近い将来、データ分析者がAI(人工知能)と対話をしながら、不正会計を突きとめる日がやってくるかもしれない(写真:あずさ監査法人)

今から5年前。AI(人工知能)が既存の職業をどのように変えるかを論じたイギリス・オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授の論文の中で、94%の確率で10年後になくなるとされた専門職の1つが会計監査」の仕事だった。

オズボーン氏が言うように会計士という仕事が本当に消えてなくなるかどうかは別にして、AIをはじめとした新しいデジタルテクノロジーによって、会計監査の世界が大きく変わりつつあることは事実だ。

4大監査法人(あずさ、PwCあらた、EY新日本、トーマツ)は毎年、「監査品質に関する報告書」を公表している。その中でグローバル対応などと並び、異口同音に言及しているのが、進歩著しいデジタル技術への対応だ。

監査の定型業務はAIに置き換えられる

例えば、トーマツは2015年に「監査イノベーション」という組織を立ち上げ、既存の監査を高度化、効率化する取り組みを進めている。2012年以降の累計で約40億円の研究開発費をつぎ込んだ。

「RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)やクラウド、ブロックチェーンなど、いろんな技術を使って監査を変えていこうとしている。2年ほど前なら全部手で処理していた作業が、今は監査チームがデータを入れると、RPAが処理してくれる」(矢部誠パートナー)。筑波大学などと連携してデータサイエンティストの育成も進めているという。

EY新日本は監査の未来像について、2025年までのロードマップを描く。すでに財務諸表や仕訳・取引の分析にAIを活用。同法人の市原直通パートナーは「監査の現場では、実際に機械アルゴリズムを使って過去の訂正事例を学習させ、リスクの高いクライアントをあぶり出したり、パターンを外れた取引や仕訳を異常検知している」と話す。

監査手続きは、債権債務の残高確認や再計算、棚卸しの立ち会いなどの「定型業務」と、経営者とのコミュニケーションやリスクの特定などの「非定型業務」に大きく分けられる。ドローンを活用して棚卸しを確認するなどの事例はすでに出ており、定型的な業務は人から機械などへ置き換えられていくとみられている。

「こんにちは、ヒテッシュ」

「クララ、とても忙しくなりそうだよ。昨夜君が通知してくれた、ラクナ社のニュージーランド子会社に関するリスクを分析する必要があるので、この件に関するすべてのデータをまとめて」

あずさ監査法人の提携先、KPMGが作成した監査の未来像を描いた動画には、こんなシーンが登場する。

ヒテッシュは会計情報の分析者、クララはAIシステムの名前だ。ヒテッシュは監査パートナー(会計士)のルーシーから指示を受け、クララと対話をしながら、監査先の架空売り上げの不正を探っていく。SFではなく、こうしたシーンを現実的な未来として描けるようになったのは、技術的なブレークスルーがあったことが大きい。

パイロットレベルで動き出す「AI監査」

2014年に発足した次世代監査技術研究室の室長を務めるあずさの小川勤パートナーは「動画で使われている技術は、データをリアルタイムで授受できること、AIによる高度なデータ分析、SNSや社員の入退出情報などの非財務データの活用、そしてヒテッシュのようなデータ分析者の存在だ。一つひとつの技術はすでに確立し、『クララ』はパイロットレベルではすでに動き出している」と話す。

監査という仕事は、請求書や注文書、入金データなどの監査証拠を集め、その証拠に基づいて会計士が心証を得て、問題があるかどうかを判断する。ただし、時間的にも人員的にも制約があり、すべての監査証拠に目を通すことは不可能だ。実際には「試査」という形でサンプルを取り出して会計士がチェックしている。

しかし、今後は監査証拠を集めるような地味で、単純な作業は機械などに置き換えられ、データ全量のチェックも可能になる。監査法人と被監査会社のシステムを直結できれば、データのプリントアウトなどの作業も不要になり、「常時監査」と呼ばれる世界も不可能ではなくなる。

