大学受験対策の授業がほとんどなく、進路指導も「頑張って」の一言。おまけに校則もない。徹底的な自由放任主義の麻布高校(東京・港区)が、全国有数の東大合格者数を誇り、数々の経済人を輩出できるのはなぜか。卒業生への取材から、その理由に迫る――。

※本稿は、永井隆著『名門高校はここが違う』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Natee127
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■5年間は何をしたって許される

衆議院議員の柿沢未途氏(1989年卒)は言う。「麻布生について私のセルフイメージは、ニヒリズムがかった“ふざけた人”。学校が自由放任だから、個性の振れ幅が広い。みんな斜に構えてふざけている。規律そのものが麻布にはないかもしれません」。

麻布高校と開成高校は、東京の男子進学校として比較されることも多いが、開成高校OBの言葉、「ディスプリン(規律)が保たれていることが開成の特徴」とは対照的である。

柿沢氏は「麻布中・高に入って勉強をするのは、高校3年の1年間だけ。それ以外の多感な5年間を自分のやりたいように過ごし、毎日が楽しくて仕方なかった。人生の中であれほど素晴らしい期間は二度とないと思います。だから麻布生は学校愛が強い。私は東大の同窓会はたまにしか出ませんが、麻布の同期との忘年会は毎年欠かさず出席しています」と話す。

■自由放任主義と圧倒的な信頼関係

「とにかく勉強しなかった」と笑う柿沢氏だが、その青春時代は充実している。海外生活をしてみたいと、中学2年の1年間は、米国で短期留学を経験。高校進学後は友人に誘われてラグビー部に所属し、フッカーを務めた。だが柿沢氏が熱中していたのは、スクラムを組むことよりも別のことだったと言う。「運動部だけれど、部室で麻雀や競馬予想に明け暮れた思い出のほうが強いかもしれない。雀荘で徹夜麻雀して、そのまま授業を受ける猛者もいましたね。彼は今、開業医です(笑)」。

高校2年時には、学校の向かいにあった愛育病院のゴミ捨て場から、冷蔵庫とテレビを拾ってきて教室に設置。授業中にもかかわらず、冷蔵庫から取り出したコーラを飲み、仲間とワイドショーやメロドラマを観賞した。「傍若無人、もうやりたい放題でした。だからと言って学校が荒れているのではない。ふざけた空気が蔓延していたのです」。

普通の感覚からすれば“学級崩壊”だろう。しかし、ここが麻布の懐の深さである。「先生方が私たちを咎めることはなく、授業は淡々と進みました。生徒を信頼しているとも言えるし、自由放任とも言えるかもしれない」。

■無意味な時間こそ本当の贅沢

柿沢氏は授業を抜け出し、よく校舎の屋上に上ったという。何人もの生徒たちが屯(たむろ)していて、“屋上組”と呼ばれていたそうだ。

城址に寝転んだ石川啄木は「空に吸はれし十五の心」と詠んだが、柿沢氏とその友人たちは、元麻布の高台から何を想像していたのだろうか。

「そんなにいいものでもないと思いますけど(笑)。しかし、単調な勉強一色ではなく、仲間と過ごす無意味な時間こそ贅沢かもしれない。麻布生は有り余る自由の中で自分のやりたいことを見つけるのかもしれません。まじめな開成と比べて、起業家やアーティストが多いのもそういった気風に育まれるのかもしれない」

自由な校風に浸りすぎた柿沢氏は2浪してしまうが、東京大学に入学。麻布の現役高校生に対し柿沢氏は、「足踏みはしたけれど、後から軌道修正できた。その足踏みだっていい経験です。だから高校時代は、勉強よりも、その時しかできないことをやるべき。多少の踏み外しは、大目に見てもらえます。あれほど楽しい期間は、二度とありませんからね」と、エールを送る。

■生徒の受験に口を出さない教師たち

「君はどこを受けるんだ?」
「東大です」
「そうか、じゃあ頑張って!」

麻布の高校3年生を対象とする進路指導はこれで終わる。

同校で英語とフランス語を教える村上健氏は言う。「OBの皆さんが仰っていたと思いますが、麻布では進路選択を生徒に任せています。教師は質問されれば答えるけれど、果たしてそれが参考になっているか(笑)。また、予備校のように受験に特化した授業もあまりない。親御さんも麻布がそういう学校であることを知っているので、クレームが寄せられることはありません」。

