自分の親が「子どもを攻撃してしまう」毒親だったとき、どう対処すればいいのだろうか(写真:bee/PIXTA)

「言うことを聞かないなら、もう何も買ってあげない」などと脅して子どもを思いどおりに支配しようとする、子どもを罵倒し人格を否定する、必要なものを与えない、子どもの領域を平気で侵害しようとする、兄弟姉妹で格差をつける、しつけと称して暴力を振るう……。いわゆる毒親に悩まされている人は少なくない。

精神科医である片田珠美氏の『子どもを攻撃せずにはいられない親』から、こうした親にどう対処すべきかを解説する。

親を変えることはそもそも不可能

まず肝に銘じなければならないのは、この手の親を変えるのはほとんど不可能ということである。なぜかといえば、こういう親の多くが、自分は正しいと思い込んでおり、子どもを攻撃している自覚も支配している自覚もないからだ。たとえ自覚があっても、親はあくまでも子どものためにやっていることだと信じている。

親自身がかなえられなかった夢を子どもに実現させようとして、スパルタ教育を施し、時には暴力を振るっていても「こうすることが子どもの幸せになるのだから、心を鬼にして叱咤激励するしかない」と思っていることが少なくない。

あるいは、「自分は子どものためにいろいろなものを犠牲にしてきたのだから、子どもを自分の思いどおりにしようとしても許されるはずだ」と考えている場合もある。「三つ子の魂百まで」ということわざどおりで、親のこうした思い込みは、おそらく死ぬまで治らないだろう。

私自身、母に「お母さんが正しいと思っていることを、私は必ずしも正しいとは思っていない。それに、お母さんの幸福と私の幸福は違う。だから、私の生き方を認めてほしい」というメッセージを送り続けてきたが、母の考え方は変わらなかった。

そのため、母の幸福と私の幸福は違うという私にとっては当たり前のことを、母に認めさせるのはとても難しいと感じている。80歳を超えた母と向き合うたびに、「この人は自分が絶対正しいと信じている。だから、この人を変えようとしても無理だ」と痛感する。

そう感じるのは私だけではないようだ。知り合いの40代の女性の話を紹介しよう。

「母は昔から、私のやろうとすることに、いちいち口出しをしてきました。例えば、中学校でブラスバンド部に入りたかった私に対し、母は『若いうちは体を鍛えなければいない』と反対し、運動部への加入を強制しました。私は仕方なくバスケットボール部に入ったのですが、思いのほか練習が厳しく、中1の後半には挫折。母は、退部によって無駄になった練習着を私に投げつけ、『せっかく買ったのに無駄になったじゃない! この根性なし!』となじりました。

友人を家に連れてきたとき、その人の前で『こんな人とつき合っちゃだめよ』と言われたこともあります。母が気に入らなければ、許してもらえないという状況でした。

高校卒業後、母は私を歯科衛生士の学校に通わせようとしました。どうやら知り合いから、『歯科衛生士は安定した仕事だ』と吹き込まれたようなのです。でも、私はまったく興味がありませんでした。だから、私は母と激しく衝突し、高校卒業後に家を出ました。

「雪解け」もつかの間…

その後も母は、私のすることに文句をつけてきました。私の結婚にもずっと反対していて、結婚式ではまったく笑顔がありませんでした。結局、私は実家に帰る機会も少なくなり、数年前に父が亡くなった後は、母とはほとんど連絡も取っていませんでした。私には2歳下の弟もいますが、そちらも実家とは疎遠になっているようです。

突然、母から電話が入ったのは昨年のことでした。初期の胃がんが見つかり、入院したというのです。さすがに放ってはおけず、私は病院に駆けつけました。すると、母は私の手を取り、『今まで厳しくしてすまなかった』と言って泣きました。そのとき、私も思わず泣きました。そして、これまで母と距離を置いてきたことを、本当に申し訳なく思ったのです。母が入院していた病院は、車で片道1時間半ほどかかる場所にありましたが、私は2日に1回以上は顔を出すようにしていました。

最初のうち、母との関係はとても和やかでした。ところが、手術が終わって1週間ほど経つと、母の態度は徐々に変わってきたのです。私が忘れ物をすると、『どうして言われたこともできないんだい!』と大声を出します。また、私の子どもたちの進路が気に入らないらしく、いちいち嫌みを言います。

最初は、母は昔と変わったと思いました。ところが、言いつけを聞かないと不機嫌になるところは、今もまったく同じです。最近では、『やっぱり、母とは会わないほうがよかったのかなあ……』と後悔することもあります」

人間の根本的な性格は、なかなか変わらない。この女性の母親のように表面的には変わったように見えても、時間が経つにつれて本来の性格がひょっこり顔をのぞかせることも少なくない。

攻撃的な親にずっと悩まされ続けていると、いつかは、自分が受けた苦しみを親に理解してほしいという願望、あるいは理解してもらえるのではないかという期待を抱くかもしれない。だが、攻撃的な親があなたの痛みを理解してくれるなんて、ほとんどありえない。まして、謝罪など望むべくもない。だから、親がいつかは心を入れ替えて、あなたの痛みを理解し、謝罪してくれるなどという幻想は捨てるほうが身のためだ。