PwCあらた監査法人の久保田正崇パートナーは「以前は大きなデータをもらっても使いこなせなかったが、ここ数年でビッグデータの解析技術が進んでコストも下がり、誰でも、低価格で使えるようになった。システムの直結はアメリカでいま試作しているが、おそらく3〜5年で一般的になり、会計士の仕事のやり方が大きく変わるだろう」と話す。

カネボウやオリンパス、東芝など、近年の会計監査をめぐる大きなテーマは不正会計をいかに防ぐかという戦いだった。では、テクノロジーが導入されれば、不正会計や会計不祥事といったことはなくなるのだろうか。

EY新日本の加藤信彦パートナーは「サイバーセキュリティーなどと同様、新しい手法が生まれるのが世の中の常で、不正会計の手法も日進月歩している。会社側が財務諸表をつくっている時点で、お手盛りのリスクがある。いまの監査制度の限界だ」と打ち明ける。

会計士はマネジメント力が求められる

しかし、そうした未来を実現するには、さまざまな課題を乗り越える必要がある。1つはテクノロジーに通じた会計人材をいかに育成していくか。

「入社3、4年目くらいの若手がやってきた、現場の資料を1つずつ丹念に読み込んでいくキャリアが積めなくなる。それなくしても判断ができるような教育をしないといけない」(PwCあらたの久保田氏)

これまで会計士中心の組織だった監査法人にデータサイエンティストら、違う世界のプロが入ってきて、会計士は彼ら彼女らを束ねるような、マネジメント的役割を求められる。資料を現場に取りに行く必要がなくなれば、働き方も変わっていくかもしれない。

言語やシステムの壁もある。M&Aが活発になり、海外に子会社をもって展開することが普通になっている。「欧米企業と比べて日本企業のほうが子会社の独自性を尊重する傾向にあり、親会社と子会社でシステムも別々になりがち。世界でシステムを統一する場合に英語で統一できるかというと日本企業の場合は難しい」(あずさの小川氏)。その結果、日本だけ別システムというケースが多く、データ統一の妨げになっている。

業界全体を考えれば、大手監査法人と中小監査法人の格差も考える必要がある。海外大手と連携する4大法人のような大手であれば対応可能だが、中小監査法人はそこまでの余力はない。

日本公認会計士協会の次期会長で、同協会の報告書『次世代の監査への展望と課題』の作成に携わった手塚正彦常務理事は「IT化にはお金がかかる。資力のない中小法人がITをどう実装していくか、協会としても課題として認識している」と頭を悩ませる。

冒頭の問いに戻ると、AI時代が本格的に到来すれば、会計士の仕事はなくなってしまうのだろうか。

前出の久保田氏は「まだ相当難しい」とみる。例えば、ウイスキーのボトルを酒屋が売る場合とバーでボトルキープする場合、それぞれ会計的にどのように処理するか。酒屋であれば、顧客に引き渡すときに売り上げを計上すればいいが、バーならボトルキープ時ではなく、来店して消費するときにわたって繰り延べ認識したほうがよい。問題は監査先の会社が酒屋なのか、バーであるかだが、それは会計士が経営者と対話をして、社会的な目からみて妥当性を判断する。

「過去の事例や経験をデータで補うような『判断の補助』はAIで可能になるだろうが、どの会計処理がいいのかという最終判断は人間に残るのでは。会計や監査は白か黒かではなく、前例のないものや答えのないものに回答を出す作業で、どちらかというと芸術に近い」(久保田氏)という。

変わるタイムチャージ式の監査報酬

技術の進歩に伴い、監査法人という組織の人員構成や収益モデルが変わるかもしれない。

監査報酬は現在、「監査に携わった会計士の人数×単価×日数」で計算される「タイムチャージ方式」と呼ばれるやり方で算出されている。

しかし、人(会計士)の代わりにテクノロジーが監査業務の一部を担うようになると、タイムチャージ方式では請求しきれない部分が増えていく。「今はリスクを時間に置き換えて顧客に請求しているが、リスクを見積もるのはなかなか難しい。テクノロジーベースの報酬など、報酬体系は変わっていく」(EY新日本の加藤氏)という。

会計士という仕事はなくならないにせよ、AI時代には監査法人の組織のあり方やビジネスモデルが大きく変容していく可能性がある。