そこで行われる授業が、先に紹介したような自由で個性的な授業だ。それでは現役教師の村上氏は、どのような授業をしているのか。

英語は中学から始めて4年、高校2年にもなると生徒間に大きな学力差が生じるそうだ。「今東大を受けても合格できるような生徒がいる反面、サボってしまい中学2年程度の英語力しかない子もいる。どのレベルの授業をすればいいのか迷いました」。また大学受験に役立つ授業を求める生徒がいる一方で、過去問の演習などをすると「そういうのは塾でやるから、学校ではもっと面白いもの、中身のあるものをやって欲しい」という生徒もいる。

■「英語に触れている」という感覚を大切にする

多様な生徒の要望に応えようと四苦八苦した村上氏は、10年ほど前から授業方針を転換した。「自分が一番面白いと思うもの、英語に触れていると本当に手応えを感じるものに変えました」。その一つが、洋画のワンシーンを文字に起こし、そこに空欄を設けて穴埋めする授業だ。台詞(せりふ)を聞き取り、空欄を埋めていく過程で、わからない単語や構文を理解していくのだという。扱われた映画は、『マトリックス』『羊たちの沈黙』など多種多様。映画鑑賞という娯楽性を持ちつつ、リアリティある英語は生徒からも好評で、東大に進学した生徒からは、「大学の英語より充実している」と言われたそうだ。

村上氏は、「ハリウッド映画は何百億円というお金が投じられ、練られた脚本を一流の俳優が演じます。教科書に出てくる会話とは迫力が違う。気の利いた言い回し、心に残る台詞も多く、英語の勉強にはもってこいなのです」と解説してくれた。

またある時は、生徒から「自分で教材を選びたい」と提案があり、面白い音源を各自で集め、プリントを作成した。出てきたのは、オバマやケネディの大統領就任演説、日本のアニメの英語吹き替え版など。「私もびっくりするぐらい、いい教材が集まりました。自分や同級生が選んだ教材とあって、授業に取り組む生徒の姿勢も変わった」と村上氏。

もっとも、全国有数の進学校であるだけに、教師をなめてかかる生徒も多い。着任したばかりの若手教師は、生徒から信頼を勝ち得るのに時間がかかるケースもあるそうだ。

■放任主義の“背後”にある生徒への手厚いフォロー

一方で、「自由放任」と言われる麻布だが、退学者も停学者もほとんど出ていない。

「確かに麻布高校は自由だし、放任かもしれない。けれど教師は、実は生徒一人ひとりをよく見ています。時に脇道にそれてしまう生徒もいるけれど、更生する余地は必ずあるから、教員は問題を起こした生徒を徹底してフォローします」

麻布の教員は、教科ごとの教科会と、学年ごとの学年会に所属する。生活指導は学年会が担い、週に一度、会議を開いて、「どうやらA君はB君に嫌がらせしているようだ」など、教員全員で学年の情報を細かく共有する。何かトラブルが発生すれば、学年会が総出で解決を探る。「学年会も教科会もそれぞれに権限が委ねられているので、必要とあらば何でもします。一方、トップダウンで指示することは難しいので、校長はやりにくいかもしれませんね(笑)」。

■教師にも与えられている“自由”

また、麻布の教員はフレックスタイム制だ。授業が午後からであれば朝から来る必要はないし、午前中で授業が終われば午後は自由に使える。

永井隆著『名門高校はここが違う』(中公新書ラクレ)

「私たちは、とにかく授業と生徒に集中できるのです」。授業の準備はもちろん、生徒が問題行動を起こした時にも有効だ。「問題を抱えた生徒と向き合うには、情熱と時間がたっぷり必要です。そこに時間をかけられるのは麻布の強みです」。

実は村上氏、教師と並行しながら、オセロの世界チャンピオンに3度輝いた実績を持つ。「麻布は教師にも自由が与えられているので、本当に良い職場です」。彼が顧問を務める同校のオセロ部は、大会でも数々の学生チャンピオンを生んでいる。

多方面に才能を伸ばしてきた麻布高校の「自由」には、一朝一夕には到達できない奥深さがあった。

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永井 隆(ながい・たかし)
ジャーナリスト
1958年、群馬県生まれ。明治大学経営学部卒業。東京タイムズ記者を経て、1992年フリーとして独立。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動をおこなう傍ら、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。著書に『サントリー対キリン』『ビール15年戦争』『ビール最終戦争』『人事と出世の方程式』(日本経済新聞出版社)、『国産エコ技術の突破力!』(技術評論社)、『敗れざるサラリーマンたち』(講談社)、『一身上の都合』(SBクリエイティブ)、『現場力』(PHP研究所)などがある。
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(ジャーナリスト 永井 隆)