄木!明治時代に活躍した文豪たちの興味深いエピソードを紹介
明治から昭和にかけて、日本は激動の時代を通り抜けてきました。その頃に文豪と呼ばれる傑物たちが誕生したのは、時代を象徴しているのかもしれませんね。今回は、誰もが知っている文豪たちの興味深いエピソードをご紹介いたします。
石川啄木のエピソードに呆れる
石川啄木といえば、繊細な心情を詠んだ短歌がよく知られています。有名なのは「たはむれに母を背負ひて そのあまり軽(かろ)きに泣きて 三歩あゆまず」でしょうか。このように、人の心に訴える短歌を詠んでいる啄木ですが、実は母親を背負うどころかわがまま放題だったとか。
石川啄木(wikipediaより)
啄木が母親にまんじゅうを食べたいと作らせたのに、出来上がった時には「待っている間に食べる気が失せた」と、母親にまんじゅうをぶつけたというエピソードがあります。そのため、短歌のように母親を背負ったなんて嘘だと、啄木の妹さんが語っているそうです。
さらに、妻がいながら浮気三昧だったり借金を踏み倒していたり、火事を見て興奮したことで手を叩いて踊ったというエピソードまで。呆れるほどのエピソードが残っているので、短歌の繊細なイメージからは程遠い人物だったのでしょうね。
宮沢賢治の良い人過ぎるエピソードにほろり
さて、石川啄木はかなりクズだったエピソードが残っていますが、あの有名な宮沢賢治には逆に良い人過ぎるエピソードが残っています。彼は幻想的な作品の「銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」などが有名ですね。
宮沢賢治(wikipediaより)
賢治は教師をしていたのですが、入院した同僚やお金に困っていた教え子にお金を渡していたというエピソードがあります。さらに子供時代、いじめられていた子や罰を受けていた同級生を助けてあげていたというエピソードも。
賢治は仏教への信仰があったので、そういったエピソードに繋がったのでしょう。ただし、生涯妻を娶らなかった賢治ですが、大量の春画コレクションを持っていたというエピソードもあります。仏教への傾倒も、煩悩からは逃れられなかった様子。
川端康成は泥棒を撃退するほどの目力があった
多彩な作風の川端康成は、「伊豆の踊り子」や「雪国」が有名ですね。ただし、作品の中にはちょっと過激で官能的なものがあるので、好みが分かれそうな作家かもしれません。そんな川端康成ですが、非常に目力の強い人でした。
39歳頃の川端康成(wikipediaより)
ある日、泥棒と鉢合わせした康成が、相手をじっと見続けるだけで泥棒を撃退させたというエピソードが残っていることからも、相当な目力だったのでしょう。また、原稿を取りにきた女性編集者に対して黙ったまま見続けて泣かせたり、売れない作家をじろじろ見ながらからかうようにしていたりしたとか。
康成には何も言わずに相手を凝視するクセがあり、そのクセにまつわるさまざまなエピソードが語られています。ちょっとイヤなクセですね。
おわりに
有名な文豪たちには、ほかにも興味深いエピソードがたくさんあります。モテまくっていた樋口一葉や、子供や孫たちにキラキラネームを名づけていた森鴎外など。天才といわれる彼らの人間臭いエピソードはとても面白く、また、遠い存在の彼らを身近に感じさせますね。
参考書籍:教科書では教えてくれない日本文学のススメ