こういう期待や幻想を抱くのは、法廷で、被害者や家族が、人生をめちゃくちゃに破壊した加害者に、自らの犯罪行為の重大性を認識し、謝罪してほしいと望むのと同じである。被害者の痛みに共感して、心の底から後悔するような犯罪者は、ごくまれだということを認識すべきだろう。 

「しつけで悪いとは思っていない」

自分の親を犯罪者同様の人間と見なすことには、抵抗があるかもしれない。しかし、今年自らの娘を虐待死させた栗原勇一郎被告はこう述べている。

彼は、「(虐待は)しつけで悪いとは思っていない」と供述したが、同様の供述を虐待で告発された親がすることは少なくない。こういう親は、虐待の事実を頑として否認し、少々「行き過ぎ」の行為があったにせよ、あくまでもしつけのためであり、愛情からやったことだと自己正当化する。

しかも、わが子を「恩知らず」とののしり、罪悪感を抱かせようとすることもある。これは、先ほど述べたように自分は正しいと思い込んでいるからだ。この思い込みのせいで、何かうまくいかないことがあると他人のせいにするわけで、責任転嫁の対象がわが子であることも少なくない。

おまけに、こういう親は罪悪感をかき立てる達人であることが多い。そのため、子どものほうは自分に責任があるのだと思い込まされやすい。例えば、鬱憤晴らしのために子どもをたたいている親が、「お前が悪いから」と責めると、子どもも「自分が悪いから、たたかれるんだ」と思い込んでしまう。

このような場合、子どもは自分を責め、罪悪感にさいなまれる。だが、本当に悪いのは、鬱憤晴らしのために子どもをたたく親なので、ひどい親だということにまず気づかなければならない。

自分の親がひどい親だという事実は受け入れがたいはずだ。だからこそ、多くの子どもが、親からどれだけひどい仕打ちを受けても、現実から目を背け、「自分のためを思うからこそ、やっているんだ」「自分が親孝行すれば、こんなことをされなくてすむはず」などと自分に言い聞かせる。

だが、このように現実をねじ曲げて、いい親だと無理に思い込もうとするからこそ、つらくなる。時には、体の調子が悪くなって、頭痛や腹痛、動悸や吐き気などの症状が出ることもある。だから、ひどい親だということに一刻も早く気づくべきだ。そして、こういう親に理解してもらおうなどという甘い考えを捨てなければならない。 

ひどい親だということに気づいたとたん、これまで親から受けた仕打ちや浴びせられた暴言が脳裏に浮かんで、怒りを覚えるかもしれない。憎しみさえ抱くかもしれない。こんなネガティブな感情を親に対して抱くなんて、とんでもないことだと思う方もいるはずだ。そういう方は「なんて悪い子どもなんだ」と自分を責め、罪悪感を抱くだろうが、その必要はない。

罪悪感を覚える必要はない

なぜかといえば、親に怒りや憎しみを抱くのは、むしろ自然なことで、多少は誰にでもあるからだ。もちろん、親に対して愛情だけを抱くほうがいいに決まっているが、人間の感情はそんなに簡単ではない。むしろ、さまざまな感情が入り交じっている人が圧倒的に多い。

それを見事に言い表したのが、「愛憎一如」という仏教用語である。愛と憎しみは「あざなえる縄」のごとく、密接に結び付いているという意味であり、男女関係でも深く愛すれば愛するほど、裏切られたときの怒りと憎しみは激しくなる。

親子関係でも同様だ。親に愛されたいという愛情欲求が強いからこそ、粗末に扱われたり、ひどい言葉で口汚くののしられたりして、親から愛されていないように感じると、腹が立つ。そして、自分がいくら頑張っても、親の愛情を得られないことを思い知らされると、憎しみさえ覚えるようになる。


つまり、親に愛してほしいのに、愛してもらえないからこそ、怒りや憎しみを抱くわけで、その裏側には愛がある。このように愛と憎しみという相反する感情を同一人物に対して抱くことを、精神分析では「アンビヴァレンス(ambivalence)」と呼ぶ。「両価性」と訳され、その意味するところは「愛憎一如」とほぼ同じだ。

仏教と精神分析は全然違う。にもかかわらず、愛と憎しみという相反する感情を同一人物に対して抱きうることを、それぞれが別の言葉で説明したのは、このような精神状態が人間にとって普遍的なものだからだろう。

だから、あなたが親に対して怒りや憎しみを抱いていても、そのことで罪悪感を覚える必要はない。なぜならば、それは強い愛の裏返しだからだ。第一、あなた以外にも、親への怒りや憎しみを抱いている人は少なくない。だから、そういう感情があるのは、人間としてむしろ当たり前なのだと考えるべきだ。そう考えれば、自分を責めずにすむので、気が楽になる。