左から堺市長に当選した永藤英機氏と、地域政党「大阪維新の会」代表の松井一郎・大阪市長、吉村洋文・大阪府知事(写真:時事)

政治資金問題で前市長が辞職したことに伴う、6月9日の大阪府堺市長選で、地域政党「大阪維新の会」の新人、永藤英機氏が当選を果たした。4月に行われた市長・知事が入れ替わった大阪府・市の首長ダブル「クロス」選でも勝利を収めた大阪維新の会。今回の堺市長選では、一度否決されたにもかかわらず再度の住民投票を訴えている「大阪都構想」を前面には出さなかったものの、来年の秋には2度目の住民投票が実施される予定である。

一方、国政政党の「日本維新の会」に関しては、北方領土をめぐる「戦争発言」で除名となった丸山穂高衆議院議員、被差別部落への差別を助長する発言をした問題で参院選に立候補予定だった長谷川豊氏の公認を停止し、長谷川氏自身も公認を辞退するなどの問題を生じ、支持率も低迷している。

にもかかわらず、なぜ「維新」は大阪で支持されているのか。東京など大阪以外でもこうした現象は起こりうるのか。このほど、『緊急検証 大阪市がなくなる』を上梓した吉富有治氏がレポートする。

既成政党化した「維新」

4月7日の大阪ダブル選と統一地方選で圧勝した大阪維新の会(以下、維新)。彼らはダブル選で大阪府知事と大阪市長のいすを守り、統一地方選では大阪府議会で単独過半数を獲得、大阪市議会でも第一会派を維持した。

その圧倒的な強さは6月9日に投開票された堺市長選でも証明された。維新は、前回2017年9月の市長選で竹山修身・前市長に敗れた元大阪府議の永藤英機氏を擁立し、3度目の正直で勝利を手にすることができたのだ。

これまで維新は堺市長選で2度も敗れている。だが、今回は維新に風が吹いていた。そもそもこの選挙のきっかけは、維新の政敵だった竹山修身・前市長によるズサンな政治資金管理が発覚したことだった。前市長の金銭スキャンダルがマスコミや市議会で取り上げられたことで世論は竹山市政に反発し、有権者の怒りを買って前市長は辞任を余儀なくされた。維新にすれば、市民の怒りを追い風にしながら選挙戦に臨むことができたのだ。

政令市である大阪市を廃止し、東京23区のような特別区を設置する、いわゆる「大阪都構想」(以下、都構想)。維新にとっては最大の目玉政策である。維新陣営は、堺市長選で彼らの政策の1丁目1番地である都構想を争点から意図的に外し、代わりに「金と政治」を声高に叫びながら竹山前市長と彼の応援団だった自民党のデタラメぶりをアピールした。最大の政策を隠したのは、堺市民の都構想に対するアレルギーが大阪市民よりも強いからである。事実、維新が堺市で過去2回も敗退したのは、都構想に反対する堺市民が多かったからだ。

一方、自民党大阪は統一地方選の惨敗で独自候補を立てる余裕がなく、党をあげての組織的戦いができなかった。そこに加え、同党大阪府連の会長に就任した渡嘉敷奈緒美衆院議員は都構想に賛成する姿勢を見せたことで府連は大混乱に陥った。

そこでやむなく前堺市議の野村友昭氏が自民党を離党して立候補を表明。党の支援が受けられないことで自民党大阪の有志が自主的に支援し、また共産党や市民団体などが野村氏を応援したものの、結果は13万7862票対12万3771票で敗退。約1万4000票差と予想外に接戦だったのは、後半戦から野村陣営の追い上げが勢いを増したことと堺市民の都構想アレルギーのためだろう。それでも維新は大阪府と大阪市に次いで、府下2番目の政令市の市長まで手中に収めたのである。

大阪府と大阪市、そして堺市の選挙を通じてわかったことは、維新は以前に比べてより支持層が広がり、さらに強固で盤石な組織基盤が大阪に根づいているということである。かつての新興勢力は、いまや押しも押されもせぬ巨大な地域政党に脱皮した。結党から9年、もはや立派な既成政党だ。

「暴言」「失言」でも求心力を失わない事情

大阪で維新が産声をあげたのは2010年4月のことだった。自民党大阪府議団を離党した松井一郎府議(現大阪市長)と浅田均府議(現参院議員)ら数人の府議たちが地域政党「大阪維新の会」を結党。そこに大阪では圧倒的な人気を誇った当時の橋下徹府知事(その後、大阪市長に鞍替え)が代表に就任し、世間とマスコミの注目を浴びた。

最初こそ弱小会派だと思われていた維新だが、翌2011年4月の統一地方選では"橋下チルドレン"と呼ばれる新人候補を大量に擁立し、大半が素人に毛の生えた選挙戦でありながら初戦から大勝利を果たした。このとき初めて府議会で単独過半数を取り、過半数には届かなかったものの大阪市議会でも第一会派を獲得。この統一地方選を皮切りに維新は大阪で圧倒的な存在感を示すことになる。

順風満帆、天下無敵に見えた維新にも最大の挫折が待っていた。2015年5月17日に実施された都構想の是非を問う住民投票で敗北したことである。僅差ながら反対票が賛成票を上回ったことで維新は一時、党勢に陰りが見え始めたのだ。

住民投票の結果を受け、橋下徹氏は維新の代表を降り、2015年12月に大阪市長の任期を終えてからは政界を卒業。このとき維新は最大のシンボルを失った。また、2017年10月22日投開票の衆院選では、本拠地の大阪で日本維新の会の候補者が軒並み落選する事態にも見舞われ、「維新もここまでか」と思われた時期もあった。

余談だが、この衆院選で維新の候補者が負け続ける中、大阪の選挙区で当選したのが丸山穂高衆院議員である。ビザなし交流で訪れた国後島で戦争発言をして国会から糾弾決議を受けた丸山議員。彼が世間と国会から「退場」を命じられながら強気でいられるのは、他の維新候補が衆院選挙区で軒並み敗北しても、自分は勝利したという自負があるからではないかと推察する。

話を戻そう。橋下徹という政治的シンボルを失い、維新は求心力を失うかに思えた。国会議員を抱える日本維新の会は支持率も振るわず、離党した丸山議員をはじめとして暴言議員、失言センセイが同党の足を引っ張っている。また、地方に目を向ければ維新の党勢が大阪並みに伸びる気配もない。

だが、大阪に限れば維新は強い。圧倒的に強い。結党から今日までの間で維新に愛想を尽かして同党から逃げ出す府議や市議がいたり、選挙違反で逮捕された市議がいても、どうしたわけか大阪の有権者は維新を見放さない。それどころか、今回のダブル選と統一地方選、そして堺市長選を加えてのトリプル勝利である。

大阪市と堺市の両政令市は維新が完全に牛耳った。自民党大阪が力を失って迷走し、公明党が維新の軍門に降ったことで都構想実現の可能性は一気に高まった。今後のスケジュールでは、都構想の設計図を作る法定協議会が6月末から再開され、来年夏には完成。来年の秋には2度目の住民投票が実施される予定である。一度は敗れた都構想も実現しそうな勢いだ。

なぜ維新は大阪で強いのか。逆に言うと、なぜ大阪限定の政党なのか。東京や他府県に住む人とこの話をすると、誰もがここがわからないと口をそろえる。維新最強の理由はさまざまだが、その背景の1つには大阪府と大阪市の特殊な事情がある。大阪の暗黒史だ。

大阪の「暗黒史」

2004年から2005年にかけ、大阪市はマスコミと世間の集中砲火を浴びた。ろくに働かない市職員や労組の組合員を異常厚遇した問題が続々と発覚し、そこにバブル期に建設した数々の巨大な箱モノが経営破綻したというマスコミ報道が相次いだからである。

大阪府も同様に、関西国際空港の対岸に建設した「りんくうタウン」などさまざまな開発に失敗。それまでは金持ち自治体だった大阪府と大阪市は、箱モノ政策の失敗とズサンな公金感覚で巨額の借金を背負うことになった。当然、府民と市民は怒りの声を上げた。

その後に登場したのが橋下徹氏である。彼は大阪府の改革を公約に2008年1月、府知事選に立候補して当選。府民から大歓迎を受けたのは、まだまだ消えやらぬ大阪府と大阪市への不満がナニワの街に充満していたからである。

例えて言えば、ガスが充満した部屋に少しでも火花が飛べば大爆発を起こすようなものだ。見方を変えると、もし橋下氏がバブル経済の真っ最中に登場すれば、あそこまでの熱狂で迎えられなかっただろう。

維新の人気もこの延長線上にある。大阪市の暗黒史から10年以上が経過しており、なおかつ橋下氏以前の歴代市長も市政改革は進めてきたのに、維新は今も「大阪市を過去に戻すな」というキャッチフレーズを大阪ダブル選や統一地方選で多用した。「既成政党(自民党など)は大阪市を過去に戻し、既得権益を失うことを恐れている」とことさらアピールすることで、市民の不満感情に新たな火をつけた。

これらの巧妙な心理作戦により、有権者の気分を「大阪市の改革はまだまだ必要だ」というベクトルへと誘導することに維新は成功した。ただし、同じ手法を自民党や公明党、共産党が真似たところで、おそらく誰も信じないだろう。有権者の意識は、すでに「維新はすごい」「維新は信頼できる」で支配され、事実そう思わせるだけの現象が大阪の街に現れたことも無視できないからだ。

維新は時代の波に乗ったラッキーな政党であると思っている。維新が誕生して大阪府政と大阪市政で力を持ち始めたのは、リーマンショックから立ち直りつつあった2012年以降の時期と重なっていた。そこに加えて近年、関西では外国人観光客の増加でインバウンド効果が出始めたり、2025年大阪万博の誘致成功により大阪では景気アップの高揚感に包まれている。

もっとも、これらすべてが維新の政策のおかげではない。万博やインバウンドにしても、例えば関空の滑走路整備など政府や大阪府・市の両議会の支援も無視できず、為替レートの変動といった経済的な外部要因も大いに貢献しているのは言うまでもない。

漠然としたイメージによる支持

それでも維新の宣伝は巧みだ。いいことは維新のおかげ、悪いことは既成政党が原因といった善悪二元論的なデフォルメPR作戦が功を奏し、大阪府民と大阪市民はさらに維新に信頼を寄せることになる。 

統一地方選の前半、私は大阪市内で維新候補の演説を取材しつつ、何人かの支持者と話をした。とくに印象的だったのは、大半の人がふんわりとした気分で維新を支持していることだった。中には「維新になってから役所の対応はスピードが増した。市営地下鉄も民営化され、ますます市民には便利になる」という具体的な成果をあげる人もいた一方で、「都構想とか難しいことはわからへんけど、松井さんや吉村さんはガンバってはると思うで」といった、半ば漠然としたイメージで維新を支持している人が目立ったことである。

有権者がこのような感情を持つのはなぜか。さまざまな外部要因があるにもかかわらず、高揚感のある大阪の街や経済の姿を自党の政策の成果だとする、いわば維新の巧みな宣伝効果のなせるワザなのかもしれない。彼ら維新がプロパガンダに長けた政党なのは、長く同党を見続けた取材者として痛いほど感じている。

都構想に関して言えば、各マスコミの直近の世論調査を見ると大阪市内に限っても都構想に賛成する有権者は反対者を上回っている。この流れであれば次回の住民投票は賛成多数になるだろうと私は考えている。おそらく都構想は実現し、その瞬間、政令市・大阪市は行政上も地図の上からも消えてなくなる。そして次は堺市の番だ。いずれ堺市も政令市から特別区へとスケールダウンするだろう。

しかし、都構想実現の過程でさまざまな問題やハードルがより鮮明になることも危惧している。検討課題が多すぎるこのビッグプロジェクトは2025年大阪万博と同時並行で進めることが可能なのか、特別区への移行に伴うコストは計画以上に膨らまないのか。また、人口60万〜70万の政令市と同じ規模を持つ特別区が、財源も権限も"都"に手足を縛られた中で自主的な行政が可能なのか等々である。

以上のように、維新が党勢を伸ばした背景には大阪の特殊事情があったのは間違いない。バブルに浮かれバブルが弾けた大阪という土地の「空間軸」と、大阪府・市の行政ミスから年月が経たない「時間軸」との"交差点"で維新が登場し、最大限のパワーを得ることになった。何度も言うが、維新は時流が味方したラッキーな政党である。

大阪だけの現象ではなくなる

ただ、これらは大阪に限った問題ではない。いずれどこの都市でも、また東京都でも起こりうることである。小池百合子都知事が登場した背景には、舛添要一前都知事の公用車問題や政治資金による家族旅行の問題が存在したからだ。これは、かつての大阪府・市のデタラメ行政の余韻が消えぬうちに橋下氏が府知事になった背景と似ている。代表を辞任して勢いが落ちたとはいえ、希望の党を立ち上げるまでのプロセスも維新の誕生を彷彿とさせる。


条件さえ整えば第2、第3の維新は必ず誕生する。橋下徹的な政治シンボルが東京に現れてもおかしくはない。そのとき、改革を掲げる"ヒーロー"の登場に拍手喝采で迎え入れる有権者も数多く出てくることだろう。だが、ときに歴史は冷酷である。最初はヒーローだと信じていた人物や組織が、年月の経過とともに「裏切られた」「しまった」と思わせないとも限らない。事実、そんな史実は国内外で少なくない。

維新はヒーローか、それともアンチヒーローなのか。有権者に、あるいは地方自治や国家にメリットを与えてくれる政党なのか。神ではない私たちは後世の行政学者や政治史家の判断を待つしかないが、それでも現象だけを見て熱に浮かれるのではなく、政治や政治家を冷静に見つめる目だけは持ちたいものである。